オリンピック
サッカーの若い世代が必死に戦うのはいい経験になるし、見たいと思う
池江璃花子が白血病から戻ってきて驚異的な回復を見せているのは
彼女の努力の積み重ねで素晴らしいことだと思う
だが、それとオリンピック、あるいは聖火リレーをすべきかどうかは問題が違う
結論から言えば、自分は今回のオリンピックは開催すべきではないと思う
そもそもこの夏のオリンピックは違和感のオンパレードだった
日本の7月下旬に屋外で運動をすることは、大半の日本人は暴挙だと感じていたはずだ
熱中症で何人が病院に運ばれたといったニュースが連日流される時期だ
それは他の都市でオリンピックを開催されるよりは、ましとはならない
打ち水とか、早朝の競技開始とか、そうした小手先の対応は真に選手の体を
また観客の体を心配しているのかと疑いを持つ
それに拍車をかけての新型コロナの流行だ
数の上ではアメリカやヨーロッパほどの流行にはなっていないが
第4波は想像以上のスピードで起こりつつある
ここ最近のオリンピック関係の報道を見ていると
先の戦争がどのように行われていったか想像できるような思いだ
聖火リレーはテレビで、どの局も喜ばしい光景として報道されている
だがこの聖火リレーでは報道されていない2つのことがある
その一つはNHKのニュースで沿道で「東京オリンピック反対」と叫んだ人たちがいて
その声は拾っていたはずなのだが、ニュースには音を消されて報道されていた
都合の悪いものは見せたり聞かせたくないかのように見える
もう一つは聖火リレーの主役はトーチをもって走る人たちだけでなく
スポンサー企業もPRの絶好の機会として、先導車では大きな音量を流し
パフォーマンスを披露し、グッズなども配っているらしい
SNSではこうした酷い状況に対し問題提起をしているが、大半の人はその事実を知らない
(スポンサーは好感を得る効果があったのだろうか)
テレビ局や新聞がオリンピックに対して否定的な意見を報道したがらないのは
彼らがオリンピックのスポンサーになっているからだ
せっかくの儲ける機会をみすみす失うようなことは企業としてはできない
純粋にスポーツの観点からだけでなく物事が進んでいる実態は
オリンピックというものが本来どうあるべきものか?を考えるいい機会になるはずだが
問題は情報を受け取るだけの庶民の感じ方とか気持ちだ
池江璃花子の復活に涙し、その他の選手の物語を感動的に伝える
日本という国の存在を普段よりも意識し、金メダルを採れそうの予想に高揚感を覚える
このメディアによる高揚感への拍車は、先の戦争の新聞の報道のトーンに近い気がする
松岡洋右の国連脱退を報じる新聞のトーンは威勢の良いもので
また爆弾三銃士等の報道も実態とは異なる味付けでなされ
本当のことを知らない庶民は何かよくわからない空気のようなものに振り回されている
こうした雰囲気に危機感を感じ、何か物申す人に対して世間はどのように捉えるんだろう
日本の偉い人(?)が決めて一生懸命にしようとすることを反対ばかりしているのは
日本人として変ではないか、、、と思ってしまう人が少くないようだ
少し前のSNSでは、池江璃花子の頑張りとか苦労による復活のニュースを見ても
オリンピック開催はしないほうが良いと言えるのかとの投稿が話題となった
そしてそれはあの界隈の人の支持を受けていた
少し怖いと感じるのは、そこには決めてしまったことは何が何でも行う
それ以外の声は邪魔だ、、と思えるようなトーンが感じられるからだ
宮本亜門や山口香のような信念をもった「開催すべきではない」との意見が
聖火リレーの賑わいの影に隠れ、実際には存在しないかのようになっているのは
とても不安感を感じてしまう
そして偏った報道を受け取るだけの大衆は、正しい判断をできないのではないか
と考えてしまう
それは内閣支持率のアンケート結果にも感じることで
大衆の感じ方の傾向を把握できたとしても、それが良いものかどうかは疑問だ
そしてその調査の数字をみて右に倣え!
としてしまう傾向が大衆にありそうなのは、少しばかり不安を覚えてしまう
それにしてもこんなにワクワク感のないオリンピックは初めてだ
自国で行われるというのに、、