物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

選挙

2010-11-06 14:45:53 | 国際・政治

まだ始まってはいないが、もうすぐ愛媛県知事と松山市長の選挙が始まる。政治は私たちの生活に直結するので本当は大切なのだが、どうも政治には関わりたくない。それは政治が本当の意味で市民のものになっていないからなのであろう。

県知事候補に立候補が予定される方々の中にももちろんある程度実績をもって挑戦される方もいれば、その点については未知数の方もいる。だからどうなんだと開き直って言われると言いよどんでしまうが、どうもなんだかなあと思ってしまう。

これはある左翼政党のように、当選を度外視して選挙を自党の活動のPRの場と考えているところもあるが、もう少し政治が一歩ずつでもよくなることを目指すという考え方の方を推奨したい。

un peu ou rien* (この発音をかな表記をすれば、アンプー・ウ・リィャン:少しあるか、またはまったくないかの意)という立場では、選挙の結果の政治に関してはちょっとは改善があるのかまったくないのかは大いに違う。

* これは小田実がアメリカ留学からヨーロッパ経由で帰って来たときにフランス人に言われたという言葉で「なんでも見てやろう」に出ていた。

ある方のことだが、私個人の考えでは県知事では目がないが、市長なら目があったかもしれないのにと思う。その方が本当に立候補するのかどうかは公示後になって見ないと実際にはわからないが、どうもなんらかの見込み違いがはじめからあったような気がする。

そういうネガティブなことを言うのは気が引けるが、それでもどうも彼のブレーンがきちんと候補者本人の気になって考えていない気がして仕方がない。

南ドイツのフライブルクの以前の市長が来て愛媛大学で講演をしたことがある。彼はドイツの中央政府がどう考えようとも地方都市の政治が自分なりの考えでとりくめば、意外に重要な政策を遂行することができると強調していた。それは単に地方都市の市長だからといって卑下するようなところはなく、政治家としてのアイディアと矜持が強く感じられた。それが都市フライブルクの環境政策の根幹をいまもなしている。

もちろん、日本の自治体は3割自治といわれるくらい、財政的に厳しく誰が市長になってもあまりかわならないのかもしれないが、それでも市長が新しい行政を行う強い気持ちがあれば、いろいろなことができるだろう。

市長の政治的姿勢の重要性が思われる今日この頃である。