パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

事前の情報が無いならば、感じ方はどうだろう?

2021年04月25日 18時58分01秒 | あれこれ考えること

ピカソのヘンテコな絵とかゲルニカを、有名な絵だとか素晴らしい評価の作品
と知らない人が(初めて)見たならば、その人は素直に感動するのだろうか
ゴッホのひまわりが何十億円だったなどとの情報がなかったならば
その絵をじっくり眺めることなどあるのだろうか?

事前にいろんな情報が与えられていないなら、その人の感覚・感性で感じ取るしか無いが
人は一般的に評価されているような感動を覚えるものだろうか

と懐疑的に問題提起をしてみたものの、実はやはり凄いと感じるかもしれないとも思う
それは個人的に不思議な体験を記憶しているからだ
わけのわからない抽象画の大家、ミロの版画を今はない豊橋の西武百貨店で初めて見た時
その小さな画面からとても温かいホッとするような、やさしい雰囲気がやってきたように思われた
そして、自分は「この人好き!」と直感した
受け入れる気持ちがあると彼の先品は無条件に肯定的に見ていける
そしてその後、彼の作品のはがきを購入したりした

ゴッホのひまわりは有名な作品であることは知っていた
だが知っていたのは有名であることだけだ
ミュンヘンのノイエ・ピナコテークでそれを見た時、有名だからしっかり見ようと構えた
その時だ、絵の中の茎がニョロニョロと伸びてきたような幻覚に襲われた
それは気持ち悪いとも言えるもので、今でもその時の感覚は覚えている
そうか、たしかに凄い絵だ!その時感じたのはそのことだった

でも自分が感じたようにみんなが感じるわけじゃない
むしろみんな違っているに違いない
絵よりはもっと簡単に好き嫌いが出けきそうなのが音楽だ
絵のような慣れが無くても、人はその音楽が好きか嫌いかはすぐさま判断する

ここで事前の情報がありなしを考えてみる
個人的に端的に違和感を持つ名曲と評価される曲がある
それはビートルズの「イン・マイ・ライフ」だ
アルバム「ラバーソウル」の中の一曲で、ビートルズの中でも屈指の一曲と評価されている
でも、そうかな、、、
この思いがずっと続いている
名曲だとの評価が人の耳に届いていなかったら、人はあの曲を良い曲と思っただろうか
正直に言えば、個人的にはあの曲は全然印象に残らない一曲に過ぎないので
ついこう考えてしまうのだ

でも自分の評価が一般化できるわけじゃない
それでも人は他人の言葉なり評価に振り回されてしまうのではないか、、
との思いは捨て去ることはできない

つまりは自分の感覚とか考えと言っても、実は他人の意見とか感じ方の受け売りじゃないのか
ということ
その意味で人の行動を左右しそうな報道は、受け取るがわは気をつけないと、、

例のごとく、まとまらない話!

コメント
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