時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

古書が輝く時:パリゼの業績

2007年06月24日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの書棚

  また、いつもの状態になってしまった。少し油断していると、書籍や雑誌、書類などがアメーバのように増殖して机の上の空間を消し、手足の置き場もなくなってくる。必要な書類や手紙がどこかへ隠れてしまい、書類の山を探しまわる。ITの普及で、ペーパーレス時代が到来するといわれたことがあったが、世の中の印刷物が減る傾向は感じられない。これまで何度となく繰り返してきた書類の山との戦いが依然続いている。陋屋に住む身としてあまり有効な手はない。いつものように局地戦を試み、多少の失地挽回を試みる。古書店が引き取らなくなったジャーナルや書籍を廃棄処分とする。もったいないと思うが、他に手段がない。

  自分の守備範囲としてきた分野の書籍などが増えるのはいたしかたないとしても、いつの間にか存在感の増したのは、画集をはじめとする美術書、CD、DVD、大型の辞書、百科事典などである。それもさほど新しいものではない。画集は書棚の大きなスペースを占有している。70年代に刊行された世界美術全集など、当時はその美しさに純粋に感動したが、改めて見るとなんとなく迫力が低下している。見る側の視力も感受性も劣化しているのだが、最近の画集やカタログなどの鮮明な美しさと比較すると、やはり違いは認めざるをえない。しかし、古い出版ほど色調も柔らかく眼に優しいところもある。結局、処分するのはしのびがたく、今回も生き延びて領地を確保している。

  他方、印刷は古色蒼然としたモノクロであり、カラーではないのに、時間がいかに経過しようとも燦然と輝く書籍がある。その典型的な例は、ラ・トゥール研究の「聖書」ともいわれるフランソワ・ジョルジュ・パリゼ(当時ボルドー大学教授)の著書である。1948年、今から60年ほど前の出版である。

  大判の著書で、ページ数437ページ、注だけでも94ページに及ぶ。ラ・トゥール研究史における記念碑的業績だが、現在でもまったく新鮮さを失わない。この画家と作品に関する重要史料、評価などのほとんどが提示されている。その探求の次元の広さと深さは群を抜いている。もちろん、作品の帰属、考証など、その後の研究で修正されている部分もあるが、総体としてみるかぎり、今日でもこの大きな視野を持った力作を凌駕するものはない。近年は、テュイリエ、コニスビー、ショネなど、かなり大部な著作もあるが、パリゼの著作が生まれた時代は、今のようにパソコンもなかった。恐らく手書きとタイプライターだけの成果であろう。索引がないなどの後世の指摘もあるが、問題ではない。パリゼのなしとげた壮大な業績にはただただ敬服する。  

  この書籍、ラ・トゥールに関心を抱いた頃、すでに古書の仲間入りをしており、かなり入手が難しかった。当時もあまり知られていない名前の画家についての碩学の著した専門書であり、出版部数も少なかったのだろう。最初、出版されたフランスで探してみたが、古書市場に出てきたものは、かなり良く読まれたためか、書き込みや装幀の破損など、ひどい状態のものが多く購入をためらっていた。

  その後、イギリスの古書店で偶然、まずまず満足のできる状態の1冊を探し当てることができた。個人の蔵書家もなかなか手放さないのだろう。ある図書館の放出品である。幸い、イギリスではラ・トゥールへの関心はさほど高くないので、貸し出しもあまり多くなかったとみられる。図書館蔵書にありがちな書き込みなどもまったくない。年数相応のページの黄ばみなどはあっても、不用廃却処分(discard)のスタンプが押されているだけである。装幀も布テープで補強がされ、しっかりしていた。表紙カバー(ジャケット)がないのはあきらめねばならない。あのレンヌの「生誕」が印刷されていたらしい。

  山積した書類を片づけながら、また見入ってしまった。何度見ても圧倒的な迫力である。かくして、ラ・トゥール研究史上の金字塔は、きらびやかな新刊書の間に入っても、時代を超えて色あせず燦然と輝いている。


Preface

Première Partie     La ie
Deuxiè
me Partie     La formation
Troisième Partie     Les œuvres
Conclusion

*
Francois-Georges Pariset. Georges de La Tour. Paris: Henri Laurens, Editeur, 1948, 437pp.  

