1位と2位、盾と矛の戦いと楽しみにされていた今日のグランパス対フロンターレ
結果はフロンターレの完勝(4−0)
やることなすことがフロンターレはうまくいったが、チーム力も現時点では
フロンターレの方が相当上にある感じだ(選手全員に自信が漲っていた)
グランパスの得意とするインターセプトを狙う守りも、ワンタッチで交わされ
トラップのボールも次のプレーに最適な位置に置いて奪えない
おまけに選手間の距離が良いからボールを失ってもすぐに取り返しに行ける
攻撃の素晴らしさだけでなく、こうした守りも徹底されて見事なものだった
それはチームの完成度というもので、余程のことがない限り大崩れは無いだろう
試合の入り方もフロンターレの方が良い緊張感で入れていたのではないか
1点目の旗手のシュートも素晴らしかったが、そのお膳立てをしたり
見事なヘッドで2得点のレアンドロ・ダミアン素晴らしかった
ポストプレーも丸山との競り合いにも負けずにきっちり収めてフィジカルも強い
同じポジションのグランパスの山崎と比べると貢献度はだいぶ差がある
グランパス攻撃は結果は出ていても、マテウスと相馬のサイド攻撃は
少しばかりワンパターンというか選択肢が少なすぎる
イライラして強引にシュートしたり突破を試みそうと予想したがそのとおりになった
相馬はそれが形というか特徴なので、妙にアレコレして器用貧乏になるよりは
良いかもしれないが、このところは難しいところだ
ただもう少し柿谷との関係を考えたプレーをしたほうが良いだろう
それにしても、今のフロンターレは強い
あの中山・高原・名波・藤田・服部、鈴木がいた頃の、ものすごく強かったジュビロのようだ
あるいはシャビがいた頃のバルサに似ているような印象をもつ
これでフィジカルさえ強かったら海外のチームとも戦えそうな気さえする
このあと5月4日には今度は川崎で続けて同じカードがある
グランパスは今日の体験をどう感じるかが興味がある
きっちりやられたので自信喪失か、それともU24のアルゼンチン戦のように
直前の試合の経験を生かしてチームの建て直しができるか
今日のように一方的に運が傾くとは思われないが
地元のチームだからグランパスには経験をうまく生かして対応してほしい
だが、あの完成度に立ち向かうのは相当難しと思われる
(戦術として前から行くか、後ろで構えるか?)
強いものが勝つ
それは残酷でも厳しいゆえに美しいともいえる
Jリーグの各チームはフロンターレを破るように切磋琢磨する
そうすることによってJリーグ全体がレベルアップする
選手は海外に行って経験を積むのは役立つが、国内でも意識次第で
それなりの経験はできそうな気がしてきた
休日らしくのんびりした話題
美しい音楽のことを考えてみた
その例としてマーラーとブルックナーの静かな音楽を取り出してみる
(ブルックナーの方は静かばかりとは言えないが)
まずはマーラーの方から、有名な交響曲5番のアダージェット
映画「ベニスに死す」にも使われた弦を主体とした耽美的な音楽
これを心動かされずに聴ける人はそれほど多くないと思われる
マーラー アダージェット 交響曲 第5番から
マーラーよりは少し前の作曲家にブルックナーがいる
男前のマーラーに比べると田舎のおっさんといった感じの垢抜けない男だ
彼の作品の中からは7番の交響曲から第2楽章のアダージョ
Bruckner - Symphony No. 7 in E major - 2 Adagio - Celibidache
この音楽も美しいと思う(自分は)
だがその感じ方はかなり違う
マーラーの音楽は失った青春時代の思い出とか、かきむしられる感情の疼きみたいなものが全面に出てくるが
ブルックナーの音楽は、その響きに沈潜した思索とか法悦といったのもを、体全体で感じ取るものとして存在する
マーラーとブルックナーは一時期ブームになった
例にもれず、自分も違う指揮者、違うオーケストラのCDやレコードを購入し聴き比べた
だが、今は不思議なのだがマーラーの音楽はあまり聴かなくなってしまった
ブルックナーの方は相変わらず取り出して耳を済ませている
そこで、いったいそれは何故か、何が違うのか?と独断と偏見で考えてみた
すぐさま思いついたのは、マーラーの音楽は感情的すぎるという点だ
感情の起伏が激しく、若い時は「それいけ!」と共感した部分も今は「ちょっと大げさだな!」
といった印象ばかりが強く、ついていけない気持ちを感じてしまう
ブルックナーは繰り返しが多く、しどろもどろ的な要領を得ない音楽だが
深い思索の現れのような、自然界のなかの音のようなフレーズが精神の中まで染み込んでくる
そしてそれは、楽譜を見ると主題から導き出されたものであることが多く
その緻密な作曲技法に驚いたりする
そして、マーラーの音楽と違って感情的ではない
感情的と言う要素がキーポイントになっているのかもしれない
そういえばめっきり聴かなくなった音楽にチャイコフスキーがある
彼の音楽も自分には感情的すぎて、途中で気恥ずかしくなってしまう
だからと言って感情のない音楽を聞き続けるのは、それはそれでしんどい
バッハの音楽は緻密な数学的な作りで聴いていて落ち着くが
それでもずっと聴き続けるのは忍耐を要する
とまあ、好き勝手なことを言ってるが、とにかく最近は感情的すぎると思われるものは
パスする傾向にあるということ
でも不思議なのはモーツァルトだ
23番のピアノ協奏曲の第二楽章やK364のヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲の第二楽章は
情緒面々といった感じだが、感情的ではない
それはただただ美しい瞬間で過ぎゆくもの、、としての存在だ
モーツァルト、ブルックナー、そしてベートーヴェン
最近はこの三人をローテーションで聴いている
それにしてもブルックナーは彼もまた不思議な作曲家だ