村上春樹さんの「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」には、フランツ・リストの音楽が出てくる。「巡礼の年」というタイトルそのものも、リストの影響だ。
実は、フランツ・リストについては、長年、殆ど興味がなかった。名前を学生時代に覚えていた程度である。
それが、去年不思議なことに興味を持つようになった。
ヨーロッパに始めて行ったのだが、ハンガリーは、今までの人生で影響を受けた何人かの生まれ故郷であり、一度は行ってみたいと思っていたのである。そして、ブダペストで、ちょっと時間が余り、そしてたまたま知り合った日本人の方がリスト記念館に行きたいとのことで、ご一緒したのである。
雪が残る道端の建物の二階に記念館はあった。リストが使ったピアノや机(ピアノが挿入された)などが展示されていたが、興味が湧いたのは彼が熱心なカトリック信者であり、一時は聖職の仕事をしたという事実であった。
そして、今回の村上春樹さんの新作である。YouTubeで作品の中にでてくる、いくつかの曲を聴いたりした。
Wikipediaやホームページなどで、彼の生育史を読んだりした。16歳前後の時に伯爵の娘と恋に落ちたものの、身分の差から破局に陥り、そのときの痛手で二日間意識不明になる事件をおこしたようだ。その痛手から立ち上がるときにリストはカトリックの信仰とであったようだ。
さて、今回の新作は、リストだけでなく、もう一つ大きな偶然というか意味があった。
それは、生き甲斐の心理学の師匠であるU先生のテーマの一つである、比較宗教学や比較文化論に基礎をおいた心理学の分野、「信じて見えるもの、信じて見えなくなるもの」という大テーマだ。そして、さらに言えば根本的な人間のありかた。魂の問題である。
3.11は何か私たちが国民的規模で魂を見出してくる事件だったのではなかったのだろうか。1Q84と随分違う何か、心地よい木立を駆け抜ける風のような何かが、この小説を意味あるものにしてくれている。
意味のある偶然を考えてしまう。
主張すること 7/10