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画家と寿命

2007年05月25日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの書棚

  

    職業と寿命の間には有意な関係があるのだろうか。画家は大変長生きな人が多いという記事をなにかで読んだ記憶がある。小倉遊亀(104歳)、奥村土牛(101歳)、横山大観(91歳)、葛飾北斎(90歳)など、幾人かの画家のことが頭に浮かぶ。高齢化時代の今日では、さほど珍しくないかもしれないが、こうした画家たちの同時代人との比較では、やはり驚くべき長寿といえる。

  その後、別に体系的に統計を調べたわけではないが、漠然とそう思わせる事例には数多く出会ってきた。ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの家系を見ていると、まさにぴったりの事例である。ジョルジュの両親であるパン屋のジャンとシビルの間には、ジョルジュより1歳年上である長男のジャックをはじめとして男5人、女2人、計7人の子供が生まれた。その中で最も長生きしたのは画家の道を選んだジョルジュ(1593-1652、58歳)まさにその人だった。戦乱、悪疫蔓延のこの時代としてはかなり長寿なのだ。没年は正確には分かっていないが、これら7人の子供の中には、生まれてすぐに死んでしまった子供も多いようだ。乳幼児の死亡率は非常に高かった。

  そして、画家となったジョルジュとディアンヌ夫妻の間には、フィリップ(1619 -? ) をはじめとして、男6人、女4人計10人の子供が生まれた。その中でジョルジュとネールの両親よりも長生きした子供は、画家としていちおうジョルジュの後を継いだことになった次男のエティエンヌ(1621 - 1692、71歳)とクリスティーヌ(1626 – 1692頃)の二人だけである。クリスティーヌがいかなる人生を送ったかは不明である。

  親としては、子供たちに先立たれてしまうことほど悲しいことはないだろう。この時代の子沢山には、こうした時代に生きる防衛策の意味が暗に含まれていたと思われる。

  ラ・トゥールと並んでごひいきの画家レンブラント(1606-1669)にいたっては、最初の妻、再婚した妻にも先立たれ、ただ一人生き残った長男にまで先立たれてしまった大変気の毒な例である。

  レンブラントは製粉業を営んでいた父親と母親の間に8番目の子供として生まれている。最愛の妻であったサスキアとの間に2男2女が生まれるが、最初の3人は誕生後2-3ヶ月から1年以内に死亡している。次男のティトウスだけが成人するが、レンブラントが63歳で世を去る1年前に死去している。

  サスキア死去の後、内縁の妻であったヘンドリッキエとの間にできた娘も共にレンブラントよりも前に世を去った。

  ラ・トゥールの生涯を、その家系まで遡って探索しようとしたのが、今回紹介するアンネ・ランボルの労作である。遠い昔の人々が手書きで記した、変色して読みにくい古文書をたんねんにめくり、欄外に書かれたメモを判読したり、想像をめぐらす仕事はパズルか宝探しのような面もあるが、実際の作業の厳しさは想像を超える。この画家について、深く立ち入ってみてみたいと思う人は必読の文献*である。表紙の蝋燭は、図らずも人生の残り時間の短さを暗示しているようである。

 
Contents
Premiére partie Vic-sur-Seille: parentéles 1593-1619

Seconde partie Lunéville: le patronage du duc Henri II 1620-1624

Troisiéme partie Entre guerre et peste: Sous le signe de Sébastien 1625-1634

Quatrieme partie Le désastre de Lunéville: sous le signe de Job 1635-1638

Cinquieme partie L’expérience parisienne 1639-1641

Sixiéme partie La difficulté du retour 1624-1645

Septieme partie Une gloire ma l aimee 1646-1653

ANNEXES

* Anne Reinbold. Georges de La Tour. Fayard, 1991. pp.271.

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真実と虚構の間(2):パスカル・キニャール

2007年05月10日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの書棚

   ジョルジュ・ド・ラ・トゥールを取り上げた文芸作品は数多いが、今回はパスカル・キニャールについて少し書いてみよう。この作家は現代フランス文学を代表する大家の一人といえるが、17世紀ヨーロッパ、バロックの世界にかなり深く関わっている。      

 ジョルジュ・ド・ラトゥールを直接取り上げた作品もあるし、その他の作品でも多数のバロックの文人、美術家などが登場する。ラ・トゥールについてのこの著作は、画家の生涯における主要な出来事と作品をめぐるいわばエッセイであり、紹介でもある。この作品は正面から画家をとりあげているので、ラ・トゥールについてある程度知っている読者ならば、比較的スムーズに読むことができる。

 しかし、キニャールの他の著作はかなり難物である。この作家は大変な博覧強記で、しかも相当衒学的なところも持ち合わせている。虚実取り混ぜて、作品にさまざまな仕掛けをしている。多くの作品で、読者の力量がテストされているようなところがある。代表作『ローマのテラス』**からそのひとつの例を挙げてみよう。ちなみに、この著作は、2000年度のアカデミー・フランセーズ小説大賞受賞作品である。

 舞台は17世紀のヨーロッパ、バロックの世界。ヨーロッパ中の画家や画業を志す者はこぞってローマを目指した。ラ・トゥールがローマへ行ったかどうかは、美術史家のひとつの論点だ(今のところ、確証がない)。レンブラントがイタリアへ行かなかったことはほとんど確実だが、当時の画家としてはむしろ珍しい。

 さて、この小説では、腐食銅版画家モームの生涯が主題となっている。著作の一節に次のようなくだりがある:

