先日、20年ぶりに胃カメラでの検査を受けた。昔は、随分苦しい想いをして検査を受けたが、今回は「ちょっと眠くなりますよ!」という注射をしてから、一時間半くらい爆睡をし、爽やかに目覚めた。30歳台から胃カメラのお世話になったが、こんな楽な検査はなかった。
その後、一週間くらいして、検査結果に病院に訪れたが、問題はないとのことでホッとした。ところが、ピロリ菌が検出されたとのことで、抗生剤を少しの期間飲み退治することになった。昔、確かピロリ菌を退治したのに残っていたんですねということになった。我が胃のピロリ菌は百戦錬磨だったかもしれない。
さて、生命体のことを今考えている。ピロリ菌は、微生物でどうも潰瘍やガンの原因を作るらしい。40億年位前に地球上に生まれた生命体(DNA的な構造は同じ)は、40億年をかけてピロリ菌になったり、人間になったり、写真の美しい花になったりしている。他者と共存したり、寄生したり、あるいは宿主を殺したりする。しかし、遠くの視点から観ると、ピロリ菌も人間も兄弟姉妹のような関係かもしれない。
そして、そんな生命体のの存在を、私たちは五感・体感を通じて互に感知するようだ(感知できない場合もあるが)。危険な動物の気配を感じたり(人間だったりすることも)。美しいが毒のある植物を認識したり、友達のようなペットと触れ合ったり、富士山のような崇高な存在(これは生命体とは言わないが、46億年の地球の歴史に通じる)を感じたりする。生き抜くための五感・体感。なんと不思議なのだろう。
さらに、逆に考えてみると、生命体は存在そのものが何かを主張・表現していることになる。だからこそ私たちは五感体感で察知できる。倫理道徳を超えて、主張・表現があり五感・体感がある。
主張することで悩む人がいる。何となく自己否定や他者否定に引き込む倫理道徳もある。ただ、よく考えると倫理道徳を抜きにすれば神秘の世界。創世記で「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった」という言葉がある。
主張すること 2/10