物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

Die Fastnacht beginnt am 11.11.

2010-11-12 11:02:20 | 外国語

冒頭からオヤッと思われたかもしれないが、昨夜のドイツ語のクラスで出た話である。ドイツのカトリックの地域で祝われるカーニバルは11月11日の11時11分に始まるのだという。毎年11月になるとこの話になるのだが、いつも前年のクラスで出た話をまったく忘れていて、R氏の問いに困ってしまう。

要するにドイツの国の一年がわかっていないというか感覚としても知識としてもはっきりしていないのだ。その点ではいつもK夫人の確実な知識にはいつも敬服する。この人は判断もしっかりしているが、知識もきちんと把握していてこれは他のクラスのメンバーの追従を許さない。頭のいい人がいるものだと感心をしてしまう。聖者ザンクト・マルチンの話もはっきり記憶している。この人の明晰な頭の構造はどうなっているのだろうと思うばかりである。

11月11日はザンクト・マルチンの日でもある。彼女によるとマルチンはもともとRitter(騎士)だったが、あるとき物乞いの人に出会った。これは11月11日がザンクト・マルチンの日と言われるくらいだから、今ごろの季節なのであろう。日本ではまだ11月は凍えるほどではないが、ドイツの11月はもう冬である。そのとき、マルチンは自分の着ていたマント(今の言葉ならコートだが)を剣で半分に切ってそれを物乞いに与えたのだと言う。マントの切れ端でも冬の寒さには少しは役に立ったであろう。

そういう善行があったので、マルチンは後に聖者に列されたのだという。ザンクト・マルチンの日には子どもたちがLaterneといわれるちょうちんをもって、聖者マルチンの乗った馬の後ろを1~2キロ歩いて焚き火の傍にいる物乞いのところまでいき、マルチンが自分の着ているマントを半分に切ってその物乞いに与えるという寸劇を見るのだ。

いつだったかホームステーイに来たドイツ人の若い夫婦の夫が、この寸劇の最後の場面にはタネがあって剣でマントを切り裂くのだが、このマントはファスナー(der Reisverschluss)でつながっていて、このファスナーを開けてマントの半分を渡すのだということを聞いた。

このとき、マルチンは(少し大きな?)子どもが演じると言う風にK夫人はいっていたようだが、一般には大人が演じているのだと思う。

参考までにDie Fastnacht beginnt am 11.11をカタカナで表音すると、ディ・ファスナハト・ベギント・アム・エルフテン・エルフと読む。Fastnachtは場所によって呼び方が違うが、ケルンではder Karnevalであり、マインツではdie Fastnachtで、ミュンヘンではder Faschingという。Fastnachtと呼んでいる地域が一番広いのではないかと思うが、きちんと調べたわけではない。また、Fastnachtはtが入っているが、この t は発音をしないで、ファスナハトといっていると思う。

私はスイスのバーゼルでも、ドイツのフライブルクでもFastnachtの行列をみた。また一年後にはマインツでその壮大な行列をみた。ちなみに、このカーニバルの行列で有名なのはケルン、デュッセルドルフ、マインツの3都市でこれらの市にはこのときにはその住民の何倍もの観光客が訪れるので有名である。

行列は数時間も続き、行列の車の上からはボンボンやチョコレートが沿線の見物客に雨のように降る撒かれる。沿線の見物客もかさを逆さにしてその車上から降ってきたボンボンを受けとめる人も多い。

だから、行列に参加する市民はこれらのボンボンやチョコを大量に購入するので、Fastnachtの後では貧乏になると冗談めかして語られている。が、これは本当のことなのであろう。そして私たちを外国人とみれば、写真のポーズを車上でとってくれたりとサービス精神も旺盛である。

また、この行列が終わるとこの行列が通った通りはゴミがたくさん出て汚れているが、それをドイツ人のきれい好きで、すぐに清掃する人がたくさん出て清掃をしているのを見かける。

