雨の翌日はいつも「銀杏は滑るから気をつけて!」
と言って送り出される近所のお寺さんのお墓参り
同居人のお墓参りの日課(花の水換え)は
夏の緊急入院後は自分の役目になっている
(1日と15日は一緒に行く)
「銀杏は今どうなっている?」
と聞かれることが多いので、今朝スマホで写真を撮ってきた
絵心がないので味も素っ気もないが、だいぶ葉っぱが落ちてきた
木の方はこんな感じ
今年は腰が痛くて長く歩けないので
毎年恒例の京都の紅葉狩りは計画しなかった
テレビでは京都はとんでもない人出と報じている
だが、実感としてはたとえ人の頭ばかりを見ることになっても
京都の紅葉狩りはする価値があると思う
とにかく何かが違う
赤、黄、緑の葉っぱはが太陽の光を透かして見える様は
ため息が出てしまうほどだ
見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮
藤原定家のこの歌の紅葉で嵐山の錦繍を思い浮かべ
花は桜の満開(例えば哲学の道沿いの桜)をイメージすれば
目の前に浮かぶそれらの光景が突然消えて
眼の前にあるのは光の乏しい中の
粗末な寂しい小屋のあたりの秋の光景と
場面転換するのは、なんか凄いな、、と思う
ところで、写真の銀杏はもう少し楽しめそう
だが、お寺の人の掃除も大変だろうな、、
と現実世界もつい想像してしまう