時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

我々は前に進んでいるのだろうか:見えないものに翻弄される世界(3)

2020年03月06日 | 特別記事

’It’s going global’ The Economist ,February 29th-March 6th,,2020, cover


ウイルスがやってくる。政府は山のように多くのなすべきことがある。
The virus is coming. Governments have an enormous amount of work to do. 
Leaders, The Economist February 29th - March 2020

 

新型コロナウイルスの嵐は、ついに5大陸を覆うまでにいたった。その速度は驚くべきだ。昨年末に中国で増殖を始めたと思われる新型ウイルスは、わずか3ヶ月で世界中を恐怖と混乱の渦に巻き込んでしまった。感染症の拡大がこれほど急激かつ広範に、世界のあらゆる領域に甚大な影響を与え得たことは歴史的にもあまり例のないことだろう。疫病が人類に多大な衝撃を与えた例は、歴史上も何度かあった。しかし、今回ほど短期間に広大な地域に深刻な影響を及ぼした例は知られていない。地球上を移動する人の数と速度が、かつてとは比較にならないほど変化していることが背景にある。

「グローバル危機」へ
このブログでは、今回の新型コロナウイルスがもたらした現象を「 グローバル危機」という概念で捉えたが、その後刊行されたイギリスの経済誌 The Economist(February 29th-March 6th,2020)も「ついに(コロナウイルスは)グローバルに」It’s going global という表題を掲げている。しかし、このウイルスの正体にはまだ分からないことが多い。目に見えないウイルスは、人間の健康領域から経済、政治、文化の次元へと急速に浸透、拡大し、各所に大きな損傷を与えている。文字どおり、これまで経験したことのない「グローバル危機」が世界を脅かしつつある。

ビッグブラザーの姿が・・・・・
新型コロナウイルスの震源地となった中国では、もはやなりふり構わず、軍隊まで動員して鎮圧に躍起になっている。その有り様は今や文明のあり方まで規定しかねない。スマホなどのIT技術を駆使して、個人に関わる情報を集積し、国家が掌握、利用することが行われている。あたかも、ジョージ・オーウエルの『1984』に描かれているビッグ・ブラザーが支配する全体主義国家を彷彿とさせるものがある。

様々な議論が行き交う中で、やや異例な新聞記事でブログ筆者の目を引いたのは、日本と同様に休校措置を導入したイタリアの高校長が生徒へ宛てたメッセージであった。短い引用記事であったので趣旨が十分読者に伝わらなかったかもしれないので、少し補足してみよう。このメッセージを書いたミラノの高校のドメニコ・スキラーチェ校長は、17世紀にヨーロッパに蔓延した疫病ペストの状況と現代を比較している。


「最大の脅威は人間関係の汚染:イタリア・休校中の高校長、生徒へメッセージ」『朝日新聞』2020年3月2日夕刊

我々は前に進んでいるのだろうか
記されているのは、このたびの新型コロナウイルスの流行に伴って指摘されている外国人に対する恐怖や侮蔑、根拠のない迷信や治療法の横行などの現象である。17世紀ヨーロッパを震撼させた疫病ペストの流行時の状況と今回の新型コロナウイルスの蔓延に右往左往する世界の状況が、多くの点で類似していることである。マスクに始まり、トイレットペーパーの買い占め、日用品の払底、検査キットの不足などに見られる人間の利己的行動に起因するパニック、外国人差別、偏見、入国制限など、歴史の退行現象ともいえる兆候が至る所で指摘されている。

本ブログでも折に触れて記してきたが、17世紀には疫病の流行が多くの噂、偏見を生み、怪しげな療法、妖術、魔術を拡大させ、世界史上知られる 魔女狩り、裁判の横行 があった。科学的、合理的な根拠もなく、他国の政策を非難したり、個人レベルで外国人を敵対視したり、攻撃するという行動は、すでにメディアで報じられている。

ドメニコ・スキラーチェ校長は、17世紀と異なり、近代医学が発達を遂げている現代では、状況が異なると述べ、良書を読み将来に備えよと述べている。確かにこれまでの経験からすれば、1-2年すれば、新型コロナウイルスへのワクチンも開発されるだろうし、有効な新薬も見出されるだろう。


しかし、大国の横暴がまかり通り、合理的思考も必ずしも貫徹しない現実を前にすると、この新型コロナウイルス危機を乗り越えたとしても、人間社会には多くの後遺症が残ることが予想される。すでにその兆候は至る所にある。人の移動の減少、利己主義や偏見の抬頭などはすでに見られる。それらの傷痕をできる限り少なくする上でも、暫し来し方を振り返り、未来を考える上で、これからの世界に生きる若い世代にとって「社会の休校 」は無駄ではない。付和雷同、右往左往することなく、深く沈潜して考えるために天が与えた機会と思いたい。


References
’It’s going global’ The Economist ,February 29th-March 6th,,2020
「最大の脅威は人間関係の汚染:イタリア・休校中の高校長、生徒へメッセージ」『朝日新聞』2020年3月2日夕刊

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行きも怖いが、帰りも怖い: 見えないものに翻弄される世界(2)

2020年02月29日 | 特別記事

 

3月初旬にアメリカ、サンフランシスコから来日する予定だった友人から急遽、日本行きを取りやめるとの連絡があった。ご想像の通り、新型コロナウイルスの感染者が急増している日本へこの時期に赴くことへの心配、恐れが訪日をためらわせた理由だった。アメリカ政府も高齢者を始め、不要不急の用件がない限り、日本への旅行を差し控えるよう公示している。日本は新型コロナウイルス感染者が多く、旅行者にとっても危険な蔓延国として認知されているようだ。

他方、日本へ来て仕事をし、感染せずに帰国しても、現在のトランプ政権の下では、検疫後一定期間は特別施設などに強制的に収容される可能性があるとの恐れが訪日をためらわせるとのことであった。訪日中の会合、宿泊や会食の予定も全て取りやめることになった。予約をキャンセルされたレストランなども、この状況では仕方がないとあきらめているようだった。



感染者数が増えるばかりの日本では、全国の小中学校、高校、特別支援学校などに3月1日から春休みまで休校を要請するという異例の措置を発表した。教育界は降って湧いたような前例のない要請に、感染予防対策に右往左往の状態だ。さらに、北海道知事は2月28日、「緊急事態宣言」(2月28日~3月19日)を発し、それまでの空気は一変し緊張感が走った。ここでは「クラスター」(cluster;  集団、群発)連鎖を断つことが強調されている。

21世紀は「危機の世紀」
新型コロナウイルスの影響が世界レヴェルまで拡大したことで、21世紀が「危機の世紀」として後世に記憶されるであろうことがほとんど確定した。世紀の初めの9.11、そして3.11と衝撃的な歴史的事件が続いただけで、我々の生きている21世紀が歴史上でも特記すべきグローバルな「危機の世紀」となったことはほとんど自明となったが、この新型コロナウイルスの世界的な蔓延で決定的となった。

歴史的にも最初の「グローバル危機」といわれる17世紀、2度にわたる世界大戦(1914〜18年; 1939~1945年)と、その間に起きた大恐慌(the Great Crash;1929~)を経験した20世紀に続き、21世紀は冒頭から9.11さらに3.11して知られる衝撃的な事件で幕を開けた。

〜〜〜
1929年10月24日 暗黒の木曜日 Black Thursday

ニューヨーク株式市場の株価大暴落、大恐慌始まる。この年659の銀行が倒産。翌年には1352件に増加
1932年7月20日 フランクリン・D・ローズヴェルト、民主党大会における大統領候補指名受託演説で「ニュー・ディール」New Deal を宣言。



9.11 アメリカ同時多発テロ事件( September 11 attacks
2001年9月11日、アメリカ合衆国で同時多発的に実行された、イスラーム過激派テロ組織アルカイーダによる4つのテロ攻撃の総称


3.11 東日本大震災 
2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖大地震およびこれに伴う福島第一発電所事故による災害。

