今日は朝から本探しで家の中を探し歩いた。実は、高橋克彦さんの「炎立つ」を「日本史鑑定」という本を読んで、急に読みたくなったのだ。以前、人に進められて買ったのだが、積ん読となり、そして、どこかに行ってしまったのだった。東北地方の解釈。それは、従来の歴史とちょっと違うのではないか。そんな、気がしているのである。そして、先ほどやっと見つかった!
歴史が楽しいのは、歴史の事実を覚えることではなく、歴史の解釈が実に刺激的なのである。そして、それは自分への理解とつながっていく。昔学校で習った歴史でも新しい解釈で、脇役が主役になったり、悪玉が善玉になったり、歴史の裏の深みまで見えてきたりするのだ。
例えば、高校生の時は、蘇我入鹿は完全な悪者であったが今は違う。明智光秀も違う。持統天皇も随分勉強し、何か親戚の叔母さんのようなイメージになってしまった。
さて、10回にわたり、不安感を活かす・・・を思索してきた。ストレス曲線の扱い方次第で、悲惨な状態になったり、窮地を脱出できたり、いろいろであるが、最後に述べたいのは、「生き甲斐の心理学」で頻繁に語られる「体験の解釈が世界を変える!」である。
これは、世の中でよく語られるポジティブ思考にちょっと似ているが実は違う。何か大きな問題にぶつかったとき、自分で自分を鼓舞したり、他人から激励されたりしても、本心からポジティブ思考になれる人は少ないと思う。通常、大問題にぶつかれば、人は防衛機制で鎧甲状態になり、自分が一番正しい回答に近いはずなのに、自分の感情ですらよくわからなくなる。不安感も感じなくなるのが人間である。リラックスしていれば、自分の中から湧き出してくる感情や、その奥の回答が見えたりするのに。
そういった時に、傾聴とか修行を積んでいて自分の中の回答が、ふっと湧きおこったりすればラッキー。貴方を愛してくれる他者の支援によりリラックスでき、回答を得ることもあるだろう。難問で苦悩しているときに、体験の解釈が変わる。そういうはことがあるのだ。
体験の解釈の変化は、一流の小説や古典などでよく出てくる。新約聖書であればサマリアの女などは有名な話だ。あるいは、身近な人にも、こうした不思議な体験をされた方がいるかもしれない。
ノウハウ本を読むより、のんびり古典に接っしてみると、体験の解釈が変わるという意味が判ってくる。
不安感を活かす 10/10