このFastnachtはドイツの春の到来を示す行事であり、冬の厳しい季節でどんよりした陰鬱な天候からくる憂鬱さをドイツ人から解放してくれるお祭りでもある。もしこのお祭りがなかったら、もっと多くのドイツ人の精神がおかしくなってしまうのではないかという観察をする日本人もいるくらいである。

誇張していえば、冬にはどんよりとして、曇天の雲の中に首まで突っ込んでいるようだといったら、少しはドイツの冬の天候の厳しさを想像をしてもらえるだろうか。


文書の書法

2010-11-11 12:54:21 | 日記・エッセイ・コラム

私はいくつかのことに関係しているので、そのためのサーキュラーの発行とか要約の作成をしなくてはならない。ところが普通はあまり問題がないのだが、ときどき少し手直しに手のかかる文書を寄せられる方がある。それを編集者というか世話役の手数でなんとか格好をつけているというのが実状である。

私にしても暇なわけではない。自分自身のしたいことがあり、それ以外にサーキュラーを発行していたり、要約をつくったりしている。

積極的に協力をしてくださる方が大多数の一方で文書の書法が普通の方々と離れている人もいる。私自身がお願いをして投稿をしていただいた場合にはどうも私の責任となるのであるが、スタンダードからはずれているとお願いをすることがむなしくなってしまう。

つぎからお願いするのを止めたくなってしまう。だが、それも友人の推薦があって編集人としてお願いしたという場合には修正をお願いし難いような心理的な状況である。

これは投稿者にはっきりと言わない私の方が悪いのだろうが、悩むところである。

誤解を招いてはいけないので、一言だけ付言しておく。どんなに協力的な投稿者の文書でもいくらかは手がかかるが、それをむなしく思っているわけではない。それは最低必要な仕事だから、それに手数がかかったからといって、泣き言をいうつもりはない。大げさにいうと、それは私の生き甲斐の一部なのであるから。


腰痛

2010-11-10 13:43:09 | 健康・病気

昨夜、テニスの後で帰りに仲間の人との会話です。

I さん「今日は疲れていたので、よほどテニスを休もうかと思っていたのですが、来る人の数が減ると2コートでダブルスをする人数が足らなくなると来た人が面白くないので無理して出てきました」

私「私も一日おいて木曜日にいつも腰痛が出ます。だから、もし腰痛がひどくなると、テニスが続けられなくなるかといつも不安です。それでも腰痛はなんとかひどくなってはいないので、なんとか続いていますが」

Uさん「Hさんという方は75歳ですが、元気にテニスをしていますよ」

私「Hさんには会ったことはないのですが、松山のテニス界では有名な方ですよね。国体にも出たこともあると聞いています」

Uさん「あなたもテニスに出てこられた方が、腰痛のためにもいいのではないでしょうか。そう思いますよ」

というような会話があった。いつも正午のラジオ体操で前屈をしている。腰痛には前屈がいいと聞いているからである。2年前くらいにラジオ体操をはじめたときはあまり前屈ができなかったが、このごろは中学校時代くらいに前屈ができるようになった。もっとも後ろに反り返る方はあまりできないので、体の硬さはほとんど変わらない。


森永覚太郎先生のこと

2010-11-09 11:36:37 | 数学

アクセス解析に寄れば、このブログ「森永覚太郎先生」へのアクセスがこの1ヶ月で40件を越えた。これはどうしてなのだろうか。

私は森永先生が愛媛県大洲市の出身であるとは述べなかったが、愛媛県の人は森永先生をよくご存知だからなのだろうか。

大洲市に新谷というところがあり、国道56号線沿いに車で行くと川を越えた向かい側に「神南」という酒造会社がある。ここが森永先生の実家だと聞いている。

いつだったかこの傍を車で通ったので、そこを訪ねて日本酒を一瓶か二瓶求めたが、そのときに出てこられた老人が先生の弟さんであられた。「実は私は覚太郎先生に教わったのですが」と言ったら、そうですかとその縁の不思議さに感心されたことがあった。