〜〜〜


このブログでは、特に意図したわけではないが、17世紀以来のグローバルな「危機の世紀」を、美術を中心とする文化、経済など多様な視点から掘り下げてきた。17世紀の画家たち、20世紀の政治や絵画などの文化的側面、例えば画家L.S.ラウリーなどの作品と生涯の探索などを通して、その輪郭はブログ筆者の脳裏では具体化が進み、なんとか形になってきた。18-19世紀にもそれぞれ危機があったが、ここではブログ筆者の関心事である「グローバル危機」の観点から、整理をしている。

グローバル危機を実感させた新型コロナウイルスの脅威
昨年末、中国湖北省、武漢に端を発した新型コロナウイルス蔓延の衝撃は、瞬く間に世界に拡大し、経済、政治の領域へ多大な影響を今も与えつつある。2月28日、ダウ平均株価は1190ドル近い下落となり、過去最大の下落となった。2008年9月リーマンショック*以来最大の下げ幅となった。日経平均株価は673円下落。

 

〜〜〜
リーマン・ショック 
2008年9月15日
に、アメリカ合衆国の投資銀行リーマン・ブラザース・ホールディングス(Lehman Brothers Holdings Inc.)が経営破綻したことに端を発して、連鎖的に世界規模の金融危機が発生した事象を総括的によぶ通称。「王リーマン・ショック」(和製英語)は、外国では、「2007年から2008年の金融恐慌」「国際金融危機」 などと呼ぶのが一般的である。しばしば、the financial crisis (金融危機)だけでこの事件を意味する。
〜〜〜

ブラックスワン型事象の台頭
このたびの新型コロナウイルスの世界的拡散を予知した人はほとんどいなかった。それだけに対応も遅れ、瞬く間に5大陸に感染者が広がった。このような「予想していなかった、ありえない」と思われる事象が突如として起きることを説明するに「ブラック・スワン理論」black swan theoryという概念が使われるが、今回はまさにその名に値する。「金融危機」などよりも遥かに予測が難しい。

さらに、今回の一連の展開を見て、多くの人々が「グローバル危機」なるものが、いかなる特徴と展開を示すかを肌身に感じたのではないだろうか。これまでの「グローバル危機」は、その範囲はグローバルであったが、影響を受けるのは投資家、労働者、あるいは被災地など、限られた人々の間にとどまルことがほとんどだった。しかし、このたびの新型コロナウイルス危機は、一国の最高指導者層といえども、感染すれば逃れることはできないという意味で、決定的なものとなった。ヒトの移動がプラスの面ばかりではないことも、深刻な形で実感させている。

現在、新コロナウイルスは急速な拡大過程にあり、その帰趨がいかなるものとなるか、客観的評価はもう少し時間を待たねばならない。アンテナを高くし、起こりうる風評に惑わされることなく、自ら正しいと思う道を見出さねばならなくなる。新たな「危機の時代」に生きる心構えが求められている。

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見えないものに翻弄される世界(1)

2020年02月21日 | 特別記事

 

イレーヌに介抱される聖セバスティアヌス
ジョルジュ・ド・ラ・トゥールに帰属すると考えられる作品
Saint Sebastian Tended by Irene
Attrobuted to Georges de La Tour
early 1630s
oil on canvas; 104.8 x 139.4cm
Kimbell Art Museum, source: public domain

 

いつの頃からか、春の花粉シーズンになると白いマスク姿が風物詩のようになっていた日本だが、このたびの新型コロナウイルスの蔓延で、列島はマスクだらけとなった。

かなり見慣れたつもりでも、ここまで来るときわめて異様な感じを受ける。新型コロナウイルスという言葉は瞬く間に世界中に広がったが、WHO(世界保健機構)の定めた新型コロナウイルス感染症(COVID-19)という名称はあまり見かけない。TVなどのメディアには、にわか専門家としか思えない人々の煽動的な発言もあり、社会に必要以上な不安感が広がっている。

見えないものに怯える世界
現在進行中の新型コロナウイルスへの対応の客観的評価については、その渦中にある今は時期尚早だろう。しかし、ひとつはっきりしていることは、感染症が健康・衛生面にとどまらす、社会、経済、そしておそらく初めてと思われるが、政治の世界を大きく揺るがす力を持つに至っているということではないだろうか。Time誌(2020年2月17日)の表紙には、中国の習近平国家主席がマスクをしている姿が掲げられている。そして、これまでの災害では直接現場まで出かけていた同氏や首相などが視察に赴いたのは、武漢ではなく北京市内の地区や病院だった。国家主席までが感染の脅威にたじろぐような状況だ。2月21日には中国の最高幹部が建国以来の非常事態と発言するまでになった。ウクライナでは中国武漢からの帰還者の入国を阻止しようと暴動が起きるほどの信じがたいパニックさえ起きている。



Time誌、2020年2月17日表紙

街を歩く人々の夥しいマスク姿を見ていると、このブログで取り上げてきた17世紀の疫病、とりわけペストの蔓延時の人々の混迷、不安、恐怖の有様が目に浮かぶ。と言っても今日に残るさまざまなイメージや歴史的記述を通しの世界てのことである。人類は有史以来、多くの疫病に襲われ、悩んできた。とりわけよく知られているのが、 ペスト、黒死病 (plague, Black Death)などに代表される疫病のヨーロッパ、中国などでの流行だ。中世から近世にかけては、ほとんどいずれの世紀も疫病に悩まされてきたが、特に14世紀から17世紀にかけての大流行、パンデミックが知られている。

17世紀「危機の時代」のスナップショット
なかでもペストは何度か大流行しているが、15世紀にはイギリスを中心とするヨーロッパ、アジア、中近東などでは2500万人を越える死者があったとの記録もある。17世紀のフランスでは1628-31年にかけて100万人を越える死者が出たようだ。17世紀は、小氷期によりヨーロッパの気候が寒冷化し、ペストが大流行したことに加え、飢饉が起こり、30年戦争をはじめとする戦乱の多発によって人口が激減したため「危機の時代」と呼ばれた。

このブログの柱のひとつである画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの生涯の間にも、何度か疫病に関わる出来事が知られている。例えば、画家が妻の生地であるリュネヴィルへ移り、画業もたけなわであった1636年の2月28日、甥で貴族の息子フランソワ・ナルドワイヤンを徒弟として3年7カ月の契約で住み込み徒弟として受け入れている。ところがこの年、4月リュネヴィルでペストが流行、5月26日ナルドワイヤンが全身紫斑の状態で死亡しているのが発見された。

この時、ラ・トゥールと家族がどこにいたかは不明である。リュネヴィルを離れ、どこかで疫病が下火になるのを待っていたのかもしれない。1640年までにこの画家の子供10人のうち半数は死亡していた。近世初期とはいえ、きわめて過酷な時代であった。

当時は疫病の正体も分からず、領主や貴族たちなどは病気が流行していないと思われる地域などへ逃避していたことが多かった。転地が不可能な農民や商人などは、ひたすら節制し、神に祈り、疫病の嵐が過ぎ去るのを待つばかりだった。魔術や妖術などが流行したのも、人々の不安や恐れが根底にあった。

こうした時代に、なんとか疫病に対応しようとしたのが、世界史の教科書などでもおなじみの「ペスト医者」(plague doctor あるいはイタリア語の medico della peste)として知られるペスト 患者を専門的に治療した 医師であった。 黒死病が蔓延した時代に多くのペスト患者を抱えた都市、例えばイタリアの都市によって特別に雇われた者だった。今日に残る画像を見ると、いかにも奇妙な服装をしているが、例えばマスクは疫病から免れると思われる香料や薬草などが詰め込まれていたらしい。町に溢れるマスク姿の人々を見ると、ついこの異様な医師のイメージが浮かんでしまう。



医師シュナーベル・フォン・ローム(Der Doktor Schnabel von Rom;疫病を避けるために ガスマスクをした ペスト医者)を描いたパウル・フュルストの版画(1656年)。(wikipedia 該当記事から)

