人間は視覚から情報が一番得やすい
「百聞は一見に如かず」の諺があるが
まず見ることでそれが体験として蓄積される
百聞の「聞く」方は、どうもそれほど重要視されていないようだ
最近の音楽シーンは、音楽というものの支持されるには視覚的要素が
必要となっている
なんとか48とかBTSとかは圧倒的に視覚的要素がその人気を支えている
それどころか、視覚的要素がないとここまでの人気はないと思われる
それらと比べるとビートルズは基本的に音楽だけだ
(クラシック音楽も同じだが)
演奏している姿を見せて、2時間あまり観客を楽しませる
(ときには派手な舞台演出があるが)
視覚的要素がなくても楽しむ、、
というのは今の人にとって少しばかり難しいことなのかもしれない
振り返ってみると難しいのは(小説などの)文字を読んで楽しむことだ
眼の前にあるのは文字の羅列、その羅列の中から自らの想像力で
シーンを映像化したり、観念化して脳の中の体験として定着させること
そしてそれに快感を覚えるというのは、きっと慣れが必要と思われる
同様に歌のない音楽を、音楽そのものだけで楽しむもの難しいかもしれない
純音楽と言われるその分野は音の時間経過とか音色とか
楽譜化されたものの構築感を楽しむことになるが、それらは誰にでも
同じように感じられるものだろうか
回りくどいことを言っているが、簡単な例を挙げるならば
ビートルズのアビー・ロードのB面はまとまりの良い音楽になっていて
3番目の「You Never Give Me Your Money」のテーマが
エンディングに近い「Golden Slumbers」から「Carry That Weight」
で回帰する場面があるのだが、これは自分にはすごく効果的と思えて
回帰することによって纏まりとか完成度がアップしているように思える
この回帰はビートルズの「サージェント・ペパーズ」のアルバムでも見られる
冒頭以外に「A Day In The Life」の前に、サージェント・ペパーズの歌は
「リプライズ」として演奏される
それがあることで、まとまりの良いものになっていると自分は感じるのだが
これはみんながみんな同じように感じるものだろうか
アルバムの中での纏まりは、こうしてあるメロディが回帰することで達成されるが
ビートルズが彼らの生きた姿を回帰していると思われるものもある
(アルバム内で完結するのではなくて)
「愛こそはすべて」のエンディングは、イギリス民謡のグリーンスリーブスと
なんと「She Loves You」の一部が流れる
この歌があることで余韻がより深くなる
(愛は男女間のそれだけでなく、もっと広いものと思えるように
ビートルズは進化したことを暗示しているのか?)
自分には悲しいくらい絵心がなくて写真も良いものが撮れない
そのかわり、わかりにくい文章だけのものとか
こうした音楽のちょっとしたことには気づくことができる
どうやら人にはそれぞれの得意不得意があって
視覚が圧倒的に優先される中にも、そうでない人もいるようだ
それにしても何が言いたいのやら、、、まとまらない話