さらに、この弟さんには私の親しくしていた数学のS先生の奥様の葬儀のときにもう一度出会ったが、これは弟さんとこの奥様とが謡曲かなにかのお仲間で互いにお知り合いだったためだと思う。


Knabenphysik(少年の物理学)

2010-11-09 11:07:41 | 物理学

Knabenphysik(少年の物理学・クナーベンフィジーク)といわれた量子力学の端緒である、マトリックス力学が出現したのは1925年のことである。そして波動力学といわれた量子力学の別のversionが現れたのはその翌年の1926年である。

それから、およそ85年程がたった。それで、少年の物理学だった、量子力学はすでに老人の物理学になっている。

なぜ、量子力学はなぜ少年の物理学といわれたのだろうか。それは量子力学を考えついて、発展させた研究者Heisenberg, Dirac, Pauli等が20歳くらいのとても若い人たちだったからである。

もちろん、例外もある。BornやSchr"odingerはもちろん、もう少年といわれるほど若くなかったが、それにしてもKnabenphysikという表現はいかにも若い人の気持ちを表している。

Knaben(クナーベン)という語はいまではドイツ語としては普通の日常語としては使われない、いわゆる雅語であり、詩とかでは使われるかもしれないが、日常の言葉としてはJunge(ユンゲ)が使われる。しかし、Jungenphysikと言ったのではどうも趣が感じられない。言葉とはこういうものである。

さらに、これらの非相対論的量子力学の拡張であった、場の量子論の集大成であるHeisenberg-Pauliの理論は1929年に現れた。「場の量子論」はもう老年の私よりもさらに10歳も年上なのである。


ロッテが強い

2010-11-08 11:02:58 | 日記・エッセイ・コラム

とうとう日本選手権をロッテがとった。ソフトバンクに王手をかけられたときにはもう駄目かと思ったが、その絶対不利を打ち破り、逆王手をかけて打ち破り、また今度はセリーグの覇者中日を破った。この力強さはどこから来ているのであろう。

妻などは韓国系の企業というか現在の韓国の元気さの表れの現象の一種と見ている。単純にそういう風にとられていいかどうかはわからないが、そういう言っても通る雰囲気にある。それにしてもすごい。

阪神タイガースのひ弱さと比べるとびっくりするくらい強いのである。私の知人にもタイガースファンはたくさんいるが、彼らはこのロッテの強さをどう見ているか一度聞いてみたいものである。


仕事の重なり

2010-11-07 09:15:28 | 日記・エッセイ・コラム

いくつかの仕事が重なっている。仮称「物理数学散歩」のはしがきとあとがきを書くこと、数学・物理通信に最近投稿された論文の図を描くこと、微積分ミニマム(e-Learningコンテンツ)の作成、また徳島科学史雑誌の投稿原稿の校正等である。

昨日、徳島科学史雑誌の論文校正の3度目を見終わった。これはいつでも校正は何度か見るのだが、時間間隔をあけて見るようにしている、3回目が終わったので、月曜に投函するつもりである。

ある方から数学・物理通信に投稿して頂いた原稿に図がない。そのためわかり易くはないから、図を入れるべきだと思った。著者に図を描いてくれというべきなのだろうが、また、図を描いて送ってはくれたのだが、その図に満足できない。もっときれいな図が描けるのではないかと思ったからである。仕方なく自分で描く決意をして、著者に知らせたが、どうもなかなか取り掛かれない。いつもこのブログでもこぼしているように、私は図をパソコンで描くのが上手ではないのだ。

べき関数、指数・対数関数、三角関数、一般論の4つの微積分に関するe-Learningのコンテンツを書いて、本文で書きたいところはおおよそ終わり、これに演習問題をつけることが残っている。