心の支えは何処に
ラ・トゥールの作品で極めて人気を集めた《イレーヌに介抱される聖セバスティアヌス》(上掲画像、関係記事は表題クリック)は、この時代、一種の護符代わりに多くの人たちが欲しがったものであった。献身的に介護にあたる聖女と召使の姿がきわめて美しく描かれている。この横型の構図の作品だけでも、模写など10を越えるヴァージョンが発見されている。

「神なき時代」に生きる現代人は、コロナウイルスという見えない脅威に何を支えに立ち向かうのだろうか。数百年の時空を超えても、見えない恐怖に恐れおののき、揺れ動く人間の心の仕組みはあまり変わっていないようだ。

必要なことは、人それぞれが心の安定を維持し、いかに身を処するべきかをよく考えることではないか。その間、流言飛語のようなニュースにいたずらに翻弄されたり、怯えることなく、自らが正しいと思うことを信じ、新感染症へのワクチン開発など根本的解決への努力が迅速に進むよう有形無形の支援を送ることだろう。

 

 

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 新型肺炎が流行るとピザ屋が儲かる

2020年02月12日 | 特別記事

豫園寸景


「風が吹くと桶屋が儲かる」のような話である。上海在住の知人のメールに記されていた。工場閉鎖、在宅勤務などで家にこもっているため、ピザ配達やケータリング・サービスに頼る人が多いらしい。 TVで見ると、上海切っての集客ポイント「豫園」(庭園、商城)は例年ならば春節の時期は大賑わいだが、人影なく閑散としているようだ。通常ならば、春節などで賑わうこの時期、70万人近い人出があるという。

ヒトの移動というものが、時にいかに深刻な影響をもたらすものか、今回の新型コロナウイルスの大流行は世界にその怖さを知らしめた。すでに2003年に起きたSARSの蔓延時の死者数を上回り1,000人を越え、感染者数も43,099となった(2月10日現在)。鎮静化が手間取り、東京五輪と重なれば、開催国日本にとっても一大パニックにつながることは必定だ。実態はすでにパンデミック(大流行)の状況にある。

中国の体制が抱える問題点
今回の新型コロナウイリスの流行が、なぜこれほどの危機的状況を生んでいるかについては多くの論評がある。なかでも人民に都合の悪いことはなるべく知らせないという現在の中国の指導体制が内在する秘密主義が、初期対応の遅れを招き、事態を予想外の規模に悪化させたことは想像できる。さらに、医療を含む社会保障体制の遅れで、医師も少なく病院での診断、入院、治療などの対応が遅れて後手に回ったことも指摘されている。とはいっても医療体制はSARSの時よりは顕著に改善されてきたようだ。当時は中国農村部などでは医療保険が未だ普及していなかったので、罹患しても病院へ行かないのではと憂慮した中央政府官僚もいた。今ではほぼ95%がカヴァーされているようだ。それにもかかわらず、実態を聞いてみると、庶民はなかなか病院へは行けないらしい。特にこのたびのように病院が混雑するときはよほど有力者か強力なコネでもないと診察室まで辿り着けないとのこと。

最大流行地の湖北省、武漢ではヒトの移動を制限しているが、この政策が今回のウイルス対策として公衆衛生の観点から、最適・有効なものであるかについても異論はあるようだ。湖北省の経済は中国全体のGNPで4.5%の比率を占めるが、その部分だけの機能麻痺に止まらない。感染者は中国のみならず、中国全土を中心に世界へと広がっている。習近平体制自体を揺るがしかねない状況に、軍の医療部隊まで投入しているが、どれだけ実効が見込めるのか定かではない。

経済へも感染する新型肺炎ウイルス
ウイルス感染者の増大と反比例するように中国人の国内外の移動数は大きく減少しており、経済活動も生産物の売上減少、工場閉鎖、移転など、顕著なマイナス効果をもたらしつつある。武漢は中国2,000都市の中では13位のサプライチェーンの中心であり、自動車産業の拠点でもある。GM、フランスのPSAグループ、ホンダなどが立地し、多数の部品メーカーが活動している。その他、ケーブル、プラスティックの造花なども一大生産拠点になっている。中国からの部品調達が滞り、日本での組み立てが出来なくなっている企業もあるようだ。多くの分野で、中国市場での販売もかなり打撃を受けている。

ブラックスワン現象に悩む習近平政権
この状況で頭を抱えているのは、なんといっても習近平政権だろう。昨年の香港、台湾問題では、中華人民共和国に「一国で統一(併合)する」と宣言していたにもかかわらず、最悪の事態となってしまった。そこへ起きた新型肺炎問題で、立て続けにほとんどありえないことが起きてしまう「ブラックスワン」(黒いスワン)現象に、春節を通常のようには祝うことができなかった。対米強硬路線も軟化せざるをえない。新年は年初から多事多難な年になることはほぼ間違いない。

子年(ねずみ年)は十二支の始まりであり、新しい運気が動き出すといわれているが、どうもねずみたちは勝手な方向へと走り出しているようだ。


References

“Locked down” The Economist , February 1st, 2020
“Under Observation” The Economist, February 8th-20th

 

 

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危機の世紀:歴史は過去を追体験するのか

2020年02月02日 | 特別記事

Geoffrey Parker, Global Crisis: War, Climate Change and Catastrophe in the Seventeenth Century,  2013, pp.871
本文だけでも708ページの大著


年を追うごとに深刻さが際立つ地球温暖化の進行、絶えざる戦争勃発の危機、そして・・・・。2001年9月11日の同時多発テロ事件に始まった21世紀は、それまでの世紀とはかなり異なったものになりそうな予感がしていた。異常気象、大規模な森林火災、戦争の危機など、さまざまなリスクに溢れた時代が到来している。そのことは、ブログにも記したことがある。

そして、このたびの中国湖北省武漢市に突発した新型コロナウイルスによる肺炎とその拡大は、世界に大きな不安感を生み出している。「新型肺炎、景気減速も・・・」という一見すると因果関係を想定し難いような依存関係が今日の世界には形成されている。

ヒトの移動を制限する
アメリカは1月31日、公衆衛生上の緊急事態を宣言した。過去14日以内に中国に滞在した外国人の入国を2月2日から拒否する措置に出た。そして豪州、日本など現段階で64の国が中国との間で何らかの入国制限を導入した。かつてないヒトの移動のグローバルな規模での制限が始まった。最大の動機は感染症の拡大を防ぐということにありながらも、自国内に制御し難い感染源が持ち込まれることを防ぐという自国中心的、利己的な動機が強く働いている。さらに中国国内でのさまざまな生産拠点の閉鎖、移転などが始まり、モノの移動にも制限が波及し、経済活動の領域にも深刻な影響を及ぼしつつある。その範囲は世界経済に及び、影響も大きくなりつつある。中国に近接し、オリンピック開催国としての日本はとりわけ大きな不安を抱え込むことになった。開催までに新型肺炎を抑え込むことができるだろうか。

グローバル・クライシスの到来
このブログで再三取り上げているラ・トゥールの世界、17世紀ヨーロッパの実態が頭をよぎる。歴史上初めて「危機の時代」と呼ばれた。 日本ではあまり知られていないが、イギリスの歴史家ジェフリー・パーカーの大著『グローバル・クライシス』*1についても記した。

*1  Geoffrey Parker, Global Crisis: War, Climate Change and Catastrophe in the Seventeenth Century,  Yale University Press, 2013


パーカーの議論の出発点は、17世紀の「全般的危機」general crisisisをめぐる論争から始まる。その先駆として、歴史家ヒュー・トレヴァー・ローパー( Hugh Trevor-Roper) は、17世紀中頃のヨーロッパ諸国が抱えていた国内の不安・危機的状態を最初に体系的に提示した*2

2   Hugh Trevor-Roper, The Crisis of the 17th Century, Religion, the Reformation, and Social Change

パーカーは「ヨーロッパの危機」から出発しながら、展望の範囲を「グローバル危機」の次元まで拡大し、先行研究に不足していた論理と実証面を著しく充実した。「グローバル危機」の中心は気候変動の強調だった。多くの資料を駆使し、パーカーは17世紀の地球は概して長い低温の時代であり、長い極寒の冬と冷夏の時期を経験したことを主張した。最新の気象学者の研究では、この時期、17世紀の危機の根源は当時の気候変動による寒冷化、いわゆる「小氷期」を原因として指摘する。 17世紀の世界において、経済活動を主として支えた産業は農業だった。当時の農業は気象条件に大きく左右されていた。

