パンセ(みたいなものを目指して)

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日本は「右傾化」したのか(図書館から借りた本)

2021年04月16日 08時36分24秒 | 

久々に真面目な話題

図書館から借りてきた本の中に「日本は右傾化したのか」(小熊英二・樋口直人)がある
ツイッターなどではネトウヨのツィート、嫌韓嫌中の人々の「日本から出ていけ」等のヘイトスピーチが目立つので
世の中はそうした傾向になりつつあるのかもしれないと薄々感じていたが、統計的な数字から見ると庶民の間には
必ずしもそういう傾向は見られてないらしい

ネトウヨの絶対数はほんの数%に過ぎない
大半の庶民はもう少し穏やかな、しかし行動しない人々から成り立っていると報告している
ここでの右翼とか保守的という人々の定義は、伝統的な価値を守ろうとする人々、歴史認識については独自の解釈
を優先(いわゆる歴史修正主義)する人々、民族・人種・排外主義を声高に唱える人たちのこととしている

それらの声が極端で目立つから必要以上に大きく感じられるのかもしれないとも報じている
またメディアもインターネットの影響を受けてそれぞれの経営基盤が怪しくなっているので
売れる内容の雑誌、書籍、番組を制作しなければならず、極論は注目を集め売れるので
それが極論に拍車をかけることになっているとしている

以前から問題となっている「日本会議」の影響も(庶民の)実数ではそれほど多くは無いらしい
問題なのは、庶民の生活の中の変化はゆっくりと地殻変動などは無いかのような世界では
ジェンダーギャップとか名字の選択などについても全世界的な流れになっていて
右翼とか保守(保守は野党系に対する立場として使われていて、真の意味の保守ではない)の人々の主張は
説得力は持たないにもかかわらず、それらの法律を仕切る政治家においては右翼的な数字は
馬鹿にできないことになっているらしい(日本会議に属する政治家の割合は高い)

福田有恒だったかが日本は「上からの民主主義」と言い切ったが
「ものいわない、行動しない」庶民はその事によって結果的にお上のすることを支持してしまい
欧米の価値観に基づいて導入された民主主義も、自ら勝ち取ったものではなく与えられたものになっている
つまりは日本にはこの手の行動の成功体験がない

この成功体験の無いこと、そして無闇な争い事を避けたいとする日本社会の傾向は
考えようによっては統治しやすいものになりやすい
お上を信用して従順に従ってしまうのは、長年かかって身についた習性かもしれないので
そう簡単に修正できるとは思わないが、それでもこれからは、違和感を覚えるものには物申すとか
反対の意思表示としての行動を起こすことは、将来の人々に対する現在の人間たちの責任と思える

そもそも世の中にはいろんな人がいて、いろんな感じ方や考え方が存在する
それをそれぞれが勝手に主張して、自分たちだけが正しいとするのは一方的すぎる
だから、それらの人々は左脳を使う言語による対話によって妥協点を見つけるようにしなかればならない
この妥協点を見つける行為を日本人は争いごとと感じてはいないだろうか(個人的にそう思うだけ?)
「論破」という言葉があの界隈の人たちは多用する
しかし民主主義の要件とされる「熟議」というのは論破を前提とするものではない

なんだかなあ、上からの民主主義が当たり前になっているのでこの国は
自分たちでなんとか良くしようとするとする癖ができていない気がする
そして討論に対する考え方とか技術的なものも、実は教育の時点で欠けているような気がしてならない

田舎のおっさんが愚痴っても変化はないかも知れないが
何もしないよりはマシだと思うので、、、

コメント
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