冒頭からオヤッと思われたかもしれないが、昨夜のドイツ語のクラスで出た話である。ドイツのカトリックの地域で祝われるカーニバルは11月11日の11時11分に始まるのだという。毎年11月になるとこの話になるのだが、いつも前年のクラスで出た話をまったく忘れていて、R氏の問いに困ってしまう。
要するにドイツの国の一年がわかっていないというか感覚としても知識としてもはっきりしていないのだ。その点ではいつもK夫人の確実な知識にはいつも敬服する。この人は判断もしっかりしているが、知識もきちんと把握していてこれは他のクラスのメンバーの追従を許さない。頭のいい人がいるものだと感心をしてしまう。聖者ザンクト・マルチンの話もはっきり記憶している。この人の明晰な頭の構造はどうなっているのだろうと思うばかりである。
11月11日はザンクト・マルチンの日でもある。彼女によるとマルチンはもともとRitter(騎士)だったが、あるとき物乞いの人に出会った。これは11月11日がザンクト・マルチンの日と言われるくらいだから、今ごろの季節なのであろう。日本ではまだ11月は凍えるほどではないが、ドイツの11月はもう冬である。そのとき、マルチンは自分の着ていたマント(今の言葉ならコートだが)を剣で半分に切ってそれを物乞いに与えたのだと言う。マントの切れ端でも冬の寒さには少しは役に立ったであろう。
そういう善行があったので、マルチンは後に聖者に列されたのだという。ザンクト・マルチンの日には子どもたちがLaterneといわれるちょうちんをもって、聖者マルチンの乗った馬の後ろを1~2キロ歩いて焚き火の傍にいる物乞いのところまでいき、マルチンが自分の着ているマントを半分に切ってその物乞いに与えるという寸劇を見るのだ。
いつだったかホームステーイに来たドイツ人の若い夫婦の夫が、この寸劇の最後の場面にはタネがあって剣でマントを切り裂くのだが、このマントはファスナー(der Reisverschluss)でつながっていて、このファスナーを開けてマントの半分を渡すのだということを聞いた。
このとき、マルチンは(少し大きな?)子どもが演じると言う風にK夫人はいっていたようだが、一般には大人が演じているのだと思う。
参考までにDie Fastnacht beginnt am 11.11をカタカナで表音すると、ディ・ファスナハト・ベギント・アム・エルフテン・エルフと読む。Fastnachtは場所によって呼び方が違うが、ケルンではder Karnevalであり、マインツではdie Fastnachtで、ミュンヘンではder Faschingという。Fastnachtと呼んでいる地域が一番広いのではないかと思うが、きちんと調べたわけではない。また、Fastnachtはtが入っているが、この t は発音をしないで、ファスナハトといっていると思う。
私はスイスのバーゼルでも、ドイツのフライブルクでもFastnachtの行列をみた。また一年後にはマインツでその壮大な行列をみた。ちなみに、このカーニバルの行列で有名なのはケルン、デュッセルドルフ、マインツの3都市でこれらの市にはこのときにはその住民の何倍もの観光客が訪れるので有名である。
行列は数時間も続き、行列の車の上からはボンボンやチョコレートが沿線の見物客に雨のように降る撒かれる。沿線の見物客もかさを逆さにしてその車上から降ってきたボンボンを受けとめる人も多い。
だから、行列に参加する市民はこれらのボンボンやチョコを大量に購入するので、Fastnachtの後では貧乏になると冗談めかして語られている。が、これは本当のことなのであろう。そして私たちを外国人とみれば、写真のポーズを車上でとってくれたりとサービス精神も旺盛である。
また、この行列が終わるとこの行列が通った通りはゴミがたくさん出て汚れているが、それをドイツ人のきれい好きで、すぐに清掃する人がたくさん出て清掃をしているのを見かける。
このFastnachtはドイツの春の到来を示す行事であり、冬の厳しい季節でどんよりした陰鬱な天候からくる憂鬱さをドイツ人から解放してくれるお祭りでもある。もしこのお祭りがなかったら、もっと多くのドイツ人の精神がおかしくなってしまうのではないかという観察をする日本人もいるくらいである。
誇張していえば、冬にはどんよりとして、曇天の雲の中に首まで突っ込んでいるようだといったら、少しはドイツの冬の天候の厳しさを想像をしてもらえるだろうか。