入力をしようとしている資料にある演習問題には全問に解答をつくらなければならない。積分の一部の演習問題には解答があるのだが、すべてに解答があるわけではない。また、それだけではなく一つの問題に対する解答としていくつかの別解を用意したいと考えている。そういうことを考えると仕事は簡単には進まない。

私はよく計算間違いをするので、一つの問題に対する解答の別解をつくって、それらを照らし合わせて正解を探っている。そのようにやってみると、しばしば違った方法での解答が一致しない。それであちらを修正し、こちらを修正するという風にして、やっと正解に到達する。それらができあがったら、やっとパソコンへ入力できるようになる。

このごろあまり計算をしないせいかちょっと計算をするとどっと疲れが出る。そしてつぎの取り掛かりがどうしてもおっくうになる。こういうことが老化なんだろう。


選挙

2010-11-06 14:45:53 | 国際・政治

まだ始まってはいないが、もうすぐ愛媛県知事と松山市長の選挙が始まる。政治は私たちの生活に直結するので本当は大切なのだが、どうも政治には関わりたくない。それは政治が本当の意味で市民のものになっていないからなのであろう。

県知事候補に立候補が予定される方々の中にももちろんある程度実績をもって挑戦される方もいれば、その点については未知数の方もいる。だからどうなんだと開き直って言われると言いよどんでしまうが、どうもなんだかなあと思ってしまう。

これはある左翼政党のように、当選を度外視して選挙を自党の活動のPRの場と考えているところもあるが、もう少し政治が一歩ずつでもよくなることを目指すという考え方の方を推奨したい。

un peu ou rien* (この発音をかな表記をすれば、アンプー・ウ・リィャン:少しあるか、またはまったくないかの意)という立場では、選挙の結果の政治に関してはちょっとは改善があるのかまったくないのかは大いに違う。

* これは小田実がアメリカ留学からヨーロッパ経由で帰って来たときにフランス人に言われたという言葉で「なんでも見てやろう」に出ていた。

ある方のことだが、私個人の考えでは県知事では目がないが、市長なら目があったかもしれないのにと思う。その方が本当に立候補するのかどうかは公示後になって見ないと実際にはわからないが、どうもなんらかの見込み違いがはじめからあったような気がする。

そういうネガティブなことを言うのは気が引けるが、それでもどうも彼のブレーンがきちんと候補者本人の気になって考えていない気がして仕方がない。

南ドイツのフライブルクの以前の市長が来て愛媛大学で講演をしたことがある。彼はドイツの中央政府がどう考えようとも地方都市の政治が自分なりの考えでとりくめば、意外に重要な政策を遂行することができると強調していた。それは単に地方都市の市長だからといって卑下するようなところはなく、政治家としてのアイディアと矜持が強く感じられた。それが都市フライブルクの環境政策の根幹をいまもなしている。

もちろん、日本の自治体は3割自治といわれるくらい、財政的に厳しく誰が市長になってもあまりかわならないのかもしれないが、それでも市長が新しい行政を行う強い気持ちがあれば、いろいろなことができるだろう。

市長の政治的姿勢の重要性が思われる今日この頃である。


シャワートイレ談義

2010-11-05 11:01:10 | 外国語

日本の今優れているものにシャワートイレとアニメおよびマンガがある。これらのうちでアニメおよびマンガは世界に普及をしていて、中国から来たある留学生がセイラー・ムーンのファンだということを最近聞いた。

昨夜のドイツ語コースでシャワートイレ談義があった。発端は小児科医の I さんでシャワートイレがヨーロッパ、特にドイツでどれくらい普及しているかとの議論になった。ということでドイツ語コースのはずが日本語コースになってしまった。

R氏によれば、ドイツではウォシュレットと言われるようなシャワートイレはほとんど普及していないらしい。新しいものがドイツにないわけではないらしいが、いつでも普及に問題があるのだとはR氏の意見である。

