あれとこれとを結びつけて考えるのは、年齢を重ねると増えてくる
それは実体験から身につくことだが、個人的なものなので
万人に説得力があるとは限らない
少し前に読んだ「プロパガンダ」にはこのような文章があった
ああ言えば、こう言う世界のことで、中立公平な機関とみなされているところでも
現実はこのような傾向が見られるようだ
この文章と結びついて思い出したのが
最近読んだ「歴史とは何か」E.H.カーの中の以下の文章だ
カーは、経済学者は計量経済学の、哲学者は論理学や言語学の
文芸批評家は文体的テクニック分析の陰へと身を隠していると指摘する
どのように結びついているかは自分の感覚でしかないが
詳しくなればなるほど専門性の中においての議論に終止し
それは一歩間違うと、人の感情と離れた結果になってしまいそうということ
言葉と言葉の戦い、魂と魂の云々
これは昨日ニュースにもなった出来事の中からの抜き出しだが
ちょいとへそ曲がりな自分は、これに心を動かされなかった
人としてあるべき姿はわかる
上杉謙信が武田信玄に塩を送ったのもその範疇の話だ
だが、人としてこうあるべきを公然と恥ずかしげもなく建前論で言われると
何処かに違和感を覚えてしまう
言葉はそもそも上段にあるようにディベートの技術論によって
確固たる結論を出すことは出来ない可能性がある
その世界の人達だけが理解できる社会や解釈が通用するだけで
一般人には縁遠い理解というのはあるもので
それは一般人の知識不足や理解力不足のせいもあるが
一方で専門性に特化した非現実的な世界のためでもありそうだ
こうした専門家の建前の世界観の中で消化されているだけで良いのだろうか
人は何を言ったかではなくて
何をしたか、あるいは何をしようとしたか!
で判断されるべきだと思う
と、何やら訳のわからないことを愚痴っているが
この内容は、数年後に読み返しても自分は何を言いたかったのかは
覚えていると思う
人がわからなくても、自分はわかる、、
これは自分の備忘録として残しておこう
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