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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

飛鳥を傾聴する!(主張すること 1/10)

2013-04-19 | 第二章「五感と体感」

 最近、表現するとか主張することについて、あれこれ思索している。

 主張・表現は心の健康に関係する大事なことで、「生き甲斐の心理学」テキストでもエンカウンターの大事な問題として扱われている。

 意識の世界だけでなく無意識の世界(魂の世界かもしれない)に到達するような、真の表現とか主張は本人だけでなく周囲を幸福にする。

 しかし主張・表現は文化の違いによりかなり表面上異なるようだ。7歳のときにアラスカに行ったとき、英語が全くできない私を小学校の先生はクラスの皆の前でスピーチをさせた。先生は言語以上の何かを大切にしていたのだろう。主張や表現は言語だけではないのだ。

 8歳で日本に戻ったとき、小学校の給食の時間で静かにしている私を(実は妄想していた)、担任の先生が見つけて褒めてくれた。私のように静かにしなさいとも言われた。そのとき、私は妄想していたとは主張できず、違和感の中で良い子におさまった。私が日本人に戻った瞬間だったかもしれない。

 子供の世界は可愛いものであるが、現代社会の政治レベルの世界はどうだろうか。福島原発事故という、全日本国民が生死の危機に晒された事件。こうした未曾有の経験にも拘らず、何となく昔のように生きている私。こうした事態に私は魂の声のような主張や表現をしたのだろうか、できたのだろうか。

 これは私だけの問題ではなく、事故を経験した者の問題でもあるかもしれない。最近の地味な問い掛け発言の中に、ときどき感じることである。日本人全体が心の健全性を回復するための時期に入ったのかもしれない。

 さて、3.11の後、私は随分旅行をした。つい最近も奈良を訪問した。そして、そのときに五感・体感で感じたものは、不思議なの主張や表現であったようだ。7-8世紀ごろの日本の中心地は今では、かなり田舎であったが、時間を超えて何かを感じることができた。

 写真は飛鳥の写真であるが、7-8世紀は三山をすっぽり入れ込んだ巨大な藤原京があった。当時は、中国大陸は唐の国を中心に、半島が混乱し日本も大変な時期であった。そして、現代も同じような問題がある。戦争や原発。命に関わる大問題。こうした時期に、持統天皇を始め当時の政権担当者の記録等に触れる。和歌や史書、様々な遺跡。そして昔と同じような自然。それらを傾聴することは主張・表現のためのスタートラインだと思う。

 主張すること 1/10

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