個性を活かすとか、世の中で良く言われるが、私は自分を含め多くの人は個性をかなり押し殺し、それゆえ結構ストレスフルな人生を歩んでいるように思っている。これは日本の恥の文化に起因しているかも(興味あるテーマだが)。
私が自分の個性を心の問題として意識してきたのは、生き甲斐の心理学を学んできたからで、この10年くらいのことである。
それと、長年勤めた会社生活から変わったせいもあるかもしれない。
私も、戦後生まれで生まれで、厳しい世の中を生き抜いてきた祖父母・両親世代に育てられてきた。それは、上昇志向の雰囲気を伴っていた。学校や就職、職業・・・より良いポジションを目指す・・・。
さて、私の高校時代の一年先輩に内田樹さんがいて(内田さんは私を知らないだろうが)、ときどき著書を読ませていただいている。「疲れすぎて眠れぬ夜のために」(角川文庫)を昨日読んだが、はじめの方に、「ワンランク下の自分に」というエッセイがある。その中に、生まれ落ちてから、ワンランク上を目指し続けることで、人格の一部を否定してしまうプロセスが見事に描かれていた。
昔は考えても見なかったが、私も、そういう人間の一人であった気がする。ところが、生き甲斐の心理学にであってから生活が随分変わった。そして、新しい職業についたり、今までしなかった経験を積むうちに、長年自分の中で型にはめて押し殺していた(抑圧・抑制された)側面が(つまり個性の一部)が見え始めたのだ。
私の場合は、マーケティングという職種が長く、綿密さを自分の特性のように思い込んでいた。しかし、どうもそれは不自然な思い込みであったようだ。ワンランク上とか下とかは、余り好きな言葉でないが(本来、それは狭い考え方から来ている)、様々な仕事をするうちに、自分の特性や個性と共に、若い頃不十分だった訓練の必要性が見えたりしてきた。
自分の不自然な抑制・抑圧されていたものが見え始めるということは、不安感が見え始めたことでもある、そして不安感が意識されることで初めて、明るい感情が見えてくる。
先日の、太極拳の後の、ちょっとした悦楽のうたた寝。それは、こうした不安感を乗り越えたプレゼントからかもしれない。
世の中(殆どの親も親しい人も)は、他人の個性に基本的に無頓着である。自分の個性は自分でしか判らない。勿論、食べるために我慢をしなければならないこともあるが、自分の個性を大事したいものである。
不安感を活かす 8/10