イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

意味のある偶然・・・(主張すること 7/10)

2013-04-25 | 第二章「五感と体感」

 村上春樹さんの「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」には、フランツ・リストの音楽が出てくる。「巡礼の年」というタイトルそのものも、リストの影響だ。

 実は、フランツ・リストについては、長年、殆ど興味がなかった。名前を学生時代に覚えていた程度である。

 それが、去年不思議なことに興味を持つようになった。

 ヨーロッパに始めて行ったのだが、ハンガリーは、今までの人生で影響を受けた何人かの生まれ故郷であり、一度は行ってみたいと思っていたのである。そして、ブダペストで、ちょっと時間が余り、そしてたまたま知り合った日本人の方がリスト記念館に行きたいとのことで、ご一緒したのである。

 雪が残る道端の建物の二階に記念館はあった。リストが使ったピアノや机(ピアノが挿入された)などが展示されていたが、興味が湧いたのは彼が熱心なカトリック信者であり、一時は聖職の仕事をしたという事実であった。

 そして、今回の村上春樹さんの新作である。YouTubeで作品の中にでてくる、いくつかの曲を聴いたりした。

 Wikipediaやホームページなどで、彼の生育史を読んだりした。16歳前後の時に伯爵の娘と恋に落ちたものの、身分の差から破局に陥り、そのときの痛手で二日間意識不明になる事件をおこしたようだ。その痛手から立ち上がるときにリストはカトリックの信仰とであったようだ。

 さて、今回の新作は、リストだけでなく、もう一つ大きな偶然というか意味があった。

 それは、生き甲斐の心理学の師匠であるU先生のテーマの一つである、比較宗教学や比較文化論に基礎をおいた心理学の分野、「信じて見えるもの、信じて見えなくなるもの」という大テーマだ。そして、さらに言えば根本的な人間のありかた。魂の問題である。

 3.11は何か私たちが国民的規模で魂を見出してくる事件だったのではなかったのだろうか。1Q84と随分違う何か、心地よい木立を駆け抜ける風のような何かが、この小説を意味あるものにしてくれている。

 意味のある偶然を考えてしまう。

 主張すること 7/10

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多崎つくる君の主張! (主張すること 6/10)

2013-04-24 | 第二章「五感と体感」

 村上春樹さんの「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読了した。

 私も経験あるが、高校生の時というのは、人間が成長する上で最も微妙な時期だ。エリクソンの性格形成理論では13~22歳は忠誠心(Fidelity)の時代で、アイデンティティと自己混乱感が発現する時期。その忠誠心の時代の最深部が高校生の時期だ。

 キーワードはアイデンティティという言葉であるが難しい言葉だ。最近<根源に対する無意識の帰属意識> と明石散人さんが定義されていることを知った。一番気に入っている定義だ。もっと言葉を選べば、<自分の魂の発見>ということかもしれない。そういう時期が青春時代なのだろう。

 小説に関しては、まだ読まれていない方も多いと思うし、それを分析する力もない。一読者としてできるのは、それが喚起した何かについて語ることだ。

 高校生の時に、自分の魂の声に気づき、それを主張し始めれば健康的であるが、なかなか微妙。魂の声に鈍感だったり、ましてそれを主張する力も乏しい。

 人間は弱い。そして、さらに身体や心の成長途上の高校生は弱い。微妙な防衛機制が暗躍してしまう。私の場合も、気の合う仲間がいて、中学校の時とは比較にならないほど深く語り合った・・・つもりであった。しかし、日本の甘えの構造の文化的背景もあるのだろう。いつの間にか、仲間で形成しはじめる同一化の防衛機制と、言葉をのむ抑圧。不思議な接近と離反は日本の固有の文化もあるが、世界的に共有される部分もあるだろう。

 今となっては、もういっぱしのおじさんなで巡礼の旅が似合う。今年になってから高校生の時の仲間達にもあった。高校生のときには言えなかった魂の声。そんな言葉も聴いたようだ。

 魂の声は、心の防衛機制の言葉とは違う。同一化でも合理化でも反動形成でもない。まして感情転移でもない。多崎つくる君が、最後に語り始めたような健全な言葉なのだろう。

 そして、魂の言葉を紡ぐときに人は随分変わる。自分だけでなく他人も変わる。

 表現がむずかしく、自分でも何を言っているかわからなくなってきた。高校生のころの微妙にソフトな部分を刺激されてしまったからだろう。

 この本で、村上春樹さんがノーベル賞をとって欲しいと切に思う。

 主張すること 6/10

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わたすも一人暮らしがしたい!(主張すること 5/10)

2013-04-23 | 第二章「五感と体感」

 まさか、年をとってから「一人暮らしをしたい」とつぶやくとは・・・

 年度末、新年度を迎え仕事が忙しくなり、家族も新しい環境で疲れたり・・・それが、ちょうどこの時期にでてくるようです。昔5月病という言葉がありましたが、テンポが早い現代は4月の後半には疲れが出てくるかもしれません。特に、この2-3日。急に寒くなって体調もここひとつ。

 何となく、人間関係がうざくなり(決して悪い関係ではないのですが)。そして、「一人暮らしがしたい!」とつぶやく。

 旅をしたいとか、ちょっと静かな喫茶店で一息したい・・・といったのに似ています。しかし、娘達が成長の過程で「一人暮らしがしたい」とつぶやいていたように、もう少し強い感情なのでしょう。

 家の近くのアパートの相場とか、お小遣いとかを考えて、ネットで実現可能かを考えました。が、やはり非現実的でした。家人からも笑われました。

 しかし、そう言語化することで、周りは何かを感じたようです。家族もちょっと優しくなりました。昨日は理事会のあと、素敵な喫茶店で、一人暮らしをしたい・・・の話題を楽しみました。

 さりげない、感情表現(まあ、主張の一種でしょう)。それは、貴重な潤滑油。難しい理屈を100こねるより、ちょっとしたつぶやきが事態を打開したり、新しい扉を開くものです。

 しかし、たんぽぽの綿毛のように風に吹かれて一人になりたいな!

