昨夜のドイツ語のクラスで医師の I 先生が「あげまん、さげまん」という言葉に触れられた。それをYさんがドイツ語で説明された。どういわれたのかはっきり覚えていないが、キワードはKarriereという語だったと思う。
もともと「あげまん、さげまん」という語の意味をよくは知らないのだが、それにしてもそのぼんやりした概念をKarriereという語で表した感覚に感心した。これは日本語でいうキャリヤであろうか。日本語でも現在「キャリヤを積む」という言い方が一部で定着していると思う。それと本当は同等(イクオール)ではないだろうが、それでもなんとかR氏に理解をしてもらえたようだ。
いま、もし私が言うとすればどういうであろうか。たとえば、
Wenn eine Frau einen Mann heiratet, dann macht der Man gute Karriere. In diesem Fall heisst man die Frau "Ageman" auf Japanisch. Im Gegenteil sagt mann "Sageman" .
(この文は勝手にいま私がつくった文なので正しくは多分ないであろう。まじめにとらないでほしい。辞書を調べていないので、ひょっとしたら、Karriereとはポジティブな方にしか使わないかもしれない)
とでもなろうか。それにしてもYさんの表現する能力には驚いた。これは昨日だけのことではもちろんない。内容はまったく覚えていないのだが、去る7月のドイツ語のメンバーの学期終了パーティで、やはり私には表現できないと思うようなことを話していた。昔は私も誰かが日本語で言っていたり、ドイツ語でつまったりしたら、それを聞いていて,対応したり、またはその続きのドイツ語が自然に出てきていたような気がする。それができなくなってしまった。
日中は一人で仕事をしているので、誰とも話をしない。だから日本語でも言葉が出てこないことがある。それで多分言語能力が落ちているのであろう。
話はちょっとはずれるが、日本を代表する数学者の一人だった小平邦彦さんの書かれたものに「何十年もアメリカで英語に接して生活していたが、新しい英語の単語に出会う」というのが、あった。これは彼がニューズウィークか何かで出会う英語の単語が種切れにならないということを述べた文章であった。
それと比べるとはあまりにも環境が違いすぎて恥ずかしいが、昨日のクラスでも知らない語が数個出てきた。VettelだとかReiherとかである。他にもあったかもしれないが、今は思い出させない。私たちのクラスは文学的な話はあまり出てこないから、あまり抽象的な単語はほとんど出てこないがそれでも毎回10語まではいかないかもしれないが、知らない単語が出てくる。
どうも2千語くらいのドイツ語でなんとかしようとしているのだから、仕方がないかもしれない。教養あるドイツ語圏の人々は一万語くらいを身につけているというが。