パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

外からの力

2021年04月22日 09時42分35秒 | あれこれ考えること

日本のミャンマー大使館に日本にいるミャンマー人のデモが押し寄せている
現地ではなく遠い国で声を上げて意味があるのか?
と考えてしまうかもしれないが、ミャンマーには日本企業が多く進出しているので
そこから間接的に圧力をかけて欲しいようだ

こうした政治的な思いではなく、彼らの止むにやまれる行動がわかる気がする
それはかつて自分も同じように外からの力を借りようとしたからだ
それはぼーっと生きていた自分が、一気に(政治的・社会的に)目覚めることになった事件に関係する

2015年、新城市で住民投票が行われることになった
新庁舎建設計画案が地域の規模にしては豪華に思われたので、身の丈にあったものにしてほしい
との単純な動機で始まった住民投票運動は、紆余曲折があったのち議会提案という形行われることになった
ところが、その選択肢が酷いものだった

選択肢1.市道東新町桜淵線の路線の変更を伴わない現計画の見直し
選択肢2.市道東新町桜淵線の路線の変更を伴う現計画の見直し

住民投票でこのどちらかを選べ!というのだが、この選択肢はそもそも何をいっているか
大半の市民にはわからない
わかっていたのは議決した議員と首長と市の職員くらいなもの
そこで、この選択肢による住民投票は文言を変えて行うべきと行動を起こした

その時に、外の力を借りようと思ったのだ
市外の知人にこの選択肢を送り、この選択肢が如何にわかりにくくて酷いものかを
外野の声として広がるように期待したのだ
知人にメディア関係の人物もいたので取り上げてもらうように頼んだり
他の地区の噂話でもいいからとにかく何が何でも、その時起きていることは
如何に奇妙なことかをつたえたかった
そして伝えることは選択肢を変える力があるに違いないと思い込んでいた
というより、必死だったのでできることは何でもやったという感じだ

結果は選択肢を変えるまでの流れにはならず、この選択肢で住民投票は行われることになった
ただこの選択肢のわかりにくさは、住民投票の期間(各選択肢の支持集め期間)になって
メディアの注目になって連日のように「おかしな住民投票」としてテレビ・新聞で報道された

メディアが騒ぐなら住民投票が市議会で決まった時に、その時点で騒いでほしかった
(そうすれば、選択肢も変えざるを得なかったのではなかった気もする)

止むにやまれぬ思い、自分のできることは何でもする、、
外からの力を期待するミャンマー人の思い、その切実さを
見て見ぬ振りをするのは、あのときの自分を思い返すと少し辛い

コメント
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