近場の桜の名所、新城桜淵公園へ歩いて行ってきた(昨日の日曜日)
自宅から往復で2.5キロ位で運動にもならない距離だが、少しづつ楽したい気持ちも芽生えてくる
でも駐車場代がもったいないという現実的な理由が、最近家計簿をつけてるので気になって仕方ない
晴れてると思いきや急に曇ったり、パラパラしたりの変な天気で、公園の滞在時間はほんの少しだけだった
桜の満開はまだまだで、今週末にいろんなイベントを企画している人たちは一安心といったところ
花より団子というものの、花がないと馬鹿騒ぎする気分になれないかもしれない
この日は宴会をしてるグループは少なかった
橋を渡りながら自分が小学生の頃は渡し船があって、高校野球のラジオ放送が流れて
何かしらウキウキしていたことを思い出した
見慣れた景色は余り驚くことがなく、結局は行っただけ、ウォーキングしただけに終わってしまった
でも日に一回くらいは何かに驚くことがあるようで、昨日軽いショックを覚えたのはこの本の価格
500ページの文庫本が400円
昭和56年5月15日 7印 とある
なんと安いことか、、その当時の他の物価と比較すると必ずしも安くはないかもしれないが
それでもこの数字は、単純に驚く
そしてもう一つ驚いたのは、この濃厚な小説、誰もが喋りまくるような重層的な小説が
実は短い章のいくつかに分かれていて、案外読みやすいかもしれないと思えたこと
ページ全体に段落もなく活字が埋まっているのはパッと見てうんざりするが
読み始めると思いの外今の頭の中にはすんなり入っていくのは意外だった
カラマーゾフの兄弟は演劇でも映画でも見たことがある
演劇は豊橋で行われたが、確か浜畑賢吉が出ていたくらいのことしか覚えていない
映画は大学時代の学園祭か何かで見たような、、、
これも覚えているのはイワンが幻想のなかで悪魔と対話するシーンと雪深いロシアの風景くらいなもので
昔の記憶はしっかりしているというパターンからすっかり外れている
この本を引っ張り出して再読しようとしたら、偶然見かけた昨日のパネルクイズアタック25で
「ドミートリイ・イワン・アリョーシャの登場する小説はなにか?」
との問があって、その偶然の一致にこれまた驚いた(答えはカラマーゾフの兄弟)
時々経験する共時性(シンクロニシティ)のパターンで、これはもう再読するしかないだろう
「失われた時を求めて」に挑戦したときも、このような共時性によるきっかけがあった
しばらくの間ハマった感のある源氏物語の世界から、ようやく離れるきっかけになれるかも
(近々宇治にいく予定をしているが)