こうした気象条件は、グローバルな次元での農業の不作、飢饉を生み、それがもたらす極度の貧困は人口減少につながった。そして、17世紀は政治的にも激変の時代だった。気象など重大な変化に対応する政策をほとんど何も提示できなかった。

パーカーの所論を離れても、17世紀は危機的諸相が至るところに見られた。気象変化に始まり、飢饉、貧困、疫病の蔓延などが固定化し、対応、解決の見通し、手段を持たない人間の間には、過大な租税賦課、英蘭戦争、30年戦争に代表される不毛な対立、宗教界の混迷、魔女、妖術などの蔓延を招き、多くの犠牲も生まれた。

今日の新型肺炎問題の原型ともいうべき事態は、14世紀に続く17世紀におけるヨーロッパ、そして中国におけるペストなどの疫病 Plagueの流行だろう。とりわけペストは黒死病とも言われ、発症の根源が解明されていなかったため、人々の恐怖の的であった。ヨーロッパにとどまらず、明末清初期の中国華北では、合計1000万人がペストで死亡し、人口動態の面でも大変化があったことが判明している。パーカーによると、1628-31年の間のペストの流行で、フランスだけでもおよそ100万人の人命が失われたと推定されている(Parker, p.7)。

地球温暖化にしても、大国のエゴが障害となって有効な政策を発動できない状況を見ると、人類は17世紀の苦難を新たな形で再体験することになるのだろうか。17世紀、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールが生きた時代が、今とは断絶した遠い過去であるとは思えない変化を、我々は目のあたりにしている。

 

 

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新しい年を迎える: 破壊や激変を乗り越えて

2017年01月01日 | 特別記事

 

 

新年おめでとうございます。

新たな激動の時代の幕開けです。

今年も多くの苦難が予想されますが、果敢に前へ進みましょう。

2017年元旦

  

 

 

 

 

 

 

 

 

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リスク社会に生きる心構え

2016年02月11日 | 特別記事

 

アドルフ・ヴァレット

マンチェスター、アルバート広場


リスク社会に生きる心構え
 この世界を律しているなにかが狂っているのではないか。そう考える人はかなり多いようだ。書店の新刊書のコーナーを眺めると、センセーショナルな表題がかなり目立つようになった。いつから、どのくらい増えたかという問に答えることは難しい。しかし、日々メディアなどで目にする事件の類を見る限り、
明らかに人間の正常な感覚が失われていると思うような出来事は枚挙にいとまがない。

北朝鮮の水素爆弾実験、続いての長距離弾道ミサイル発射など、およそ正気の沙汰ではないが、どの国も阻止することができない。放置してきた時間の経過と共に、将来のリスクは確実に大きくなっている。

天災、人災の如何を問わず、21世紀に入った頃から、それまでとは明らかに異なった出来事が次々と起きている。これについて指摘する論者や研究もある。しかし、地球上の人間は連続した時間軸の上で生きているから、いつからリスクが増加しているかを客観的に語ることはかなり難しい。

明日のことは一切闇といってしまえば、もとより話は終わりとなる。しかし、今の時代、世界に起きるリスク現象には、因果の経路を見出すことが出来て、ある程度の予想が可能な場合もある。多くの場合、複雑系というべき多変数が介在し、発生の経路も入り組んでいる。

昨年初めに亡くなったドイツの社会学者ウルリッヒ・ベック(Ulrich Beck、1944 - 2015年)は、今の世界を「世界リスク社会」と名付け、富の生産を追求した近代化や市場経済の成果が、原発事故や環境汚染などのリスクを生みだすと指摘した。また、それに対応した新たな政治の必要性を訴えた。ベックが言うように、多くのリスクは今や世界規模になり、予測することも発生した被害の補償も困難さを増している。

ひとつの例はテロリズムである。21世紀は平和な世界になることが期待されたが、その期待は直ちに裏切られた。2001年9月14日、アメリカに同時多発テロが勃発し、世界が不安を抱えたスタートとなった。その後、同年10月のアフガニスタンで戦争勃発に始まり、モスクワ劇場占拠事件、マドリッドでの列車爆破事件、ロンドン同時多発テロ、2008年チベット騒乱、ムンバイでの同時多発テロ、2011年オサマ・ビン・ラディン殺害、2014年イスラーム過激派組織ISの活動f活発化、2015年から新年にかけては、パリ、バクダッド、ジャカルタ、パキスタンなどで一連の戦争やテロ事件が次々と起きた。これらの場合、首謀者の犯行声明などで、アルカイーダなどイスラーム系過激派組織の関与がほぼ明白になっている場合もある。根源や発生経路が分かれば、根絶は期待できなくとも、重大なテロの発生を減少させる方策は設定可能かもしれない。

困難を極める戦争の根絶
 天災、人災数多いリスクの中で最悪のものはテロリズムや戦争である。戦争の定義にもよるが、世界で戦火が途絶えた年はきわめて少ない。その脅威は低減するどころか、増幅してきた。すでに4半世紀が過ぎた21世紀だが、アフガニスタン、シリアなどで戦争が続く傍ら、2016年の年頭には北朝鮮が水素爆弾の実験を誇示する動きがあり、中東ではサウジアラビアとイランの間で国交が断絶し、緊張が一段と高まっている。

戦争あるいはテロリズムという愚かで恐るべき災厄を地球上から消滅させることができるだろうか。20世紀は「戦争の世紀」であったが、21世紀に入っても一触即発の危機が頻発している。時には大国の利害で戦争が作り出される。アメリカ、EU、ロシアなど、失った覇権の回復や拡大を狙う国や地域が、シリアのような自己解決能力を失った国の内戦にそれぞれの思惑で加担し、難民を始めとして多くの犠牲者を生む。さらに、中国、北朝鮮のように軍事力を誇示することで内政の失敗や破綻を糊塗しようとする国もある。政治的に仮想敵が作り出され、危険なナショナリズムが扇動される。

テロリズム(非対称脅威ともいわれる)も、特定の宗教や少数民族に対する偏見、差別が生みだすことが多い。互いに相手を誹謗、攻撃し、理性的対話が不可能となる状況が作り出される。IS(Islamic State)のように資金的にも潤沢であり、自爆攻撃という破滅的、過激的思想の集団に対しては、爆撃などの武力的な鎮圧では根絶は難しく、長期にわたる脅威となる。

どの加盟国にリスクが集中発生しているが、今後地域的拡大も予想しうる。たとえば、朝鮮半島、南沙諸島など日本を含む東アジアにおいても紛争が発生、拡大する可能性は高まっている。東アジアは、これまで朝鮮戦争(1950-1953年)以降は、局地的紛争で抑え込み、本格的戦争の脅威をなんとか回避してきた。結果として、幸い破滅的事態を経験することない空白地帯となっている。しかし、今後この地域での紛争リスクは高まると考えるべきだろう。 北朝鮮、中国などの軍事力拡大が、局地的事件などから一触即発の状況を生みだす可能性も考えねばならない。北朝鮮の各軍事力拡大についても、中国が体制の問題までは踏み込めないとする立場を維持する以上、北朝鮮の軍事的脅威が近い将来減少することは考え難い。朝鮮半島、中国などに有事が発生すれば、日本海が「難民の海」と化する可能性がないとはいえない。

検討すべき課題は多いが、少なくも日本が紛争当事者となることは絶対に避けねばならない。中国、アメリカ、ロシアなど覇権の維持、拡大を狙う大国の間に挟まれた日本のような国々は、国家としての戦略設定を誤ると、文字通り国家存亡、取り返しのつかない大事を招くことになる。

政治経済学者J.K.ガルブレイスが指摘するように今や「正常な時代は終って」(The End of Normal)しまい、難しい時を迎えている。これまでの一般的な認識からすれば、異常、異変ともいうべき事態が常に起きているような時代になった。戦争の抑止にしても軍事力や法律で、その発生減少させることもできない。

