パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

彼女は何歳なんだろう?

2022年10月21日 09時14分51秒 | 徒然なるままに

ウクライナ戦争、統一教会、円安、物価高など気の滅入ることが多いので
たまにはお気楽な話を!

秋になるとよく流れる音楽に「秋桜」がある
さだまさしさんが山口百恵さんに提供した歌で
翌日に結婚する娘の視点で母のことを歌っている
(作者本人の歌もさらってしてなかなか良い)

ところで、いつも思うのは、このお母さんの年齢はどのくらいだろう
ということ
どこか達観しているようなところがあるお母さんの
その精神的な境地に達するには時間を要すると思うが
娘を嫁に出す母は実はそんなに年齢がいっていない事が多い
だから、イメージ的には問題ないが実態の世界は少し違うような気がしている

いい意味で、歌はイメージの世界だなと思う

もう一つ、さだまさしさんの歌に関して
グレープ時代の歌に「精霊流し」があるが
この歌にある亡くなった人と語り手人の年齢はどのくらいが適切なのだろう
語り手は女性っぽいが、しっかりしていてあまり若すぎることもなさそう
ところが「私の小さな弟がはしゃぎまわる」とあるから
常識的にはそんなに年齢の離れた兄弟は少なそうなので
結構若いかもしれないとも言える

こんな風に無理やり現実世界と合わせて考えることは、
きっとこういう世界に関してはよくないことなのだろう
物語とかフィクションを楽しむのは、
無理に現実に照らし合わせるより、イメージそのまま素直に楽しむのが良いのだろう

これは歌の世界に限らず、実生活の上でも必要なのは
こうしたイメージを浮かべる力とか想像する力なのではないかとの思いに繋がる

人は共感する生き物との言葉がある
ところが最近の社会は、その共感がどこかないがしろにされているのではないか
権威主義的であったり(その地位に自分がいると思ったり)
他人を責めて不安定な自己を守ったり、
他人の知らないことを話すことによって煙に巻いたり
つまりは、不毛な情報の交流が多すぎると思う

人の善意や悲しみを素直に感じられるような社会を守るには
実は安定した社会が必要なのだと思われる
その点では、今はちょいと不安が募る社会だ(と思う)

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集合知はすごい!

2022年10月20日 09時52分57秒 | あれこれ考えること

新聞でも扱われているが、昨日の国会では大きな出来事があった
宗教法人の解散命令の要件に民法の不法行為も含まれる
と解釈変更を政府がしたのだ
今までは、オウム真理教のときに刑事での解散命令の判例をもとに
刑法のみとしていたのだが、一日で全く反対の解釈をすることとなった

朝令暮改と野党は変更に対して批判をするが
現実はこれで前に進みそうなので、あまり批判はしないほうが
野党にとっても得だと思う

これはそもそも刑法のみとする宗務課(?)の解釈がおかしいのであって
法令を素直に読めばどんな法律も含まれると判断できそうで
既に一般論として法令の言葉が使われる時は、すべての法、強制なども
含まれるとした解釈がなされていたし、弁護士連が刑法のみではないとする
要望書を長年提出し続けていたらしい

問題は朝令暮改ではなくて宗務課(?)のアップデート出来ていないところにありそうだ
(これは国だけでなく、地方自治体でもありそうなこと)

話は変わって、国会の質問は与党より野党の質問の方が面白い
争点がハッキリするためだが、それにしても国会議員は元の職が官僚である場合は
法律的なものもしっかり把握してるし、官僚の考えそうなことも理解できるので
かなり現実的な質問ができる
また弁護士出身者も論点整理とか戦い上手なところもあり
これもいきなり国会議員となってもそれなりに期待できる

ジャーナリスト出身の人もかなり詳しいが、これだけの法的な知識
社会的な背景の把握等は、素人が安易に政治家になろう思うだけでは難しそうだ
つまりは政治家になるのは、当選するだけの票が必要の他に
ある程度の資格が必要のような気がする

となると、法に詳しいとか、政治家になれる人が限定されるので
それで良いのか?が問われるところかもしれない

政府の解釈が変わったのに影響を与えたかどうかはわからないが
最近のSNSの情報量は凄い
いわゆる集合知と言われる、みんなが知恵や知識を出し合い、それが共通認識となり
そして大きなうねりを生み出す
昨日の場合は「民法も含まれる」とする考え方の方が自然であるとされる考えが
SNSでは早くからでていた
それも根拠のない感情的なものではなく、ちゃんとした根拠のあるもので
それらを見てるだけで、自分自身が賢くなったような気さえした

