パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

ウイーン2日目

2015年04月08日 02時30分27秒 | 旅・旅行
時差には少し慣れたが、いつものように夜中に眼が覚めるのは歳のせいか
ウィーン2日目
ホテルの近くにアン・デア・ウィーン劇場があった
魔笛で儲けたシカネーダーが作ったのが始まりらしい
ベートーヴェンのフィデリオ、クロイツェルソナタなどが初演された?らしい


このような劇場が自己主張することなく
周囲に溶け込んで当たり前のように存在している
近々にフィガロの結婚があるが残念ながら見ることはできない

その劇場の前にあるのがナッシュマルクト

数百メートルにわたっての青空市
こういう普通の生活シーンが面白い
やたら目につくのはチーズの店

買ってみたいが購入しても保存が心配でパス

野菜、フルーツの店がカラフルできれい

香辛料の店、パンの店、肉、魚の店
なかなか興味が尽きることはない

この後マリアテレジアプラッツに向かう


長すぎるフライトに飽きて足元にあった
オーストリアを紹介する本にマリア・テレジアが紹介されていたが
ウィーンの重要なポイントにマリア・テレジアの像が建てられ
名前を冠する場所はあるのに納得した

この人現実的にハプスブルク家とウィーンを守った人なのだ

この像の直ぐ近くに美術史博物館がある
約40年前訪れた時の記憶を辿れば
2つだけ覚えていることがある

ひとつは階段が広くて開放的だったという事
そしてもうひとつはブリューゲルのバベルの塔があった点
2つしか覚えていないのは情けないが、仕方ない

入るといきなり階段に圧倒された
石という素材の持つ存在感
時間をかけてしか作りようのない建物
日本の建物が大きな建物を思い出しても
やはりスケールが違う


しかし、広すぎる、展示が多すぎるこの美術館
結局直ぐに疲れてしまった

大きな絵画はいったいどうやって描き進めるのか
どのくらい時間がかかったのか
その細部まで描きこんでいるのは才能か執念か
それとも使命感か

人間が成しうる壮大な目論見
それらがここで見られる
しかも時間を繋いで

こういうものを見ると
西洋人の積み重ねてきた経験、知識、
体系というのはとてつもないものと感じる

現在ではみんながみんな知識人ではないとしても
ベースにこういうものがある事実には変わりない

ヒューマニズムとは
人道的なと言った感情的なものではなく
人文学を学んでいる人の総合的な判断のなせる技
というのが本来の使い方とある本で読んだが
なるほど、ヨーロッパの世界はそうかもしれないと再確認

自分の考えていることは所詮思いつきにすぎない
と少し凹んでしまう

ヨーロッパ人がヘーゲルの哲学体系や
バッハのフーガの技法のような複雑なものへの挑戦
そういう時間と根気を要するものを
成し遂げていく気力、体力に今更ながら驚く

人は何を成しうるか?
無限!
フトそんな気さえする
日本で感じる自然の偉大さに比べ人には限界がある
といった思いは、ここではあっさり吹っ飛ばされそうだ

午後からは前回の訪問時には休館だった
ハイリゲンシュタットのベートーヴェンハウスに再挑戦

道はなんとなく覚えているので順調に進んだが
オープンしている時間は朝と昼は2時から
2時までには時間があったので前回同様にベートーヴェンの小径を散策


時折鳥の声が耳に入って田園を作曲した時の
ベートーヴェンが想像できて満足
ただし彼は聞こえなかったかも?


ベートーヴェンハウスは小さな家だった

14番の後期の弦楽四重奏曲が流れていた
展示品は少しだけ、1番印象に残ったのはデスマスク
この人は職人の顔をしている
何故かそんな思いが浮かんだ

歩き疲れた感じがするのでiPhoneのアプリを見ると
14キロ以上歩いている

少しオーバーペース?

明日は(今日は)シュタッツ・オパーでパルジファル
体力を温存しておかねば、、、


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