日本では憲法改正だけが主たる議論になっているが、独自の文化的充実に努め、世界の平和維持を主導しうるまったく新たな視点からの国家的戦略設計が必要になっている。

どこまでリスクは回避できるか
 リスクの視野を天災まで広げると、2011年3月11日には、東日本大震災による地震と津波による甚大な被害、さらにその一環として東京電力福島第一原子力発電所に重大事故が併発し、次の世代にまで問題を持ち越すことになった。重大な人為的ミスも介在し、地球レベルに影響する災害であった。

天災の発生自体を抑止することは不可能に近いが、これまで人類社会が蓄積してきた人智をつくして、起こりうる災害を極力減らす(減災)努力を続けることが、唯一考えられる道だろう。温暖化、大気汚染防止、人口爆発など、地球全体の危機的問題として認識と合意がなされないかぎり、解決はもとより困難である。

9.11や3.11に象徴されるように、現代のリスクがもたらす衝撃は、しばしば想像を絶する。多くのリスクは地球規模で存在し、発生する。 ベックの指摘を待つまでもなく、これからの世代が直面する「世界リスク社会」は、その次元と対応の双方において、従来とはまったく異なった対応が求められる。次世代に生きる人たちは、どう考えているのだろうか。



James K. Galbraith, The End of Normal: The Great Crisis and the Future of Growth, New York, simon ' Schuster, 2014..

 

★本記事は、『戦略検討フォーラム』、「フォーラム・テーマ」欄に寄稿した原文を、ブログ向けに加筆したものである。

text copyright (c) Yasuo Kuwahara, 2016 

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良い年となりますように:時代が背負う新たな課題

2014年12月23日 | 特別記事

 

 2014年はさまざまな意味で多難な年であった。とりわけ日本にとっては、3.11の苦難が未だいたる所に感じられる過程で、悲惨な土砂災害、火山噴火などの自然災害が相次いで発生した。世界的にも、異常気象、大気汚染、戦争、テロリズム、財政破綻など、枚挙にいとまがないほど多くの問題が発生し、それらはほとんど未解決のままである。

 21世紀はまだ始まったばかりである。20世紀の後半の50年と比較しても、その異常さは注目される。世紀の区分は歴史上の人為的な設定に過ぎないといっても、世紀の始まりには、人々は将来への希望や期待の広がりを感じるし、世紀の終わりには、「世紀末」的といわれる厭世的、末期的あるいは退廃的とみられる現象も生まれる。

 このブログでは、美術との関連で、しばしば17世紀に立ち戻っていた。30年戦争に代表される戦争、異常気象による飢饉、疫病、魔女裁判など、複数の危機が重層的に発生する
事態が、当時の世界には見られた。しかし、17世紀は、ヨーロッパだけを見ても、バロック美術の栄光を誇ったローマ、ルイ14世のフランス、市民社会が発達したオランダ、フェリペ4世のスペインの繁栄など、 輝きの感じられる場面が同時に存在した。


 人類は進歩したのだろうか。21世紀の行方には明るさや光はあまり感じられない。 そればかりか、人口、地球温暖化問題を始めとして、地球の危機を予感させるような不安材料に充ちている。「イスラム国」問題に見られるように、宗教的対立は、狂信的な様相を呈し、宗教の問題は近世初期のように急速に人々の関心事に浮上している。

 これからの時代は、単に経済的危機の次元ばかりにとらわれていては理解できない。経済学は急速にその古典的正統である政治経済学の方向へと傾斜している。政治家、そして政治家を支える人たちは、これまで以上に広い視野を持つ必要に迫られるだろう。政治家ばかりの問題ではない。この地球に住む者は誰もがそれぞれに問題を真摯にかんがえることから避けがたい。その広がりは遠く深く、新たな道につながっている。マララさんの言葉を借りるまでもなく、その基盤となる教育のはたすべき課題も
、これまでになく大きな転機にさしかかっている。

 新しい年が平穏であることを祈りながら。

 

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恐怖の都市ボストン再び

2013年04月19日 | 特別記事

遠い日のボストン、MIT
拡大はクリック

 
 17世紀の絵画にかかわるシリーズの途中だが、世界を揺るがす衝撃的な出来事が起きた。絵画シリーズを中断することはためらわれたが、幾人かの読者からのご感想もあったので、少しだけ記しておきたい。それにしても、この自家製「タイムマシン」は、かなり忙しい。老朽化が目立ち、もう解体、格納庫入りの時と思うと、出番がやってくる。

 偶然の一致だが、かつてこのブログに『スポーツは政治不安のバロメーター?』というタイトルで短い記事を記したことがある。2008年9月22日のことだ。そして、その連想からまもなく、9月28日には『恐怖の都市ボストン:ノン・フィクション』と題して、1919年9月にこの都市で発生した警察官の職場放棄というアメリカ労働史上、よく知られた事件を取り上げた。詳細はブログ記事をご参照いただきたい。実態に深く踏み込むほどに、さまざまな点で大変興味深い事件だった。アメリカの生い立ちを理解する上で、幾多のキーポイントともいうべき出来事があるが、この事件も読み込むときわめて奥深い。

 アメリカ史の上では重要な意味を持った出来事であったが、日本の読者でこの事件を知っていて、関心を寄せた方は少なかった。時代が戦前であったこともあり、こうした出来事を知っている人はきわめて少ない。

 今回の事件はボストン・マラソンを舞台として起きた惨事であった。真相の解明はこれからになるが、今日の段階では、テロの可能性が高いようだ。9.11のニューヨーク、ワシントンにおける惨劇をいまだ忘れることのできないでいる今、再びボストンという歴史ある都市において、この痛ましい、そして憎むべき出来事を経験することになった。皮肉なことに、銃火器の所持制限に関する法案は、この日議会で否決された。

 1919年のボストン市警官ストの時には、警官の敗北に終わったが、今回は勇敢な警官がその持てる力を十分に発揮して、惨劇の拡大を最小限に防いだ。9.11の消防士と並び、彼らの勇気は称えられ、語り継がれるだろう。

 テロ根絶への道は果てしがない。しかし、オバマ大統領が述べたように、「テロに屈せず、また走ろう」。それ以外に道はないのだから。 

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ブログに収まらないテーマ

2012年03月11日 | 特別記事

 




 この日、メディアはあの想像を絶した大震災のことで埋め尽くされている。当然ではある。あの日から今日まで1日たりと、頭の片隅から消えたことはなかった。自分が消え去る時まで、そこに残るだろう。

 この大震災が起きる前から考えていたことがあった。この世の中の仕事に、「きれい」、「汚い」という区分はできるのだろうか、という問題である。突拍子もない問題だが、前回まで記してきた、貴族の「貴さ」(noble, nobility)とは、いかなることなのかという問にも関連している。

 福島第一原発の廃炉化に向けて、その最前線の現場で、多くは下請け労働者として、身の危険と隣り合わせて日夜働いている人たちの仕事は、危険で、しかもきれいさとは隔絶されたように遠いものだ。しかし、今日の文脈でみれば、本質的に最も「貴い仕事」ではないか。しかし、その仕事にいつ終止符が打たれるのか、誰にも分からない。

誰もやりたくない仕事
 
厭な仕事は誰がするのか Who will do the lousy work? という問いは、アメリカでは1970年代頃から折あることに提起されてきた。最近もある雑誌が「なぜアメリカ人は汚い仕事につきたがらないのか」Why Americans won't do dirty jobs.というテーマで、この問題をとりあげていた。

  いかに失業率が高い国であっても、自国民労働者が働きたがらない仕事がある。これらの仕事はしばしば lousy jobs (汚い、厭な仕事)あるいは文字通り dirty work (ダーティ・ワーク)と呼ばれてきた。しかし、その内容は一口に説明できない。国や時代、あるいはそれらが使われる状況によって受け取り方に違いがあるからだ。ちなみに、ODEによると、lousy とは「非常に劣悪な」という意味で、怒りやさげすみ、迷惑な、などの含意があるという。

 より狭めていえば、自国民が就きたくないと思う仕事と考えられてきた。賃金水準、労働環境、仕事のイメージなどが、劣悪、低質であり、失業者といえども働くことをためらったり、拒絶するような仕事である。

 他方で、「華やかな」政治やビジネスなどの舞台裏で、取り交わされる裏金取引のように、社会倫理に背く、後ろめたい、時に犯罪の匂いもするような仕事を意味することもある。国民の税金で養われながら、それに相当する仕事をしていない公務員や政治家も含まれるかもしれない。「公僕」とは、遠い昔の言葉になった。

 
今回は、前者に近い意味で、自国民が就きたがらない仕事の意味に限定して、最近いくつかの国で起きている問題を少し考えてみた。あくまで、メモにすぎない。雇用状況に改善の兆しが見られてきたアメリカでも、消えることのない問題だ。

 あなたはこの仕事をしますか Do you want this job?
 