ということで、田舎のおっさんの聞きかじりのような理解の仕方だが
つくづく思うことは、法は象牙の塔に中で終始していてはあかんな!
ということで、ある程度の社会(世論)も考慮しないとまずいのではと思う

それがポピュリズムなのか、そうでないのかは難しい問題だが
これはいつになってもスッキリ分けられる問題ではなさそう

SNSは荒れることが多く、ヤフコメはそれでページビューを稼いでいる
みたいなところがあるらしい
だが今回の様に役立つ情報も拡散される
出来ることならSNSは憎悪を煽る感情の発露よりは
良い情報の交換の場であってほしいと思う



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「買い物の勘が狂った」というニュースを見て

2022年10月19日 08時47分48秒 | 徒然なるままに

先程のテレビ番組で、主婦の勘が狂い始めたとのニュースがあった
買い物に行って、このくらいだろうと思ってたのが
予想外に多くかかってしまったという(声が多いという)のだ

確かにそれは実感する
でも自分が嫌なのはステルス値上げ
(同居人は覚えられないのでストレス値上げとつい言っている)
薄くなったり、上げ底になっていたり、グラム数が減っていたり
こうした工夫とか我慢の仕方はちょっと違うのではないか!と思う

日本人とロシア人の共通点は、我慢強いことだと言った人がいる
経済封鎖で困った状況にあるロシア人は、仕方ない工夫して我慢しよう
と考える人は少なくないとか、、
今の日本人も似たようなところがあるのではないか
(適度な我儘は、過度な我慢より結果的に生産的かもしれない)

母方の祖父はメモ魔だった
家計簿を男のくせにしっかり残していた
(母の娘時代の給料もそのメモの中にあった)
今もそれがどこかに残っていれば社会的に貴重な資料になるのだろうが
残念なことに、それは母のメモ魔という遺伝の形でしか残っていない

自分もとりあえずスマホのアプリとPCのエクセルで
月々の出勤を管理している
こうして記録すると自ずとケチになるし、黒字を少しでも増やそうとする

それにしても電気代、、高いな
先日縦軸の数字を変えることが出来た電気代のグラフは


確かどこかの月はポイントを使って、1000円以上安く抑えた気がするが
それはメモに残っていなかった

ということで、今日の内容は記録として現在の社会状況の紹介
今は外に出かけず、世間の様子も知らず、比較することもないので
自分に欠乏感はあまり感じない
だが、これは良いことなのか、、それとも活力がないことなのか、、果たして


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マーラーの音楽と村上春樹

2022年10月18日 09時05分24秒 | 音楽

自分が参加しているSNSのグループにブロムシュテットの指揮した
マーラーの9番が名演だったとの投稿があったので
しばらく聴いていないこの曲のレコードを引っ張り出して聴いてみた

マーラーの弟子(?)のワルターの指揮した演奏だ
この曲は高校時代にはよく聴いた
ただし、第1楽章だけだ
ベルクが言ってるようにこの楽章は傑作だと思うし
あとの楽章はいらないとまで思ったこともある
一般的な評価では第4楽章のアダージョが生との別れを感じさせるイメージで
感涙とまでの声が挙がることが多く、ブロムシュテットの場合もそうだったようだ

この曲を聴くといつもマーラーの音楽は長編小説のようだと思う
音楽自体の内的な戦いというよりも、音で表現されるドラマが目の前で
展開されるような気がする
昨日は「村上春樹の小説のようだ」と不意に頭に浮かんだ
そして、それは的確な例えだと妙に納得してしまった

一見深いようで、実は結構エンタメ的な要素の多い作品
ウケと切実な表現意欲のせめぎ合い
マーラーの音楽は、それを感じてしまう(村上春樹も)
1楽章と4楽章だけを聴いたが高校時代のようには圧倒されることはなかった

次に同じワルターの指揮のブルックナーの9番を聴いてみた


これは第3楽章だけ聴いた
マーラーの9番の第4楽章とブルックナーの9番の第3楽章は始まりがどこか似てる
と言ってもすぐに彼ら独自の世界に移るのだが、ブルックナーの音楽は
ウケ狙いは少しもなく、彼自身の世界観に終始する
(マーラーは感情的・情緒的でブルックナーは音に帰依する感じ)
マーラーの指揮者として有名なワルターはブルックナーをどのように指揮するか
それが興味の一つだが、昨日不意にワルターはブルックナーを
マーラーの曲のように指揮していると感じた
それは有名な「生からの別れ」と名付けられたチューバのところだったような気がするが
違っているとしても、そう感じたのは確かだ

