イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

全てが一致しはじける花火!(純粋と一致⑤)

2010-08-11 | 第十章「今ここでの恩寵」
 昨晩は、東京の郊外、聖跡桜ケ丘の花火大会に行った。しっかりと河川敷の有料席の近くに陣取り観たが、打ち上げのフィナーレはいつもながら見事で、思わず涙がでる。

 腹に響くような音と光と、心地よい風が五感を揺さぶり、何かが一致する。花火職人をはじめ、沢山の方々の善意で挙行された花火大会。とても気持ちが良かった。帰りは、臨時バスで想像以上に楽に帰ることもでき、心地よい一日が終わった。

 さて、五感と思考がなにか一致して、良い仕事ができる。こういう経験も時にあるが、その反対に五感からくる感情を何かの思想や思考で抑圧し、間違った人生の選択をしたのかなと思う経験も沢山ある。

 今でも、あの時何故あんな選択をしてしまったかと、時どき考えてしまうことが2-3はある。すでにその時の選択で、違う人生を歩んでしまったので、もし・・・は余り意味がないのだが、これから先にするであろう、いくつかの選択を考えると反省は重要だと思う。

 40歳前半のある時、ある仕事をしないかと言われたことがある。その時、何か不安を感じ、結局その話はお断りした。今考えると、≪自分は何のために生きているのか?≫≪生き甲斐は何か?≫≪自分を大切にしているか?≫の自己実現の問いかけを忘れ、何となく大切なことを目先の感覚で決めたように思う。迷走状態だったのだと思う。そういう時は、刹那的に五感の影響を変に受け、思考も錯乱的で間違った判断をしてしまうのだろうか。

 あの時の選択肢は、その仕事を受ける受けないの外に、会社を辞めるという(その後10年近くして実際にやめるのだが)という選択もあったのだと思うが、それが見えなかった。ただ、宗教心理学的な見方からすると、当時は神を信じていなかったので、それが見えなかったのも無理はないのだろう。信じないで見えないものも存在するのだ。

 素晴らしい、花火の打ち上げのような、一致感のある人生。これから歩んでいきたい。

純粋と一致⑤(暮らしの中のカウンセラーの基本の基本 25/30)

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8月に真善美をより深く味わう!(純粋と一致④)

2010-08-10 | 第十章「今ここでの恩寵」
 昨晩は、「被爆した女たちは生きた~長崎県女、クラスメイトたちの65年~」を観たが、いろいろ考えさせられた。いろいろな見方があると思うが、生き残るということはどういうことなのだろうかと私は考えた。

 人は、身体と心(生育史からなる)、そして魂(霊性とか生命体でもよいかもしれない)からなると考えると、一番判りやすいのは身体が生き残るということなのだろう。そのためには、時には他人にかまう余裕もない時もあろう。食べることも、結婚したり子供を養ったりすることもある。病と闘わなければならないときもあるだろう。身体は大事なのだ。
 
 先に亡くなった、家族や友達・学友を考え悩むことは何なんだろう。物理的な確かさを求めて、遺骨を手にしたりする。やはり、生育史・こころの世界の問題は大きい。恐ろしい事実を、どう解釈していくかは、本人だけしかできない。罪の意識も本人の解釈の問題として、当然出てくる。

 そして、魂の問題もでてくる。良く判らない内に、死んだり生きたりする。慰霊・鎮魂の祈りは人間の基本的なものだと思う。

 番組の最後の方で、クラスメイトが慰霊碑に白いバラを手向けるか、赤いバラにするかを考えて、赤いバラにしたというエピソードがあった。変な倫理道徳にとらわれず、純粋と一致(心と身体と魂)で祈り生き抜く姿が見えた気がした。


純粋と一致④(暮らしの中のカウンセラーの基本の基本 24/30)

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五感を純粋にする練習!(純粋と一致③)

2010-08-09 | 第十章「今ここでの恩寵」
この2-3日、何となく朝夕が涼しくなってきた。そして、昨晩は深夜帰宅時に豪雨となった。傘を差してもおっつかず、ずぶぬれになってしまった。家についてから、調べたら、かばんが中まで雨水が入りこみ、2冊の本のうち一冊が濡れてしまった。濡れてしまった本は、社会活動や治水で名高い≪行基≫(奈良時代の法相宗のお坊さん)に関する本であった。何やら不思議な気分になった。