アメリカでは、典型的には農業労働者、建設労働者、鶏肉、魚介などを処理する労働者、ホテルなどの清掃労働者などが「ダーティ・ワーク」の例として挙げられてきた。たとえば、分かりやすい例では、南部の魚加工工場で、ナマズなどの魚を処理する手作業である。海に囲まれ、魚好きな日本人と比較して、アメリカ人は魚を食べることが少ない。そのため、魚自体への偏見?もある。工場では、魚の腐敗を防ぐため、室温を低くし、コンベヤーなどの機械音が騒々しい室内で、一分間に8匹の魚を手作業でさばく。水浸しの作業で、汚れ除けの合羽と長靴姿でコンクリート床での立ち仕事である。しかし、時間賃率は7ドル25セント(600円くらい)と、州の最低賃金水準だ。

 
別の例は、日陰など一切ない炎天の農場で、トマトや苺などを採取する労働者だ。歩合制の仕事だから、がんばらないと生活すらできない。採取したトマトが入った重いコンテナーを担いで朝から夕刻まで働く。一日働くと、腰が痛くて翌日歩けないほどになる。寝るところは近くのトレーラーハウスだ。賃金はこれも最低賃金に近く、国内労働者は見向きもしない。

  アメリカでは農業労働は長い間、メキシコ人などの季節労働者に依存してきたことがあり、(一般には)アメリカ人の仕事とは考えられていない。不法移民への規制が厳しくなったこともあって、南部では収穫作業が行われず、野菜や果実が放置されたままの農場などが目立つようになった。

  こうした事態は南部諸州の一部で、新たな問題を生んでいる。メキシコなどからの不法移民の増加で、社会的摩擦などが激化したアラバマ州では、2011年9月29日、HB56として知られる移民新法を制定した。これによって、街頭などで不法移民とみられる人物に、警察官が尋問することを求め、合法入国を証明できる書類を保持していなければ、本国へ強制送還される。そればかりでなく、彼らを雇用した企業を処罰するという内容である。これまでもいくつかの州では、移民労働者を雇用する使用者に、合法移民であるか否かの確認を義務づける州はあった。しかし、不法移民抑制という点で、実際の効果ははかばかしいものではなかった。

 今回の新法の導入によって、アラバマ州などでは、不法滞在者が他の州へ流出する事態が起きた。さらに、明らかに移民と分かる人々への市民の冷たい対応が目立つようになり、合法的な移民まで州外へ流出するという状況が生まれている。農業労働者などがいなくなり、結果として多くの求人が埋められない事態が発生している。農場ばかりか、魚の加工工場などからも労働者が消えてしまった。

 当該新法を施行したアラバマ州では、現在20万人以上が失業している。しかし、アメリカ人はこれらの仕事に、もはや就く気持ちはないようだ。最大の理由は、賃金水準がきわめて低い上に、「移民の仕事」というラベルが貼られているからだという。ひとたび、こうしたイメージが根付いてしまうと、変えることはきわめて難しくなる。 

異なるイメージ
 イメージの形成は、仕事の内容と必ずしも関連していない。たとえば、ヨーロッパでは自動車工場の労働は、しばしば移民労働者と結びつけてイメージされてきた。単調で厳しい流れ作業の労働は、国内労働者から敬遠されてきた。


 他方、アメリカでは自動車生産は、今でもアメリカ人が就くべき工場労働の仕事と考えられている。最近のデトロイトの復活に際しても、アメリカ人の仕事が戻ってきたと歓迎されている。

 
別の例を見る。韓国では製造業の大半を占める中小企業が、厳しい人手不足に直面している*2。これまでかなりの部分を外国人労働者に依存してきたが、政府が導入した割り当て制(「外国人雇用許可制度」)のために、必要な数の労働者を確保できないという。今や同世代の8割近くが大学を目指すという高学歴指向のお国柄だ。国内労働者はIT産業など、高度な産業分野を目指し、賃金が低く労働条件の悪い中小企業には就労したがらない。

 そのため、外国人雇用許可制度の下で、外国人労働者の争奪戦が起きている。この制度では、外国人労働者を最長4年10ヶ月雇用できる。しかし、その数は割当制であり、政府の雇用センターへ申請の上、規定数の労働者が割り当てられる。国内労働者が働きたがらない職種がほとんどである。国内労働者の6割程度の賃金といわれ、自国民労働者では充当できず、外国人労働者を受け入れて、かなり依存してきた。発展めざましい韓国の産業を支える基盤の一部になっている。IT、自動車など、今では日本を追い抜く勢いの韓国産業だが、底辺部分の中小企業の様相は大きく異なる。

厳しい労働環境と高い労働移動率
 
日本では国民的議論にはならない。しかし、現実には同じ問題が、この国でも進行してきた。日本人が働きたがらない仕事の増加である。例として、1980年代の人手不足時代に急増した外国人労働者が働く仕事が挙げられる。「単純労働」といわれてきた熟練度の低い、労働条件が厳しい仕事である。日本人の労働者が集まらなくなり、外国人労働者が働くようになった。

 外国人労働者に依存する仕事の分野はその後、かなり拡大・多様化した。当初は土木、建築工事などの下働き、中小企業の肉体労働、農林・漁業、サービス業などの仕事が多かった。その後、彼らの就労する場は、自動車、電機など大企業のかなり基幹的仕事まで拡大した。日本の労働者には賃金などの労働条件が厳しく、魅力が少ない仕事と考えられた。。

 21世紀に入り、長く停滞した経済環境の下で、状況はかなり変化した。仕事を失った外国人労働者の中には、帰国する者も増えた。さらに、高齢化の進行に伴い、人手不足がゆえに放置されたり、減衰した産業分野も多い。中小・零細企業、伝統的職業などでは、消滅してしまったものもある。

 他方、介護・看護などの職業分野は高齢化の進行を反映して、仕事の数自体は拡大したが、労働条件が厳しく、離職率が高い。最も人の道に沿った仕事であるにもかかわらず、従事する人たちの労働実態は過酷である。

地元に吸引力を取り戻す
 アメリカ人のイメージする「ダーティ・ワーク」にしても、さまざまな改善の試みがなされてきたが、速効が期待できる対応策はない。中期的に効果が期待できるのは、こうした仕事の対価を着実に引き上げて行き、国内労働者を含めて、働き手が集まってくるような仕事の環境作りだ。移民受け入れ制限も程度が過ぎると、アメリカの農業労働者のような事態が生まれる。移民の受け入れ政策は、壁を高めるのではなく、適切な受け入れの経路と秩序の設定で対応すべき問題なのだ。

  福島県を含め、東北被災県から人々が流出している最大の理由は、原発の放射能という「見えない壁」の存在にある。津波の被害もさることながら、不安の源である原発の存在が人々の定着を難しくしている。「壁」の外へ心ならずも、移住しなければならない。そして、壁の存在故に故郷へ戻ることができない。壁の外に安心して働き,家族を養う場所も少ない。その不安の源を解消することが最大の問題であることはいうまでもない。

  復興庁本庁は霞ヶ関ではなく、被災県域内に置くべきだった。問題の根源に実行主体を出来るだけ近づけることは必須のことだ。やっと看板が掲げられた復興庁だが、その役割を果たすについては、被災地の要望に迅速かつ強力な支援で応えねばならない。被災疲れがありありと見える人々をこれ以上、流出させてはならない。震災後一年を経過した今、被災地の衰えた「地域力」だけでは、もはや復興はおぼつかない。ボランティアにも疲労の色が見える。精神的支援にとどまらず、地域の復興力を物心両面で支援・創出することは欠かせない。多様な能力を持った人たちが、域内に移住してくるように、魅力ある地域に発展させねばならない。

 そして、首都直下型地震の勃発が遠くないことを考えるならば、やはり「東北都」の実現に向けての政治、産業・雇用基盤の充実が欠かせない。復興庁は復興都庁になるべき役割を負うべきなのだ。この小さな日本列島で、次に被災するのは首都圏の人々である可能性はきわめて高い。マグニチュード7程度の大地震が、首都圏直下で起きる可能性は、30年で実に70%とまでいわれている(地震調査研究推進本部)。その時、支えになってくれるのは、現在の被災地であるかもしれない。

 

 

 

 ”Do You Want This Job? ” by Elizabeth Dwoskin. Why Americans won't do dirty jobs. Bloomberg Businessweek, November 20,2011.

