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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

「個性の美」を認める社会になって欲しいな!(個性の美 7/10)

2013-04-15 | 第一章「意識と知覚」

 個性の美を思索していると、7歳の時にアラスカに行った時のことを思い出す。異文化に接すると、その中で理不尽な体験もする。1958年のアラスカ(USAの準州だった)は、当然ながら公民権運動の前であった。そして、戦後であったから第二次世界大戦の記憶も決して遠くない。言葉ができないなりに、たまに理不尽なネガティブな体験もした。一方、西洋文化の中で、日本では経験できない個性を発揮できるポジティブな体験もした。

 次の年、父の仕事上の大きな変化で急遽帰国した。日本人であるが、中途半端な帰国子女?として、しばらく日本に馴染むのに苦労もした。個性が環境が異なることにより様々に評価が変わる。そんな体験であった。

 この時の体験は、考えてみれば自分の性格形成の原型になったようだ。外資系企業に入社したのも、その影響があったかもしれない。さらに退社して、障がい者の当事者運動の施設に入ったり、介護・福祉の仕事の経験もしたのもこの原体験の影響があるのだろう。個性に対する理不尽さへの反発。そういう傾向が、年とともに育まれていく。

 さて、2007年の夏、六本木ヒルズで「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」に行った。そして、沢山の障がい者の絵に驚愕した。余りに素晴らしく、芸術に対する考えすら変わった。ねむの木学園のホームページに、その時出品されていた絵画があるので、迫力は展示場が一番だが、私の驚愕を感じていただけるだろう。

 障がいを負っていても、それが個性として素晴らしく開花する。それを目の当たりに見たのだ。

 こうした例は、歴史の中にも痕跡があるという人もいる。あの古事記成立の立役者、稗田阿礼は障がいを負って記憶力抜群となった人ではないかという説がある。天才と言われる人も不遇な人生を歩む人が多い。本当に個性を理解する人は少ない。

 聖書の創世記に私の好きな一節がある。「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。」

 当然ながら、動植物だけでなく人間も極めて良かったはずだ。無駄な人間などいない。

 個性の美 7/10

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