 主張すること 5/10

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不思議な日曜日だった!(主張すること 4/10)

2013-04-22 | 第二章「五感と体感」

 昨日は、日曜日。クリスチャンの私は教会でミサをあずかる日である。いつものように11:00前に車で・・・そこまでは、いつもと同じであった。

 が、なんと車のキーを駐車場で落としてしまった。そして、それが見事に溝から2m下に転落。あわてて、懐中電灯を出したりして何とかキーを取り出す。そこで、軽く30分。もう、遅刻である。

 どうにか車を運転して、目的地に着く。そこまではよかったが、到着してキーを外してから、サイドミラーが閉じてないことに気付いてキーを差込みエンジンを再スタートしようとした。しかし、いつもと違ってキーが回らない。ハンドルやレバーも完全にロック。何故かセキュリティの警告灯が点滅している。それから、保険の車両アシスタンスに電話したり、ディーラーに電話したり、キーが落ちた時に何か異変(マイクロチップが入っているから)があったのか不安は渦巻く。

 最後はディーラの方の指図どおり、力いっぱいハンドルを回しつつキーを動かすとロックがハズレた!しかし、その時にはすでにミサは終わってしまっていた(涙)。

 午後は、のんびり仕事をしたりしたが、夜は約束していた映画「リンカーン」に家人と共に行く。

 スピルバークの大作である。リンカーンの南北戦争中の議会対策の悪戦苦闘を画いた映画である。私の好きな自由、平等、博愛をテーマとした映画であった。しかし、何故、自由と平等のために60万人の尊い命が失われたのか?議会で命をかけた戦いがあったか。それがきっとテーマなのだ。全編を通じてのキリスト教文化の香り。黒人解放については神学上の見解の差もあったかもしれないが、大きなうねりがあったのだろう。

 人は、身体、心(生育史)、そして魂(宗教・哲学の領域)からなると考える時。何をもって人は平等といえるか(ユークリット幾何学の公理がでてきたのには驚いたが、完全に哲学の領域である)?生き甲斐の心理学の学徒は、自分だけでなく、世のため人のために他者を支援することもある。時にはむずかしい人を支援することもある。その時に、ポジティブな人間観が極めて大事。聖パウロの「人の身体は神の神殿」は恩師から教えてもらった言葉であるが、魂も愛そのものと考えると腑に落ちる。そんなことも考えた映画であった。

  しかし、英語がよく分からず、恐らく微妙な演説のニュアンスが伝わってこなかったことが残念である。魂の言葉がテーマだったかもしれないのに。

 何となく不全感のある一日であった。でも、スタートはこんなところから始まる。

 主張すること 4/10

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問題の焦点の当て方で世界が変わってくる!(主張すること 3/10)

2013-04-21 | 第二章「五感と体感」

 今日は雨、ベランダから見える電線に雨粒がついています。八王子は雨ですが、寒いところは雪が降っていることを今朝知り驚きました。

 この電線の雨粒ですが、写真で撮るときに望遠の倍率を上げたり、焦点を変えたりして最近買ったサイバーーショットを楽しんでいます。雨粒も、カメラの視点を変えることで、随分変わって見え、不思議なものだ。

 さて、昨日は昔馴染んだ仕事の世界。マーケティングやプランニング、問題解決などについて想いを馳せていた。そして、たまたまFBで知った清水さんのブログを読んだ。実は、中学生の時に同級だった優秀なUさんの著書「仮説思考」を読み、そしてオススメの「論点思考」を先日書店で見つけて立ち読みをしたところであった。

 今はNPOの仕事に関わっているので、ビジネス書も非営利活動とはいえ興味を持つ必要性は感じているのだが、もっとも興味のあることは、論点や視点を変えることで世界が変わる心理学的な現象である。思考に焦点を絞った心理療法もあるくらいなのだ。

 自分でも経験があるが、人は追い詰められることがある。そして、そこで自力で処理ができなくなると環境に適応できず、ひどい場合は心の病になる。それも、身体が簡単に怪我をするように、簡単に病むようだ。

 生き甲斐の心理学の師匠・U先生から教えていただいたが、自分と他人の混濁。理想と現実の混濁。そうした混濁にいつの間にか巻き込まれ疲れ果ててしまう。

 こうした時力になるのはロジャースの命題1だ。心理学の精髄とも思えるが実に哲学的な言葉で、こうした迷いの中で光を示してくれる。自分の存在のしかたを深く理解するとは日々の生活で意外な力となる。簡単に言えば、「自分は自分」ということなのだが。

 命題1: 個人はすべて、自分が中心であるところの、絶え間なく変化している経験の世界(world of experience)に存在する。

 そして、落ち着いたところで、視点や論点自体を考えてみる。カメラの焦点や倍率を変えてみるようにだ。すると意外にも問題が鮮明になり、解決への道筋がつかめることも。さきのブログの戦略や戦術、作戦のレベルに応じて対策を変えるように、問題のありか(レベル)を調べる。一見、となりのAさんの個人的問題が、自分の問題であったり、仕組みの問題であったり、日本の政治の問題だったりする・・・それが見えると、あとは自分は自分で道を歩き始められる。

 そして、最後に、自分が誰かに愛されている存在であることを思い出す。

 主張すること 3/10

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