*2 World Web Tonight, February 9th 2012

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津波の顔: 日本人の顔

2012年02月29日 | 特別記事

 

このブログに初めて来られた方は、多分かなり当惑されるだろう。管理人がなにを書こうとしているか、あるいはブログはなにを目指しているのか、多分直ぐには分からないからだ。実は、何度かそうしたご指摘もいただいている。そろそろ店じまいの時とは思っているのだが、記憶細胞になにが残っているか、書き出してみたいという思いも多少ある。

 現状は、壊れかけたPCともいえる頭脳から、残った部分をアトランダムに外付けディスクに取り出しているようなものかもしれない。困ったことは、取り出したいことはかなりあるのだが、出力機能が追いつけなくなったことだ。ブログの枠では収まらないことが多くなった。更新も大分間遠くなっている。

時間は飛ぶように過ぎて行く。キーワードでも記しておかないと、たちまち忘却の霧に埋もれてしまう。

 

記憶が飛ばないうちに、ぜひみていただきたいと思う新しいテーマも多い。日本のことなのに、当の日本ではほとんど知られていない。その中からひとつご紹介したい。

 

時々見ているThe New York Times Magazine に掲載されている「引き潮」 Low Tide と題された記事(エッセイ)と写真である(最下段掲載アドレスから見ていただきたい。Login が必要かもしれない。エッセイの筆者は韓国系アメリカ人の女性である。対象は東北大震災の中で、かろうじて生き残った人たちの写真シリーズだ。筆者によると、こうした災害などに見舞われた時、日本には「仕方がない」、「しょうがない」あるいは「がんばろう」という受け取り方があるという。特に、後者は幸い被災を免れた人たちから送られることが多い言葉だ。確かに、これほどの大災害を経験した人々に向けて、他の表現はなかなか見つからない。しかし、被災者にとってはかなりつらい言葉だ。しかし、筆者が記すように、他にどんな慰めの言葉があるのだろう。

 

写真家のDenis Rouvre は、昨秋、石巻から南相馬を一ヶ月かけて旅し、壊滅した町、仮設住宅を訪れ、生き残った人々と話し合った。その旅で出会った人々の顔、印象的な顔の何枚かが紹介されている。いずれの顔もそれぞれの人生の年輪以上のものが加わっている。いうまでもなく、大震災が言葉にならないものを刻み込んだのだ。いずれも感動的な顔であり、見る人に多くのことを考えさせる。読者のコメントには beautiful 「美しい」という讃辞が並ぶ。確かにそうかもしれない。しかし、その意味は深い。日本人とはいかなる民族なのか。深く刻まれた顔の皺のひとつひとつに、この列島に生きてきた日本人の刻印のようなものを感じる。気安く「がんばれ」などとはとてもいえない。

 

 

“Low Tide”.  By MIN JIN LEE, The NY Times magazine,Published: February 23, 2012

     Photos by Denis Rouvre 

     http://www.nytimes.com/2012/02/26/magazine/japan-tsunami-survivors.html

  

  上記の記事、中段にある小さなスライド写真をご覧ください。

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晩夏を迎えて

2011年08月01日 | 特別記事

 晩夏

 今年はいつになく多くの人たちとの別れの時となった。知人・友人、そして人生の指南役でもあった人々が、突如として世を去っていった。

 まだ夏はこれからというのに。

 節電とやらで、酷熱の夏を覚悟しているが、舗道のアスファルトを溶かすような暑い日射しの日は少ない。もう秋のような風が吹いている。原発、地震の恐怖は、人々の心の底深く根づいてしまった。余震は絶えることなく続いている。中世ならば、人は末世の到来と思うかもしれない。 

 すでにかなり早い時期から恩師ともいうべき人たちを失ってきただけに、ひとりで歩くことには慣れているつもりだ。しかし、寂寞の感は容赦なく忍び込んでくる。これが人生なのだ。

 眼前から去ってゆかれた方たちは、それぞれ素晴らしい生を生き、ひとりの人間として毅然として旅立ってゆかれた。自分にもその時が近づいていることは、分かっているのだが、どんなことになるのか。今まで通り、ゆっくり歩いていくしかない。

 

 

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3.11を後世に恥じないために

2011年07月12日 | 特別記事

 


時代の風は変わった
 今年2011年が世界の歴史において、後世、いかなる評価をされることになるか。ふと頭をかすめて、以前に半ばタイトルに惹かれて購入したが、十分読み込んでいなかった、
Hywel Williams. Days that Changed the Worl: The 50 Defining Events of World History, 2007 (『世界を変えた日:世界史における50の決定的出来事』)なる一冊を手に取る。文字通り、書棚の片隅に押し込まれていた。ここで、この作品の書評をするつもりはない。ただ、今回の大震災、原発事故の意味を考える上で、50の出来事が選ばれた相対的位置・重みに関心を持った。

 選ばれた50の出来事は、歴史の時代区分からみると、BC480928日の「サラミスの戦い」(ペルシア戦争中、ギリシア軍がこの付近の海戦でペルシア軍を破った) から始まり、2001911日の「同時多発テロ」で終わっている。刊行年(2007)の関係で、その後の出来事は含まれていない。

 
選ばれている50の出来事については、人によって当然異論が出てこよう。ただ、注目したことは、この中に日本が直接、最大の当事者として登場する2つの出来事がある。50件のうち、2件というのは日本の国力や役割から見て、多いのか少ないのか、これも議論はあるだろう。しかし、その内容は、いずれも人類の運命、文明のあり方に大きく関わる。ひとつは1941127日(現地時間)の真珠湾攻撃、もう一つは1945年8月6日の広島への原爆投下(長崎への投下はここに含まれる)である。人類史に深く刻み込まれた、これらの事実が消えることはない。  

 
この歴史的時間のスコープを今年2011年まで延長するならば、3月11日の東日本大震災そして福島第一原発事故が含まれることはもはや疑いもない。とりわけ、後者の事故で、日本は被爆国として甚大な被害(広島・長崎)を受けた国でありながら、今度は放射能の放出者として加害者(国)の立場にもなってしまったことだ。痛恨きわまりない出来事だ。


人類に対する加害者にならないために
 
福島第一原発をめぐる日本での議論を見ていて、最も違和感があるのは、天災・人災が重なり合った歴史に例を見ないこの大事故について、国内の被災者に十分な対応ができていないこともあってか、議論が混迷しており、後者の意識が相対的に薄いことだ。

 
放射能は大気、海流などを介在して、日本の被災地にとどまらず、世界各地へ拡散する危険性を持っている。さらに渡り鳥、動物、魚貝、飲料水、食品などを通して、世界へ拡大する。いうまでもなく、こうした危険が発生・拡散することを、なんとしても阻止しなければならない。しかし、すでに食肉牛などの分野で、基準を超える肉牛が発見され、問題となっている。

