ビートルズの「ナウ・アンド・ゼン」を聴いた感想を
世界中の人がYoutubeにアップしている
そうせずにはいられない気持ちはわかる
コーラスはビコーズから取り出したものとか
エリナー・リグビーからもサンプリングした部分があるとか
語りたい人は幾つでもネタが出てくるようだ
音楽を聞くのは車の中では聞き流しだが
普段は真面目に音楽に集中する聴き方をしている
それでないともったいない気がしている
真面目に聴くと作曲者の意図とか演奏者の気持ちとかが
脳内に湧いてきて、それは間違いのないものと思えてくる
この感覚こそが聴いている充実感だ
先日手に入れたユーラ・ギュラーのベートーヴェンの32番のピアノソナタ
やっと襟を正して集中して聴ける気持ちになったので聴いてみた
最初の和音が力強い
録音レベルのせいもあるだろうが、女性の音とは思えないほどの力強さだ
この音だけでその先が期待できた
この演奏は弱音(ピアノ)がとても効果的で、今まで聴いてきた演奏より
多様な表情があった
力強い打弦はアルゲリッチもそうだが、ユーラ・ギュラーのほうが
作品に内蔵されている力を現している気がする
そして曲全体を大きく把握している感じがフルトヴェングラーの
把握の仕方と似ているような気がした
どちらとも巨大な何かを感じさせる
(二人の現役の時代はそういう傾向の多い時代だったのだろうか)
ベートヴェンは晩年になって枯れていくのではなく
もっと巨大な構成的なものを作っているのだと思える
一楽章は弱音で終わるが、第2楽章の始まりとのつなぎがすごく自然でいい
薄明かりの中からそっと始まるような音楽
頭の中はもう少し人生を振り返るようなイメージの音楽を予想していたが
真面目に聴いていると、そうではないことがわかる
あくまでも音楽自体の秩序の中で、いろんな作曲上の技術を用いて
完成度の高さを感じられるような演奏にしている
演奏は部分部分の印象が記憶されることが多いが
この演奏では最終的に記憶に残っているのは
打弦の力強さと、弱音のニュアンスの効果的だったことと
曲の把握が大きくなされていたことと、ベートヴェンは晩年だからといって
枯れたものを創造したのではなく、むしろ巨大なものを作ったのだといった
上記にあげた印象だ
だがこれらは全く個人的な印象に過ぎない
特に一般化する必要性もないので、ただそう思っただけで終わる世界だが
それでも豊かな経験をした実感は記憶されている