マーラーが村上春樹と似てるなら、ブルックナーの音楽はどの小説家に似てるのだろうと想像してみた
読みやすい作家は思い浮かばず、むしろ独自の世界観の難しそうな、しかし一旦その世界に入ると
抜け出せないような作家が似てるのではないか、、などと勝手に想像した
(ドストエフスキーかな、、、)

ということで、いろいろ勝手に思うことあれこれ
そして改めて確認したのは自分はブルックナーが好きだな、、ということ
世間のアンケートでは嫌いな作曲家の一番をキープし続けているらしいブルックナー

ヴェルデヴェーレ宮殿内の彼の最期の家を訪れた時は、そこには人影は見えなかった
可愛そうなブルックナー
でも2024年には彼は生誕200年を迎える
それまでに彼の評価は変わっているだろうか?


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サッカーの神様の匙加減

2022年10月17日 10時01分29秒 | サッカー

天皇杯決勝が元日ではなく昨日行われた
サンフレッチェ広島対ヴァンフォーレ甲府
J1で3位のチームとJ2のチームとの戦いだ
NHKの囲碁を見てから、そのままダラダラとこの試合を見始めた

下剋上があるとしてもそんなに続かないだろうと予想した
(甲府は準決勝で鹿島を破っていた)
なんだか落ち着かない試合だった
ゲームが切れてチームの意図というものがあまり感じらなかった

こういうのは甲府のペースなのかな?
と思っていると、CKからデザインされたプレーできれいに甲府が
先取点をあげた
時間はまだしっかりあるので広島は焦ることはないというものの
試合自体はいつまで経っても散漫とした感じだった

見続けるのが退屈になって、一旦読書に移った
それでも気になるので、終わりくらいの時間に再びテレビを点けた
ゲームは1対1になっていた
残り時間がない中で甲府は長年このチームで活躍していた
42歳の選手(山本英臣)に交代した

すると、サッカーの神様は奇妙な演出をした
広島の選手が縦パスをだすと、ペナルティーエリアで代わったばかりの
その選手がハンドをしてしまった
意図的と言うより当たってしまったという感じで
腕が身体から離れていたのでPKは仕方ない
何故こういう時サッカーの神様は、いままで頑張ってきた選手に意地悪をするのだろう
今までも世界中で繰り返されたこうした例を思い出した

広島のキッカーは今年活躍した気の強そうな満田選手
これで決まりか!と思ったが、GKは右に飛んでゴールを防いだ
ハンドをした選手のホッとした表情がテレビに写った

結局、勝負はつかずPK戦となった
先攻は広島でまずは3人づつ冷静に決めた
4人目の広島は後半同点弾を決めた川村選手だった
こういうときは、その試合に活躍した選手が残酷な運命になることが多いから、、
そんな風に思っていると、その予想通り止められてしまった

そして甲府の勝負を決めるキッカーは先程ハンドをした42歳の選手で
彼はその大役を見事に果たし、天皇杯はJ2のヴァンフォーレ甲府が勝者となった
テレビ画面には喜ぶ甲府の山本英臣選手と
試合の中でPKを止められてしまった満田選手の泣き顔が画面に写った

勝つのは偶然があるが、負けには理由がある
ある勝負師が残した言葉だが、それでも何か偉大なものの匙加減(運不運)は
なぜかはわからないが、あるものだ、、
とその思いをまた確認した

PKを止められた満田・川村選手にはまだ時間がある
いつかこの経験を活かす時が来るのを見越して
残酷な、そして優しいサッカーの神様は
この結末を演出したのだとさえ思えてくる



 

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前は出来たのに(グラフの縦軸の変更)

2022年10月16日 09時08分37秒 | 徒然なるままに

今年になって電気代が高くなっている
メモ魔の同居人に習って10年くらい前から月々の電気代は
エクセルに残している
それを見比べると月当たり約3000円くらいのアップだ

一番の要因はロシアのウクライナ侵攻の影響だろう
数字だけだと見にくいので折れ線グラフにしてみた
確かに今年は最初から高い位置からスタートしている
グラフの縦軸は0円から始まっているので
それを7000円くらいにしてみようとした

