イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

無言の愛・・・(純粋と一致⑩)

2010-08-16 | 第十章「今ここでの恩寵」
 傾聴の<純粋と一致>。それは決して雄弁ではないと思う。共に不思議な沈黙を聴く瞬間かもしれない。

 カウンセラーは、決してクライアントを見下したり、逆に自己を卑下するのではなく、静かに愛でもって、≪一肌脱ごう≫という気持ちになり、それがクライアントに伝わる。

 自分がクライアントの立場で経験しないと、なかなかどういうものか判らないが、例えば私の場合は7歳の時のアラスカでの体験がある(こころの援助を考えるおよび)。優しいネイティブの女教師が、言葉を理解しない私にとって理想的なカウンセラーであったと言えよう。

 自分にとっての人生の転機。それは、アラスカだけでなく、それからも要所要所にあった。その瞬間は、人の話を聴いていたときでもなく、意外と静寂の時や沈黙の時だったようだ。ただ、共通していることは、何かの暖かい眼差しを感じていた時である。

 私も、暖かい眼差しで見つめられる、暮らしの中のカウンセラーになりたいものだが、その道は決して容易でない。

 私のブログもお陰さまで、4周目が今日で終了しました。皆さまに深く感謝いたします。

純粋と一致⑩(暮らしの中のカウンセラーの基本の基本 30/30)

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家庭内リフレッシュ休暇!休息考 (純粋と一致⑨)

2010-08-15 | 第十章「今ここでの恩寵」
 結婚してXX年経つが、毎年、夏に夫婦が何日か別々に過ごすことが恒例になっている。

 休暇には、皆が休む休日や有給休暇があるが、ちょっと気のきいた会社や組織では、リフレッシュ休暇やサバティカル休暇がある。日常性をちょっと破るような、休暇は長い人生でとても貴重だと思う。

 さて、私の夫婦での休暇は何と言うのだろうか?聞いたことが無いので、勝手に名付けたのが、≪家庭内リフレッシュ休暇≫。

 ちょうど、今、私は一人で生活している。家庭内リフレッシュ休暇取得中である。一人で過ごすのは、サラリーマン時代は、外食したりして不便であったが何とか過ごした。退職してからは、ホームヘルパー1級を取得したり、男の手料理の講習を受けたり、かつまたボランティアや福祉の仕事をしたおかげで、いつのまにか自立?した生活ができるようになってしまった。

 その為、家事もさほど苦にならない。その上、妻がいないこともあり、気になっている家のレイアウト変更や中々普段は手の回らない整理整頓をする。家庭内リフレッシュ休暇取得後の妻なので、帰ってきてからも細かいことは大目で観てくれると信じている。

 今日も、子供が小さいころ買って置いてあった、縫いぐるみが埃にまみれて無残な姿に変わってしまっていたので、思わず洗濯してしまった。スニーカーを洗濯する話は聞いたことがあったが、縫いぐるみも実に綺麗になった。人形とか縫いぐるみは汚くなったとき、どうしたらよいかとても悩むが、洗濯というオプションがあったのだ。

 若いころは、休暇というと自分が遊んだり楽しむことしか知らなかったが、最近はボランティアでカレーを作ったりし、仕事の外に無給の仕事?をする快感を知るようになった。自分の家庭内リフレッシュ休暇も、ちょっとボランティアチックになってきたようである。再会の日はサプライズ・パーティにしようか(秘密ですよ)?

純粋と一致⑨(暮らしの中のカウンセラーの基本の基本 29/30)

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ふところに飛び込む休息!休息考 (純粋と一致⑧)

2010-08-14 | 第十章「今ここでの恩寵」
 日本人にとっては、と正月は昔からの特別な日である。調べてみると、どうも仏教伝来以前からの日本の古層の文化の可能性が高いようだ。

 100年とか200年の歴史ではなく、1000年、2000年の歴史、場合によっては数万年の歴史があるのかもしれない。祖先の霊と交流する特別な休息の期間なのであろう。昔は休暇が少なかっただろうが、その大切な休息の時が、盆とか正月で、単なるごろ寝ではなく、祖先の霊との交流が大切にされているのは深層心理学的にも納得できる。

