また、いつもの状態になってしまった。少し油断していると、書籍や雑誌、書類などがアメーバのように増殖して机の上の空間を消し、手足の置き場もなくなってくる。必要な書類や手紙がどこかへ隠れてしまい、書類の山を探しまわる。ITの普及で、ペーパーレス時代が到来するといわれたことがあったが、世の中の印刷物が減る傾向は感じられない。これまで何度となく繰り返してきた書類の山との戦いが依然続いている。陋屋に住む身としてあまり有効な手はない。いつものように局地戦を試み、多少の失地挽回を試みる。古書店が引き取らなくなったジャーナルや書籍を廃棄処分とする。もったいないと思うが、他に手段がない。
自分の守備範囲としてきた分野の書籍などが増えるのはいたしかたないとしても、いつの間にか存在感の増したのは、画集をはじめとする美術書、CD、DVD、大型の辞書、百科事典などである。それもさほど新しいものではない。画集は書棚の大きなスペースを占有している。70年代に刊行された世界美術全集など、当時はその美しさに純粋に感動したが、改めて見るとなんとなく迫力が低下している。見る側の視力も感受性も劣化しているのだが、最近の画集やカタログなどの鮮明な美しさと比較すると、やはり違いは認めざるをえない。しかし、古い出版ほど色調も柔らかく眼に優しいところもある。結局、処分するのはしのびがたく、今回も生き延びて領地を確保している。
他方、印刷は古色蒼然としたモノクロであり、カラーではないのに、時間がいかに経過しようとも燦然と輝く書籍がある。その典型的な例は、ラ・トゥール研究の「聖書」ともいわれるフランソワ・ジョルジュ・パリゼ(当時ボルドー大学教授)の著書*である。1948年、今から60年ほど前の出版である。
大判の著書で、ページ数437ページ、注だけでも94ページに及ぶ。ラ・トゥール研究史における記念碑的業績だが、現在でもまったく新鮮さを失わない。この画家と作品に関する重要史料、評価などのほとんどが提示されている。その探求の次元の広さと深さは群を抜いている。もちろん、作品の帰属、考証など、その後の研究で修正されている部分もあるが、総体としてみるかぎり、今日でもこの大きな視野を持った力作を凌駕するものはない。近年は、テュイリエ、コニスビー、ショネなど、かなり大部な著作もあるが、パリゼの著作が生まれた時代は、今のようにパソコンもなかった。恐らく手書きとタイプライターだけの成果であろう。索引がないなどの後世の指摘もあるが、問題ではない。パリゼのなしとげた壮大な業績にはただただ敬服する。
この書籍、ラ・トゥールに関心を抱いた頃、すでに古書の仲間入りをしており、かなり入手が難しかった。当時もあまり知られていない名前の画家についての碩学の著した専門書であり、出版部数も少なかったのだろう。最初、出版されたフランスで探してみたが、古書市場に出てきたものは、かなり良く読まれたためか、書き込みや装幀の破損など、ひどい状態のものが多く購入をためらっていた。
その後、イギリスの古書店で偶然、まずまず満足のできる状態の1冊を探し当てることができた。個人の蔵書家もなかなか手放さないのだろう。ある図書館の放出品である。幸い、イギリスではラ・トゥールへの関心はさほど高くないので、貸し出しもあまり多くなかったとみられる。図書館蔵書にありがちな書き込みなどもまったくない。年数相応のページの黄ばみなどはあっても、不用廃却処分(discard)のスタンプが押されているだけである。装幀も布テープで補強がされ、しっかりしていた。表紙カバー(ジャケット)がないのはあきらめねばならない。あのレンヌの「生誕」が印刷されていたらしい。
山積した書類を片づけながら、また見入ってしまった。何度見ても圧倒的な迫力である。かくして、ラ・トゥール研究史上の金字塔は、きらびやかな新刊書の間に入っても、時代を超えて色あせず燦然と輝いている。
Preface
Première Partie La vie
Deuxième Partie La formation
Troisième Partie Les œuvres
Conclusion
*
Francois-Georges Pariset. Georges de La Tour. Paris: Henri Laurens, Editeur, 1948, 437pp.