 
中国、韓国などの近隣諸国のみならず、アメリカ、カナダなどで、汚染問題に強い関心が寄せられている。第二次大戦中の「風船爆弾」のことを記憶する世代は、いまや急速に少なくなっているが、ジェットストリームに乗ると、大気中に放出された放射能は、3日程度でアメリカ西海岸に到達するともいわれている。

 
すでに、福島第一原発事故は、世界各国のエネルギー政策を根本的に再検討させる反面教師の役割を果たしつつある。事故発生以来の欧米、とりわけドイツ、イギリスなどのメディアの関心、報道ぶりを見ていると、連日のように、時には日本のメディアよりも詳細に報じている。原発大国のひとつフランスも、サルコジ大統領の強気な発言と併せて、大規模な風力発電への投資を発表している。


終わっていない9.11
 
2011年は、もうひとつ、オサマビン・ラディンの殺害という2001年の9.11同時多発テロ事件を起点とするテロリズム拡大へ、ひとつの区切りをつける年ともなった。しかし、アルカイーダは掃討されたわけではなく、すでにさらなるテロによる復讐を宣言している。9.11に終止符が打たれたわけではない。ひとつの読点(、)が打たれたにすぎない。

 
世界の原発問題は、もはや地震など天災だけをリスクの根源に限定することはできない。人災を含め、あらゆるリスクの可能性を考えねばならない。とりわけ、人災のリスクは、今回の福島第一原発への対応をみてもきわめて大きい。人間の対応の誤りが、天災のもたらした結果をさらに悪化させてしまうことは、寺田寅彦などがすでに指摘していた。他方、最近も本ブログに記したように、ひとつの大きな惨事が契機となって、大きな社会的改革を生み出す契機となったこともある。

 
福島第一原発事故は人類史上、類を見ない災害ではあるが、それが大きな反省を生み、次の新たな時代への転換・再生の礎(いしずえ)として、人々の記憶に留められるならば、次の世代の歴史的評価もすべて負のイメージで受け取られることもないかもしれない。あの時の日本の決断が、人類を救ったと後世に伝えられるようにならねばと思う。

 
そのためには、当事者たる日本人はなにをしなければならないか。決断しなければならない時は迫っている。それは歴史における日本そして日本人の評価を決定的に定める。グローバルな視野は不可欠だ。福島第一原発の放射能汚染をなんとか極小の域に閉じ込めることは、当面の最重要課題だが、エネルギー政策についての地球規模を背景とした基本方針の設定も早急になされねばならない。災害は待ってくれない。

 
日本が近い将来依存するエネルギー源については、未解明・不安定な点も多いが、決断のための材料はほぼ出そろったように思われる。時間を要する細部の問題は、今後の議論にゆだね、日本として、基軸となるべき方向を明確にするべきだろう。政治家の責任はきわめて重い。そして、今度こそは国民ひとりひとりが、次の世代に恥じることのない判断を下さねばならない。

 

 

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夏の夜の現実

2011年07月07日 | 特別記事

 

 

さくらごは ふたつつながり 居りにけり   犀星

 

 福島市に住む知人がいる。住居は市の中心部に近い所だが、風向きの関係からか放射能の計測値が高いとされ、窓も開けられず、洗濯物も外に干せないという。福島第一原発からはおよそ60キロメートルの所で、避難区域外だが、近くの学校のグラウンドの放射能値が高く、表土を取り除いてほしいとの要請が生徒の父母から出されている。自宅は地震では大きな被害を受けなかったが、その後の生活は激変してしまった。春は桜が美しく、白雪が残る吾妻連峰がすぐ近くに迫って見える静かな住宅地だ。

 

風評被害はすでに日常生活の中に広く、深く浸透している。震災後、しばらく水道管も破損し、水を求めて大変な苦労もした。ようやく復旧はしたが、水道水は飲用に適さないとの噂が流れ、特に子供を持つ親たちは大変心配している。井戸を掘ることを考えている家庭もあるという。しかし、新しく井戸を掘っても、果たして飲用水になるかまったく分からない。子供たちには、これまでの日常ではほとんど縁のなかった、ボトル入りのミネラル・ウオーターを飲むように勧めている。屋外の草取りなどの作業も、控えめになる。

 

先祖代々住み慣れた故郷の地を離れて移住するなど、現実には論外だ。原発被災地から避難している子供たちの間でも、放射能がついているからといういじめがあると聞かされた。

 

県外からの訪問者にも大変気を使っており、食べ物には、必ずこれは福島県産ではありませんからと、一言添えられる。そんなに気を配らなくともいうのだが、思わず次の言葉に詰まる。近くの農園には桜桃が美しく実り、収穫の時期だが採取しない農家も多いとのこと。採算がとれないので、市場に出せないのだそうだ。出荷された果実には、箱ごとに知事の安全証明書までつけられているのに。当事者でなくとも、怒りは収まらない。

 

原発の現場には、部外者には分からない過酷な状況と苦労があることは、さまざまに伝えられ、推測はできる。日々仕事に従事されている労働者などの強い責任感にはひたすら感謝の念しかない。

 

循環冷却のシステムがなんとか動き出したと伝えられるが、これまでに圧力容器の外へ様々な経路で流出しているあるいはすでに流出した汚染水は、どうなっているのだろう。いずれ周辺の地下水脈へと流れ込むのではないかとの疑念は消え去らない。底の抜けた水槽の間に綱渡りで、水を循環させているようなイメージが浮かんでしまう。こうした素朴だが基本的な疑問に、専門家は沈黙し、納得できる答えをしてくれない。

 

 蒸し暑く眠れない夜、ふと目覚めて「真夏の夜の夢」かと思いたいが、夢とはほど遠い厳しい現実がそこにある。

 

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スウィングする人 しない人

2011年06月14日 | 特別記事



カナダ、オンタリオ州ピッカリング原子力発電所

 

 

 福島原発は、世界中で恐怖と災厄のシンボルのようなイメージになってしまった。「福島」はHappy Islandであるはずなのに。

 原発保有国には多大な衝撃を与えている。善し悪しは別にして、その受け取り方の程度には国によってかなりの振幅がある。イタリアのように原発再開を国民投票で拒否した国が現れた。ドイツ、スイスもすでにこの方向に向かっている。

 他方、比較的動揺が少ない国のひとつにカナダがある。カナダの発電量で原子力発電の占める比率は約15%だが、すでに18基も原発を保有している。筆者は若い頃カナダに関連する仕事にかなり深く携わったことがあり、この国の自然エネルギー、とりわけ水力資源の圧倒的な豊富さに強い印象を受けていた。必要な電力量のほとんどすべてが、水力でまかなえるのではないかとさえ思ったほどだ。しかし、その後、気づいてみると、この国もかなりの数の原発を保有するようになっていた。とりわけ最大消費地のオンタリオ州にほとんどが集中して設置されている。ピッカリング原子力発電所は、設置されてすでに40年近く経過している。大都市トロントからわずか20キロメートルくらいの距離にある。

 この地に住む長年の友人からは、震災後直ぐに見舞いと激励のメールがあった。長女がかつて日本で英語教師をしていたことがあるだけに、言葉を失うほどの衝撃だったという。オンタリオは地震も津波も発生する確率はきわめて低いが、人間のミスは十分起こりうるので、原発はもういらないと記されていた。 

 昨年、久しぶりに日本へやってきたアメリカの友人B夫妻は、毎日福島原発の状況をチェックしているという。引退し、ヴァーモントの小さな町に住みながら、今は世界のあらゆるニュースを知ることが可能な時代になっている。知らせてくれるニュースは的確だ。震災後、たびたび親切な激励のメールを送ってくれているが、復興が遅々として進まない様子に、しびれを切らしたのか、下に掲げる動画を送ってくれた。ちなみに夫妻は熱心なジャズ・ファンで、かねてから世界中の主要なコンサートを聴きに回っている。このブログに来ていただく皆さんは、とっくにご存じなのでしょうが、こんな動画があるとは今日まで知りませんでした(笑)。原発は絶やしても、福島支援は絶やせない。心に火をともしたい

*現在はYou Tube でしか見られないため削除しました。

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