ところが、そのやり方がわからない
少し前に縦軸のスタートの数字を変えた事があるので出来るはずだ
確かスタートの数字を入れて、、、

なのに、その画面がでてこない
試行錯誤しても一向にその画面にお目にかかれないし
どうやったのか、さっぱり思い出せない
こうなるとイライラが募るいっぽう
おまけに情けなくなるばかりだ

前は出来たのに、、
段々こういったことが多くなる
老化というのは、こんな風にやってくるのだろうか
まだ悔しがってるうちは良いかもしれないが
そのうち、悔しさも感じなくなるのだろうか?

それにしても、スッキリしなくて気持ち悪いままだ!

※しばらくあれこれやってたら出来た
ただし、どうやったのかわからない  余計落ち込みそう

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持ち主が変わってしまった猫

2022年10月15日 11時38分40秒 | 徒然なるままに

ミュージカル「Cats」は好きだが、猫そのものはそんなに好きじゃなかったが
最近は、あの自分勝手なところが良いように思えてきた
(ツイッターの猫の写真で癒やされている)

我が家はずっと犬も猫も飼っていない
埼玉に嫁いだ妹の家庭もそうだった
ところが妹の家にいつもやってきて、我が物顔で時間を過ごす猫がいた
飼い主の家よりも居心地が良いのか、まるで居候の存在だったらしい

何年もこうしたことが続いて、ついに猫の飼い主は
妹たちに猫を譲ることを提案した
妹たちはそれで猫との生活を始めた

よほど相性が良かったのか、猫は幸せな生活を続けたようだ
子どもも離れて寂しくなった家庭には、ちょいと手間がかかる分
妹の家庭では愛おしさが募ったようだ

生活は猫中心になって妹が帰省したときは、自宅待機のパートナーに
電話で猫の様子をいつも聞いていた

猫は年寄で段々悪いところが増えてきた
病院に行ったり、薬を飲ませたり、その他いろいろのことを行ったようだ
自分たちの食事代よりもお金がかかる、、ということもあったようだ

でも、それは面倒くさいことだったのか?
彼らを見ていると、むしろそのことで共通の話題がいつも存在し
一体感が常に存在する様になった気がする

おばあさん猫は数年前眠りについた
猫はきっと幸せだったと思う
犬や猫は、飼ってくれる人次第だ
これはいつも思う

我が家の近くでも、朝にはいつも散歩で犬を連れていた人がいた
最近見かけないので聞いてみると、おばあさん犬で老衰で(?)亡くなったとのこと
「代わりに飼うことはしないのですか?」
と聞くと、自分の寿命のほうが短いかもしれないのであの犬で最後にしたとのこと

よそから見ているだけだが、あの犬もきっと幸せだったと思う
小さな命を大事にしていた人々は、例のサタンに睨まれて
不幸なことにはならないと思う





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ミロの絵に似てるみたい

2022年10月14日 19時06分45秒 | 徒然なるままに

ものすごく嬉しかったことを思い出した
3年ほど前、近所のちびっこが「遊ぼう!」と誘いに来た時のことだ
お姉ちゃんと弟くんは、水で道路に絵を書いた
それがこれだ

これらはどうやら自分の顔らしい
彼らの頭の中には自分がどのように見えているのかわからないが
この絵を見て驚いた
なんだかミロの絵みたいだ

無邪気に描いてくれたのが嬉しかったが、この絵自体も好きだ
(なんか迫力がある)
今はスマホで残しておけるので、早速撮影しておいた

この絵を描いてくれたお姉ちゃんも弟くんも
今はこの絵のことは覚えていないだろう
(お姉ちゃんは朝の挨拶すら恥ずかしそうだ)

月木の朝のちびっこ達との小学校までのウォーキング
彼らは「おじさん何歳?」と聞く
「当ててみな」と言い返すと
彼らはとんでもない数字を連呼する
「20歳?」「違うよ」「30歳?」
結局彼らは年齢というものが意味するものは全然理解していない
ただ知ってる数字を口にしてるだけだ

時々、隠れていたところから「ワッ」と脅かしてみたり
道中にしりとり遊びをしてみたり、自分を全然大人扱いしていない
(それでいいいと思うし、それが嬉しい)

