今日は休み
(もっとも毎日が休みのようなものだが)
たまには真面目な考察を!
(そんな大げさなことではない?)
先日17日のポール・マッカートニー公演が中止になって
ホテルでテレビを点けた時やっていたのが
吉田照美と中村雅俊が出ていた番組
テーマは集団的自衛権
他に安保法制懇座長代理の北岡伸一氏とジャーナリスト
この北岡伸一氏と言う人の説明・解説がある意味すごい
それを受け入れるか、納得するかは別として
単純に言葉の上、議論だけの勝負なら
なかなか論破するのは難しい
確かに、聞いていて理屈の上ではそうかもしれない
と思わないでもなかったが
どうも心のなかにモヤモヤが残る
そのモヤモヤを消し去る質問は残念ながら
他の出演者からは出なかった
考えてみればそれは当たり前のことかもしれない
何故なら北岡伸一氏は、そのことばかり考えている
そしてテレビで質問される内容も想定内で
充分答え方を熟慮・検討した中で答えることができるようになっている
それで少し時間たった今、振り返ってモヤモヤの原因を
自分なりに考えてみた
あの時出たのが、歴代内閣が踏襲してきた集団的自衛権の解釈を
時の内閣の解釈で変更するのは
立憲主義に反しないか?
よくある質問に北岡伸一は
周りの環境が当時と今とはすっかり変わってきている
中国の防衛費の増大、北朝鮮の核開発
緊張状態は東西冷戦が無くなって以来
ここ最近は冨に高まっている
抑止力は現実的には軍事力のバランスから生み出されるもの
積極的平和主義はそういった面ももち
こういった意味で国民の平和を守る姿勢は
なんら立憲主義に反することはない、、、
だったかな、とにかくこんな調子の話だったと思うが
こんな調子で出てくる質問全てに
待ってましたと言う感じで自説をスラスラと述べる
確かにそのような解釈も存在するのは事実
しかし肝心なのはそれを認めるかどうかということ
気分的にどうも納得出来ないのは
官僚と言う人達の考え方の癖がそこには存在しているのではないか
と思ったりした
官僚さんたちは言葉の上での整合性を求める
そしてそれは微に入り細に入りこだわっており
専門性と特殊技術を要し、感情の入り込む余地は無いくらい
となっている
しかし、この感情の入り込む余地のないくらいというのが
大問題で人間解釈の面での考察がかけているように思えてならない
つまり人間には感情、欲望、嫉妬、競争心、プライド、面子、
本来法律とは無関係の要素が多分に存在し
実は法律を司る理性よりもこうした一時期の感情に左右されることのほうが
多いのが人間という、人間の不完全さを前提とした議論がなされていないのではないか
ということ
積極的平和主義は軍事力のバランスからなるのではなくて
それ以外のヒューマニズムに基づいた一見理想主義、
夢みたいなものから導かれるべきもの
北岡伸一氏は冒頭 安倍さんの記者会見はエモーショナルだった
と述べた
安倍氏はエモーショナルだったからこそ妙な説得力があったかもしれないが
北岡伸一氏からすれば、もっと理性的に説明できたはず
の思いもあったのではないか
そこで話は飛んで、安部首相のあの記者会見の原稿
あれは誰が書いたのだろうか
安倍さん本人?それとも誰か別の人?
この手のことに対する知識がないので分からないが
安倍さんであったなら、忙しい中で作成したということに関しては
ご苦労さんと思うが(内容は別)
別の人が書いたのだとしたら、実は安倍さんですら
そういう人たちの手中に落ちてはいないか
ということが心配になる
と言うのはサンデープロジェクトと言う番組で
岸井成格さんが集団的自衛権については
長い取材活動で分かった来たことは
外務省にイラン戦争時の我が国への各国の低評価が
トラウマになっているのではないか
その恥を晴らすこと、また恥を追わないようにすることが
外務省としては必要と考えているのではないか
と述べていたが、それで少しわかったような気もした(何が?)
だからこそ外務省は自分たちが面子を潰されない対応を
国に求めたと考えると、自分たちの考えていることが
上手いこと安倍さんの希望と合致しただけではないのか
北岡伸一氏も、外務省も、安倍さんも真剣に考えている
それは認めざるをえない事実
自分の仕事の範囲内で、テクニカルな面で
しかし、どう考えても最終判断者として彼らを是とするには
何かが足りない
それが先ほど述べた部分
不完全な人間に対する実感がない部分
全人格的なオーラが感じられない部分
これは印象だから自分ではわかっていても
みんなに分かるようには伝えるのは難しいし
自分が余りにもロマンティスト、夢想主義すぎるかもしれない
政治は現実、結果で動いている
こういう人たちの言葉には木っ端微塵に粉砕され
検討の余地もないほどの些細な思いかもしれない
しかし、最後に必要なのは絶対全人格的な判断
人間力だと確信しているし、そう信じたい
いつの間にか知らないうちに
ドイツがコントロールできるはずだった
ヒットラーに支配された歴史
それを繰り返してはならない
最近の政治はホント不安
いつまでも傍観者ではいけない時期に来ているのかも
(もっとも毎日が休みのようなものだが)
たまには真面目な考察を!