 行基様に申し訳ないと、昨晩はそれからドライヤーで、乾かしたりした。まあ、読めなくなったわけでもないし、その分、しっかり読ませていただければと思いなおす。

 さて、≪純粋と一致≫を考えると、どうしても五感の問題がでてくる。昨晩のように、夏の豪雨を肌で感じたり、ドライヤーの風を感じたり・・・五感からの生の情報はそれだけで素晴らしい。何かとても豊かで一致感があるのだ。

 それと比較してはちょっと変ではあるが、何となく胡散臭いテレビ番組やニュースなどのマスメディアは、豊かな五感の可能性を閉じさせてしまうのではないだろうかと思う。余りに定型的な表現、イキイキとした熱意を感じさせない内容・・・・


 最近、それに気付き、だらだらとマスメディアに接することをやめた(疲れているときは気持ちが良いこともあるので心は残るが)。必要な情報はインターネットだけで集めれば充分だと思う。勿論、テレビや新聞も記事を選択して観たり聴いたりする。

 この発想はマスメディアだけでなく、整理整頓でも応用できる。いつの間にか散らかり、汚く、ゴミが増える受身的な環境づくりではなく、必要なものを周りに選択して適正配置する方式に徹底するのだ。

 これも五感を正しくし、純粋と一致のための練習になるのではと思う(いつまで続くかはちょっと不安であるが).

純粋と一致③(暮らしの中のカウンセラーの基本の基本 23/30)

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感情の動きを観ると幸せになる!(純粋と一致②)

2010-08-08 | 第十章「今ここでの恩寵」
 夏目漱石の「草枕」の冒頭は有名だ。≪山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。≫

 生き甲斐の心理学を学ぶ前は、この文章を見て、そんなものかなと思うだけであったが、今はだいぶ違う。感情(暗い)を大切にし、一歩退き冷静に自分の感情の意味を思索し、感情と思考を一致させ、行動することで幸せになって行く。智情意を一致させることが大切なのだと心の底から思う。

 感情(暗い)は、自分の意識の領域からも発生するし、時には漠とした無意識の領域からも発生する。もちろん、自分の理想と現実のギャップが原因である。そして、感情は自分にとって大切なシグナルなのである(感情のままに行動するといった情動的な面のほかに、センサーのような面が感情にはある)。

 今年の猛暑は厳しい。身体からの暗い感情。それに触発されるのだろうか、生育史からくる暗い感情(ウンザリ)もある。そんな感情の中で、対人関係で失敗することもあるだろう(私もあった)。

 そんな中、自分は意地を張っている(構成概念が硬い)と気がついたり、暗い感情(寂しさなど)に気がつき、対人関係をもっと柔軟に改善することが必要だと気がついたりする。怒りも重要である。何故怒るのか。自分の理想と現実は何だろうかと冷静に考えると、非常に筋が通っていたりする。怒る自分への不安も和らぎ、主張する意義を見出したりする。そういった自問自答の末に、冷静に行動していくと、心地よい展開になったりする(一回経験すると納得するものだ)。

純粋と一致②(暮らしの中のカウンセラーの基本の基本 22/30)

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≪純粋と一致≫でしあわせ! (純粋と一致①)

2010-08-07 | 第十章「今ここでの恩寵」
 清里高原の清泉寮に立ち寄った時に、立っている木々が輝いて見えた。感動し、携帯で写真を撮った一枚がこの写真である。

 木に対する思い出は深い。7歳の時にアラスカで遊んだ、裏庭の木。大きな枝と小枝で優しいハンモックのようであった。

 17歳の時、家の窓から見た隣の家の黒い木。何故、こんな世の中に生きているのか、そんな錯乱感が襲った時もある。

 同じような木でも、自分が変われば違って見える。違って聞こえる。違って感じられる。同じ五感からでも違って捉えられるのである。

 生き甲斐の心理学を学んでいくと、≪純粋と一致≫が幸せへの基盤であることを学ぶ。生き甲斐や様々な人生の進路を考える上で≪純粋と一致≫は大切である。例えば木を見て、どう自分が反応する(思考・感情・行動)か。この中にも≪純粋と一致≫の智恵は活かされる。

 あるいは、≪純粋と一致≫は傾聴やカウンセリングで受容、共感と並んで大切であることを学ぶ。ただ、聴いているのではなく、カウンセラーの立場にあるものは、時にこころの奥に湧き起ることを≪純粋と一致≫で語らなくてはならない。それが、クライアントの立場にある方の気付きに繋がることも。

 今日から、10回、ちょっと立ち止まりながら、≪純粋と一致≫をのんびりと考えていきたい。

純粋と一致①(暮らしの中のカウンセラーの基本の基本 21/30)

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