 休息は、深層心理的には赤ちゃんがえり的に、誰かの懐(ふところ)に飛び込むのが大切なようだ。その懐が祖先の霊というなら、全ての人に共通となる。そして、家族や親戚等で集まり、のんびりとする(懐に飛び込まれる方は、大忙しで休息にならないかもしれないが)。何と豊かな智恵であろうか。

 さて、自分にとっての休息は、こうした盆と正月のような、スケジュールで決まるものもあるが、イレギュラーな休息もある。メンタル的に、ちょっと限界に近いかなと思う時(自分の限界をどう把握するかは、これまた大切なことであるが)、例えば2-3日のちょっとした特別な休息を取る必要があると思う。
 
 そして、自然の懐、神仏の懐(巡礼?)、家族の懐・・・いろいろあると思うがいつもとは違う何かの懐に飛び込む。

純粋と一致⑧(暮らしの中のカウンセラーの基本の基本 28/30)

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机の中にも愛!(純粋と一致⑦)

2010-08-13 | 第十章「今ここでの恩寵」
 学生時代の20代、のんびりと友達と語らっていたときに、何故、父親は≪部屋が散らかっているとか≫、≪掃除をしろ≫とか、どうでもよいことしか言わないのだろう。そんな話題を楽しんだ記憶がある。当時は、掃除よりももっと大事なことがあると、理想を追っていた時代であった。

 40歳台になったころ、私の父が病で亡くなった時、父の職場の遺品を整理に行ったことがあった。机の中など、働いている時の父の様子は知らなかったので、父の机の中はとても新鮮だった。消印のある切手とか、貰った薬などが丁寧に机の中に整理されてあり、私と随分違って物を大切にしているなと感心した。

 今、還暦が近くなり亡くなった父の年齢に近づいてくると、性格や育った環境も違うのにもかかわらず、机の中に現れている、何かが、段々判ってきたような気がしてくる。

 ≪モノを大事にする≫とか、≪もったいない≫とか、最近時どき話題になるが、生きものや生身の人間ではないにせよ、モノの扱いは一つの価値観とか世界観を反映しているのだろう。

 愛というのは深淵で、いくら思索しても思索しきれない世界であるが、やはり、他者肯定ー自者肯定の世界とも言えるだろう。決して、自己否定や他者否定が幅を利かす世界ではない。そんな中で、大切な人や自分と関わりがあるモノは、やはり大切なモノなのだ。愛とモノとの関係もあるのだ。思い出の品は大切だとわかるが、何となくあるモノも本当は大切なのだと思う。

純粋と一致⑦(暮らしの中のカウンセラーの基本の基本 27/30)

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恋人たちの季節!(純粋と一致⑥)

2010-08-12 | 第十章「今ここでの恩寵」
 夏の夜に電車に乗っていると、前に座っている若い男女が、なにやら口論している。しばらくして、次の駅につくと、女性が突然降車し階段方面に一直線に駆け去っていく。

 こうしたことは、この夏何回か見かけた。健全な男女の愛は、素晴らしいものだと思うが、寂しい結末はこころが痛む。初恋は、一つの愛の原型となるようであるが、その経験が人生の凶器にもなることもあると思う。時には、じっくり愛の原型を思索する必要があると思う。

 人が、身体とこころ(生育史)と魂からなると考えると、青春時代の愛の孤独感はいったい何なんだろう。

 身体の孤独感も強烈だと思うが、決してそれだけでない。生育史からくる愛の原型を満たそうとする、孤独感も強烈なのだと思う。そして、魂(霊性でも生命体でもよいかと思うが)からくる孤独感もあるだろう。

 全てが一致し、互いに惹かれあうのは理想だが、そうもいかない(現実は違うのがあたりまえ、そして、それを受容すると人生は豊かさをます)。ただ、魂どうしは、一説によるとどんな時もお互いに引き合い、慈しみ合っているという(私はこの説が好きだ)。

 若い人に、刹那的な恋ではなく地に着いた純粋と一致の恋をしてほしいと願いつつ(若いころの自分を棚にあげているが、生き甲斐の心理学の理論は役立つはず)・・・

純粋と一致⑥(暮らしの中のカウンセラーの基本の基本 26/30)

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