ところがO氏がどこかで読んだのかテレビで見たのかわからないが、ある女優さんか女性タレントかはたまた女性作家かが少し便が残っているくらいのことを気にするような男性は男性らしくないといっていたとかいう。そこで私が「それは痔になったことのない人の言い草だ」と口をはさんだら、K夫人から「そう来ましたか」と言われた。

それで話は終わりそうになったが、I さんの娘さんは小児科医・内科医だが、その方の意見としてシャワートイレは細菌の感染の恐れがあるとの見解もあるとの I さんのご意見が出た。もっとも家庭内では問題があまりないのだろうとのことである。

現在どのくらいいわゆるシャワートイレが日本で普及しているかはデータをもっていないが、かなりの普及度ではあるだろう。多分各家庭の半分を超えているのではないだろうか。

今朝、朝食後に妻にその話をしたら、ヨーロッパには雨が少ないために、水が少ないという問題があるのではないかという指摘があった。水資源は日本ではそれほど問題ではないが、ヨーロッパではかなり大きな問題である。

それで水を多量に使うようなシャワートイレはあまり普及しないのではないかという。使える水が限られているという、水の貴重さとともに水代もかかるということで、普及が遅れているのではないかという。それも一理はあるだろう。

なんでもそれぞれの状態には理由がある。シャワートイレの普及が遅れているからといって、新しいものを取り入れる進取の気性に欠けているととるのも一つの考えだが、そのほかの国民性とか実利的な側面の考察が欠かせない。


続、微積分のコンテンツ

2010-11-04 15:00:22 | 数学

今日は快晴である。ここから見えるところでは東の山の上に小さな雲があるが、それ以外は雲は見えない。

先週のドイツ語コースの要約を「ようやく」つくった。語呂合わせのつもりではないが、語呂合わせみたいな言い方になった。

昨日から微積分ミニマムの4つのe-Learningのコンテンツを作製して、つぎに演習問題とその解答の作成にとりかかった。私のもっている、一つの資料は大学のときの元の同僚が演習で使っていた演習問題で、これをコンテンツに取り入れたいと思っている。もう一つの資料は私自身が大学1年と2年のときに使った、微積分のテキストの演習問題を解いたノートを保存していて、それを使うこともできる。

ただ、最初のアイディアでは、大学の理工系の学科で使われているテキストからどのような積分と微分の式が出てくるかを調べてそれらについて述べれば十分ではないかと思っていた。ところがそういう大学の理工学関係のテキストを読んで、そこに現れる微積分の式を取り上げることは考えとしてはいいのだが、それを多くのテキストから式等を探すのは面倒で手間がかかるのである。

こういうことを考えたのは実はペリーの「微積分のテキスト」がそういう風なのである。このテキストの翻訳は私が学生のころに森北出版から出版されている。

しかし、私は安易に流れて、既成の微積分のテキストにある、問題を採用することに妥協が図られた。大学の1~2年で出てくる、数学の式を扱うことにすれば、普通の理工系の学生の必要とする以上の題材を扱うことになるだろうと想像される。

一方、大学院へ行く人や研究者になろうとする学生にとっては、私の想定しているe-Leaningの内容の程度では不十分であろう。だが、それらの人々には十分に自分でテクストを探し、自学自習できる力がすでに備わっているだろう。だから、そういう能力のある学生を私たちのe-Learningは対象にはしていない。なんでも限度というものがある。


差込む日ざし

2010-11-03 12:02:01 | 日記・エッセイ・コラム

太陽が低くなってまた日が差し込む季節がやってきた。この日差しは暖かくて、寒くなった季節にはまたとない恩恵である。リビングのコタツの机の上に日が差し込んでいる。

午前中と午後の早い時間だけだが、それでも冬の寒い季節には有難い。自宅の狭い庭を通して日がさしているのだ。もっとも前にも書いたが、その日差しの暖かさを満喫するのは日曜日くらいしかない。祝日でも大抵は仕事場に来るからである。仕事場は朝日は差し込むが、正午前にはもう日はささない。だから、冬向きではない。

