昨日から、景色が変だと思っていたら、案の定、季節はずれの黄砂だそうである。春霞のようにかすんでいつもははっきりと見えるはずの山々がかすんでしか見えない。普通には春先の現象だが、この季節には珍しい。
中国の奥地のあまり木の生えていない砂漠の砂とかが強風で巻き上げられて、はるか海を越えてやってくるらしい。それなら中国の奥地に木を植えて、砂漠化を食い止めたらと、私のような素人は思ってしまうが、それほど簡単なことではないらしい。
中国でも私が学生のころには(もう50年もまえのことだが)、一人一本の植樹運動が展開されたと思う。が、なにせ中国の国土は広いのとその広大な大地には奥地のほうではほとんど雨が降らないのだという。いつか星野芳郎氏の書いた本で見たのだが、雨の降水量と水分の蒸発量とを比べると蒸発量の方が大きいのだと書いていた。それでも砂漠化を何とかして食い止めることが必要ではあろう。
それとは違うが、中国の内陸部でも農業を起こして、内陸部も豊かになろうとすると水の問題が起きる。それで、大きなダムをつくるとかして発電や農業用水としようとすると水が多量にいることになって、河口近くの広大な土地には水が不足することになるという。それだと沿岸部の工業地はまだいいかもしれないが、それよりは少し内陸の部分では農業ができないために壊滅的な被害を受けてしまう恐れがある。
また、首都北京では水が不足しているために、水路を開発して内陸部から水を供給しようとしているとテレビで見た記憶がある。単に水の問題だけとっても中国には問題があるらしい。その広大な土地に10億あまりの人が住んでおり、その人たちが個別に経済活動をしようとしているのだから。
アメリカも問題だが、そこには3億くらいの人口である。だから、問題がないとはいわないが、まだ問題としては小さいだろう。これが10億の人にある程度の生活のレベルを保障しようとすると恐ろしく困難なことであることは想像がつく。 内陸の都市では大学を卒業しても職のない人がかなりでてきているとか。これは日本でも同じだが、日本ではどうも企業の経営の問題として派遣社員の雇用とか首切りとかが問題なのである。
日本でもどうやって雇用をつくり出すかは政府のみならず、これからの大きな問題となってくる。しかし、それもあまり人が頭を使いたくないというような風では問題外の外といった感じがする。職がないからといって、数学とか物理とか、はたまた工学とかいった面倒な学科を学ぶのかといったら、そういう面倒なことを学びたくはないという、若者の勝手な言い草である。
もちろん、みんなが理工系の学問を学ぶ必要はないのだが、一般的に安易な方向に流れていくという傾向はどうも否めない。それで生活ができないとかいわれたって、自業自得ではないのかと、そこまでは妻なども言わないが、それに近い感覚をもっているらしい。
私などはそうはいっても、そんなに簡単ではなかろうと思ってはいるが、やはり先進国となったら、今までのようには行かないという自覚が国民に必要なことはいうまでもないだろう。そしてその自覚はやはり一番教育に現れなくてはならない。
というわけで、そういう観点も考慮して、私個人はこつこつとe-Learningのコンテンツをつくっているのである。こういうことは誰かがやらなくてはならないのだが、小学校から高校、大学の先生まで含めてとても忙しくなってきており、どうもなぜこんなに忙しくて、それも生産的でないことで忙しいのかわからないような状況になっている。
これはしかし政治の世界もそうであり、創造的な観点はほとんどなくなり、自分たちが政権をとってその恩恵に浴したいという考えばかりが与野党を含めて伺える。もちろん政治は政府与党の責任が一番大きいが、どうも野党もあまり頂けないという感想をこのごろ強くもっている。
これは国民もそうである。政府とか首相の指導性とその責任が十分に果たされていないという声があるが、では全体的にあなたの言うことをそのまま聞いたら、うまく外交がうまく行き、また雇用なり、所得が増えるかというとそんなに簡単ではなかろう。マスコミも市民の声を聞くと称してヒステリックになっている。
この国の問題は、じっくり腰を落ち着けて抜本的な対策に取り組むという気概がないというところに一番の問題があるのではないか。