たまたま昔の写真を見ていたら、この写真が目についたので
思い出に浸ってみた

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ジュルジュル柿

2022年10月13日 09時38分28秒 | 徒然なるままに

「柿の木街道」と名付けられた新城と豊橋をむすぶ道がある
秋のこの時期になると無人販売の店が道の左右に並ぶ
大半が一袋300円で、ちょっと傷ついたものが5.6個入っている

昨日、豊橋に出かける用事があって信号の少ないこの道を使った
信号の少ない田舎に住んでいると、現役のころは当たり前の様に感じていた
街の信号の多さが気になってしょうがない
燃費も悪くなるし、何よりも走ったり止まったりが不快だ

「買っていこうか!」
と同乗者に声をかける
いつも買うところは決まっている
何年も前から続けていても、買う場所は3箇所くらいで固定している
こういう時、人は保守的だな、、と思ったりする

いや、リスクを下げるためかもしれない
新しい店で外すより、何回か経験してそれなりの満足感を与えてくれるところから
変える必要性はない
この気持ちのほうが大きいかもしれない

いつもの新城よりの店をやり過ごして少し行くと、車の停めやすいところに
人のいる販売所があった
ここも2.3回購入の経験がある

自分たちがその日の最初の客だったのか
彼女は一袋分の金銭を受け取ったたあと
「これ要る?」
とダンボールに4個入ったものを見せて言った
「柔らかいから、、食べれる人なら」
既にだいぶ熟して(傷ついているからか)皮の色も濃くなっている
いいえ結構です、、というタイミンを逸して、もらうことになった
最初は2つくらいくれるのかと思ったら、段ボールごと渡された
やっぱり人がいる店は何かがあって面白い

家に帰ってそのジュクジュクの柿を頂いた
皮を剥くなんてことはできないので、頭の方をとって
スプーンでジェルのような実をすくい取るようにして食べる

「あまーい!」一口食べた瞬間に声が出た
「そう言えば、イタリアだったかどこかでは、こんなふうにジュクジュクにしたのを
 スプーンで食べるらしいよ、それもありだね」
(これはうっすら記憶に残っているだけだが)

そう言えば、昔ドイツで皮がシワになったりんごを買った記憶がある
こんなにシワシワで大丈夫かな?
と思ったが意外と食べられたのが印象に残っている

食べ物は見た目だけじゃないな、、と思ったりする



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本棚!

2022年10月12日 09時18分23秒 | あれこれ考えること

他人の本棚を見てみたいと思うことがある
心の中を覗くことはできないが
本棚を見ればその人の内面を想像できるような気がするからだ

何年か前に市内で行われた市長候補の公開討論会では
「今読んでいる本は何ですか?また、おすすめの本を3冊挙げてください」
を聞きたがったが、この質問は会場での選択に採用されず
「あなたの長所はなんですか?また短所はなんですか?」
と言ったわかりやすいものになった

わざわざ3冊としたのは、1冊なら適当に答えられるが3冊なら
少し考えないと答えられないし、好みの傾向もわかると想像したからだ

この質問を「怖い!」と評した人がいた
彼はその質問の意図を想像できたからだと思う

自分の本棚は一応読んだ本が並んでいる
最後のページまで行ってから次の本に向かうのが自分のパターンで
収集家としての本好きというよりも
それらを読んだ!という満足感を感じたいために
本棚にいつまでも収めている

ところが最近は気張って購入したものの手に負えず
「積読」という状態のものも多くなってきた
これは少し悔しいが、時間が限られたものになりつつある現実は
どこかでエイヤッと割り切るしかない

本棚と同様に音楽のアルバム(CD.レコード)の他人の棚も
覗いてみたい気もする
それらを見れば、なんとなく性格・傾向もわかりそうだ

書店でも棚に並んだもので、その書店のポテンシャルがわかりそうだ
ABC分析の結果で売れ筋の本ばかりの書店は自分にはつまらない
書店はまるで運命の出会いのような自分のために待っていてくれた
という本に出会うのが楽しみだが、最近は大手書店でも
時を忘れるような、購入に迷うようなことは少なくなっている

そう言えば、リモートインタビューが多かったころ
ある政治家の自宅でのそれの背景に本棚が写っていた人がいたが
本のタイトルをパッと見て「なんだ、、こんなもんか」と思ったことがある

たくさん並んでいるのは良いとしても、人様にそれを見せる時は
ちょいと気をつけないと、人としてのポテンシャルがバレてしまう




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