パンセ(みたいなものを目指して)

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「自由からの逃走」と「孤独な群衆」

2012年10月26日 20時53分57秒 | 

いやあ、面白い
面白いという軽い意味合いではなく非情に興味深い
今読んでいるのは「事由からの逃走」エーリッヒ・フロムの著作

この本、実は大学時代の生協の本屋で見かけたような気がする
タイトルだけは何故か記憶に残っている
読み始めて、こんなに洞察力・現状把握・検証に富んだ本だとは思わなかった

自由と孤独
そして知らないうちに追従の暮らしを選んでしまう可能性
それは確かにあり得ること

カラマーゾフの兄弟の大審問官でも
大衆は完全な自由など望んでいないと
うそぶくところがあったが、ホント、、完全な自由など
しんどくて仕方ないのかもしれない

まだ読み始めたところ、ワクワクしながら読んでいけるのが嬉しい

もう一つの「孤独な群衆」
これは一度読んだことがある
読み終わって直後、もう一度読み直さなければ!
と思った一冊

これも、どこか先ほどの「自由からの逃走」と
合い通じるところがある
時代の、環境の変化によって人間性が変化していく
それを洞察力に富んだ心理的な分析を交えて解いていく

それにしても、一見自由と民主主義の世界とされている
今の世界は、実は非常に住みにくい世界だといえる
全員が勝者(経済的な)を目指し、闘うと言えば聞こえがいいが
その実、どこか人間として不自然なところがある

それは(日本ではあまり疑うことのない)資本主義の欠点・弊害かもしれない
正直、この点についてもう少しあるべき姿をイメージして
社会を捉えなおさないと、なんともならない時期に来ている気がしてならない

このまま1%の権力・財力・発言力を持った人たちだけの
話を聞いて社会が進んでしまうと
本当にやばいことになってしまう

「そのように話す人がいるが、世界を変えるほどではない」
こうした状態が続いて、いつの間にかもっと住みにくい世界に
なってしまうとしたら、その責任は一体誰にあるのか?

リードした人たちだけではないだろう
甘んじてその状況を受け入れている人たちだけに責任があるのではない
むしろ、その矛盾に気づいた割合恵まれたポジションにいる人が何かすべきだ
ノブレスオブリージュ
それを実行できる人間性
今の日本に世界に、そして特にアメリカに期待するのは
無理なことなのだろうか?

 

 


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