(そんな大げさなことではない?)
先日17日のポール・マッカートニー公演が中止になって
ホテルでテレビを点けた時やっていたのが
吉田照美と中村雅俊が出ていた番組
テーマは集団的自衛権
他に安保法制懇座長代理の北岡伸一氏とジャーナリスト
この北岡伸一氏と言う人の説明・解説がある意味すごい
それを受け入れるか、納得するかは別として
単純に言葉の上、議論だけの勝負なら
なかなか論破するのは難しい
確かに、聞いていて理屈の上ではそうかもしれない
と思わないでもなかったが
どうも心のなかにモヤモヤが残る
そのモヤモヤを消し去る質問は残念ながら
他の出演者からは出なかった
考えてみればそれは当たり前のことかもしれない
何故なら北岡伸一氏は、そのことばかり考えている
そしてテレビで質問される内容も想定内で
充分答え方を熟慮・検討した中で答えることができるようになっている
それで少し時間たった今、振り返ってモヤモヤの原因を
自分なりに考えてみた
あの時出たのが、歴代内閣が踏襲してきた集団的自衛権の解釈を
時の内閣の解釈で変更するのは
立憲主義に反しないか?
よくある質問に北岡伸一は
周りの環境が当時と今とはすっかり変わってきている
中国の防衛費の増大、北朝鮮の核開発
緊張状態は東西冷戦が無くなって以来
ここ最近は冨に高まっている
抑止力は現実的には軍事力のバランスから生み出されるもの
積極的平和主義はそういった面ももち
こういった意味で国民の平和を守る姿勢は
なんら立憲主義に反することはない、、、
だったかな、とにかくこんな調子の話だったと思うが
こんな調子で出てくる質問全てに
待ってましたと言う感じで自説をスラスラと述べる
確かにそのような解釈も存在するのは事実
しかし肝心なのはそれを認めるかどうかということ
気分的にどうも納得出来ないのは
官僚と言う人達の考え方の癖がそこには存在しているのではないか
と思ったりした
官僚さんたちは言葉の上での整合性を求める
そしてそれは微に入り細に入りこだわっており
専門性と特殊技術を要し、感情の入り込む余地は無いくらい
となっている
しかし、この感情の入り込む余地のないくらいというのが
大問題で人間解釈の面での考察がかけているように思えてならない
つまり人間には感情、欲望、嫉妬、競争心、プライド、面子、
本来法律とは無関係の要素が多分に存在し
実は法律を司る理性よりもこうした一時期の感情に左右されることのほうが
多いのが人間という、人間の不完全さを前提とした議論がなされていないのではないか
ということ
積極的平和主義は軍事力のバランスからなるのではなくて
それ以外のヒューマニズムに基づいた一見理想主義、
夢みたいなものから導かれるべきもの
北岡伸一氏は冒頭 安倍さんの記者会見はエモーショナルだった
と述べた
安倍氏はエモーショナルだったからこそ妙な説得力があったかもしれないが
北岡伸一氏からすれば、もっと理性的に説明できたはず
の思いもあったのではないか
そこで話は飛んで、安部首相のあの記者会見の原稿
あれは誰が書いたのだろうか
安倍さん本人?それとも誰か別の人?
この手のことに対する知識がないので分からないが
安倍さんであったなら、忙しい中で作成したということに関しては
ご苦労さんと思うが(内容は別)
別の人が書いたのだとしたら、実は安倍さんですら
そういう人たちの手中に落ちてはいないか
ということが心配になる
と言うのはサンデープロジェクトと言う番組で
岸井成格さんが集団的自衛権については
長い取材活動で分かった来たことは
外務省にイラン戦争時の我が国への各国の低評価が
トラウマになっているのではないか
その恥を晴らすこと、また恥を追わないようにすることが
外務省としては必要と考えているのではないか
と述べていたが、それで少しわかったような気もした(何が?)
だからこそ外務省は自分たちが面子を潰されない対応を
国に求めたと考えると、自分たちの考えていることが
上手いこと安倍さんの希望と合致しただけではないのか
北岡伸一氏も、外務省も、安倍さんも真剣に考えている
それは認めざるをえない事実
自分の仕事の範囲内で、テクニカルな面で
しかし、どう考えても最終判断者として彼らを是とするには
何かが足りない
それが先ほど述べた部分
不完全な人間に対する実感がない部分
全人格的なオーラが感じられない部分
これは印象だから自分ではわかっていても
みんなに分かるようには伝えるのは難しいし
自分が余りにもロマンティスト、夢想主義すぎるかもしれない
政治は現実、結果で動いている
こういう人たちの言葉には木っ端微塵に粉砕され
検討の余地もないほどの些細な思いかもしれない
しかし、最後に必要なのは絶対全人格的な判断
人間力だと確信しているし、そう信じたい
いつの間にか知らないうちに
ドイツがコントロールできるはずだった
ヒットラーに支配された歴史
それを繰り返してはならない
最近の政治はホント不安
いつまでも傍観者ではいけない時期に来ているのかも