山に登っていた頃、カメラをもってところどころ写真を撮っていた
絵心がないものだから後でプリントされたものを見ても
何に感動して撮ったのかわからないものが大半だった
(フィルムカメラなので撮影時に確認はできない)
リュックの中には一眼レフ(キャノンEOS)とスモールサイズのCONTAX TVSをいれて
いちいちそこから取り出して2、3枚撮っては元に戻していた
面倒くさがり屋だからこの手間が苦痛だったが
そこにいた証拠として、また思い出のために、更にその場所の記憶を蘇らせるために
仕方ないと思っていた
ところが、それでは山を楽しめていないことに気づいた
いつも写真のことが頭の片隅に残っていて、今撮るべきか他の場所で撮るべきか?
などと考えていたのだ
それである時から写真を無理に撮るのはやめることにした
眼の前の驚くべき風景は、脳の中の記憶として保存しておくことにした
大事なのは記憶の中の風景で写真はおまけみたいなもの、、
そう考えることにした
すると、気持ちが楽になってより山を楽しめる様になった
写真には残っていないが、今でも思い出すことができるのは
槍ヶ岳で見た笠ヶ岳方面の朝焼け
槍ヶ岳から双六岳に向かう西鎌尾根の静寂な
ただそこにあるだけの奥ゆかしい風景で
それは思わず泣きそうになって、死んだらここに散骨してほしい!
と思うようなものだった
この他にも記憶の中にはいくつかの風景(山以外にも)が刻まれている
写真を撮るために登山や旅行に行くのではなく
頭の中に刻むために行く、、、と考えるほうが
そうやら自分の場合は良さそうだ!と思うことにした
頭の中に保存してある光景や、音(音楽)の記憶は自分だけのもの、、
こうしたものが沢山あるということが幸せなのかな、、と思ったりする