どこで仕事をするかというと自宅ではリビングのコタツの上である。そこに紙を広げたり、本を広げたりしている。それも大抵夜も深夜のことが多い。12時頃まではテレビを見ている。それ見終わってからおもむろに動き出す。ところが年でこの頃には眠くなってコタツで座椅子に座ったまま寝てしまうことが多くなった。

仕事場では大抵はパソコンの前にいる。大学に勤めていたときには自分の机に座って仕事をしたが、ここには第一自分の机がない。それにパソコンへの入力が多いので、パソコン前が定席である。仕事をしながら居眠りをすることも多い。それで目を覚ましたら、またパソコンに向うそんな日々である。

それでもときどきは計算をしてみたいことも起こることがある。このときは食卓兼用の机の上に紙を広げることがあるが、そういうことも少なくなった。本を読んでいてのちょっとした試しの計算等はやはりパソコンの前で紙をおいて、ちょこちょことやっている。よく小学生などにちょこ、ちょことノートの隅で数の計算をしたりする子にはそういうことを辞めなさいというのだが、自分ではやはりちょこちょこと計算をしたりする。それもパソコンの前の机としてのスペースのないところであり、あまりいい習慣とはいえない。


11月になった

2010-11-02 11:19:08 | 日記・エッセイ・コラム

あれほど暑かった夏もいつのまにか、もう十年も前のことのように思えてくる。いまはエアコンがいらない時期でもう少ししたら、暖房がいるようになるだろう。すでに自宅ではガスストーブを朝とか夜間に入れるようになった。

先日の急な寒さで、みんなコタツを出したり、冬支度をしたらしい。我が家も例外ではない。コタツの布団をかけたり、ガスストーブを設置したりした。それまでは半そでのシャツを着ていたりしたのを長袖に替えた。

季節はやはり巡ってくる。今年は秋がなくて夏から冬だといわれたりはするが、それでも紅葉はあるらしい。南国と言ってもいい松山あたりだと市内の街路樹の並木の紅葉は11月終わりから12月の半ばくらいであろうか。

12月一杯はときどき急に寒い日があることは例年のことだが、一般的にいって暖かい。本当に寒くなってくるのは年が変わってからである。

それは毎年夜間にやっているテニスでも1月になると参加者が減ってくる。もちろん常連の人はほとんど休まないのだが、不定期に来ている人たちが来なくなるのである。もっとも昨冬は冬季は参加者が減らず、むしろ春先に参加者が減るという珍しい現象があった。さて今年はどうなるだろう。


久しぶりの郊外電車

2010-11-01 11:33:33 | 日記・エッセイ・コラム

車で仕事場に来ることが普通になっているので、郊外からの電車に乗ることがしばらくなかった。昨日妻の高校の同期生がきたので、道後ビール館でビールを少しだけ飲んだ。それで、車で妻につれて帰ってもらったので、今朝仕事場に来ようと思ったら、車がなかった。

それで郊外電車に乗って市駅まで出て、後は市内電車に乗って仕事場に来た。これはしばらくぶりであったので、新鮮な感じを私に与えた。そのうちに、車に乗れなくなるだろうから、公共の交通機関に頼るということは早晩来るであろう。

経済的にも妻と私が別々に車をもっているとどうも大変である。だが、妻は活動的なのであちこちに医療生協の友達たちと出かけることが多い。それで、一台に車を限ることにすれば、どうも私が公共の交通機関を使うことに必然的になろう。

もっとも大学への通勤には電車を使っていたので、そういう習慣が復活するだけなのだが、雨とかの悪天候のときのことを考えると憂鬱になる。もっともそういう悪天候は松山では少ないのだが。

映画「タワー・インフェルーノ」の最後のシーンで車で送ろうかと誰かが言ったら、主人公がI prefer public transportation.と返すところがある。それで公共の交通機関というのは英語ではpublic transportationというのだと知った。