 モームの肖像画は一つしかない。夕暮れの陽射しが草を食む家畜たちの上に落ちるローマの田園地帯、左手を古びた壁に当て、指で耳をおおいながら読書にふけっている聖ヨセフに似せた坐像である。作者はアブヴィルのポワリー。画面右下に《F.ポワリー彫。Pascet Dominus quasi Agnum in latitudine》とある。
 
  第一の親友はクロード・ジュレだった。クロード・ジュレのほうが年長だったが、彼より十五年長生きした。彼もまたロレーヌの出身だった。ミシェル・ラーヌはノルマンディーの人、ヴェヤンはフランドルの人、アブラハム・ヴァン・ベルシェムはオランダの人、ルーブレヒトはファルツ選帝侯領の人、ホントホルスト
はユトレヒトの人だった。彼は2季節の契約でアブラハム・ボス・トゥーランジョに版画を教えた(邦訳 pp115-116)。


 
  この短い節に出てくる人物も、実在が確定した人物ばかりではないようだ。キニャールは例のごとく「意地の悪い」仕掛けで読者を試している。他の翻訳書によくある「読者のための訳者注」は、少なくとも日本語訳書については付されていない。訳注を作成するだけでもかなり大変だ。翻訳家もお手上げなのだろう。
 


*
Pascal Quignard. George de La Tour. Paris: Galilee, 2005, pp.71.

**
Pascal QUIGNARD. Terrasse a Rome, Gallimard, 2000.
邦訳:パスカル・キニャール(高橋啓訳)『ローマのテラス』青土社、2000年、pp118

 

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英語圏でのラ・トゥール(1)

2006年12月23日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの書棚


  ジョルジュ・ド・ラ・トゥールを対象にとりあげた文献は、実はかなり多い。作品や画家の生涯に謎が多いという背景もあって、小説その他に取り上げられたものまで含めると、膨大な数になる。その多くは、日本ではほとんど知られていないし、図書館なども所蔵していない。ラ・トゥールの知名度がいまひとつなのはこの点にも関連している。フランス語文献がかなり多いが、英語、イタリア語、スペイン語、ドイツ語、ロシア語などの文献もある。日本語では、田中英道氏の傑出した名著、そして記念すべき国立西洋美術館での特別展カタログがあることはこのブログでも記した通りである。

    西洋美術史の世界では、ラ・トゥールの名は時に18世紀のパステル画、肖像画家として知られる Maurice Quentin de la Tour と取り違えられたりしたこともあった。作品自体の帰属が混乱したこともあった。イギリスで特にこの誤解が起きたようだ。

  20世紀に入って、いくつかの契機を経て、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの名は次第にヨーロッパに浸透し、「有名な画家」 "paintre fameux" として急速に作品も知られるようになる。

  ラ・トゥールについての英語圏での紹介や研究は遅れがちではあったが、作品のフランス以外への拡散などもあって次第に進展した。今回、紹介するファーネス S.M.M.Furness の著作もそのひとつである。序文に記されているように、ポール・ジャモの姪ベルタン・ムーローが企図し、作業を進めていたジャモの遺稿の英語版の内容を引き継いでもいる。1946年という第二次大戦直後に刊行されたものだが、当時のラ・トゥール研究の水準を知ることができる。今から60年も前の出版であり、収録されている図版もモノクロだが、実にしっかりとした考証に接することができる。

  すでに本書の段階で、現在知られているこの画家の作品はほとんどは出揃っているが、あまり他の文献には出てこない作品についての記述もある。たとえば、オックスフォードのアシュモリアン美術館が所蔵する『錬金術師』 L'Alchemiste (Oxford、Ashmolean Museum) という作品も、この時期にはラ・トゥールの手になるものではないかとの議論が行われていた。これもカラバッジョの影響を受けたと考えられる作品である。その後、残念ながら、ラ・トゥールの作品ではないとの鑑定がなされて今は話題になることは少ない。しかし、17世紀前半のロレーヌ公の宮殿にはまだ錬金術師が二人雇われていた。ラ・トゥールの作品ではないとしても、さまざまな想像を呼び起こし、かなたの空間への旅に誘ってくれる。

Contents
Preface
Chapter
I  Rediscovery of Georges de La Tour and his works
  Notes and appendices
II Life and Career
  Notes and appendices
III  Style
  Notes
IV  The pictures
  i  Authenticated
  ii  Attributed and Related
V  George La Tour's method of illumination
  Notes

Bibliography

*
S.M.M.Furness. Georges de La Tour of Lorraine: 1593-1652. London: Routledge & Kegan Paul. 1949. pp.175 & 20 plates.

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ポール・ジャモ:ラ・トゥールを再発見した人々

2006年11月20日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの書棚

    ラ・トゥールという画家とその作品が、17世紀以来長らく歴史の闇に埋もれていたことは、この画家に関心を持つ人々の間では良く知られている。当時はフランス王室の画家にまでなった有名な画家だったが、その後さまざまな理由で、人々の視野から消えてしまった。ところが、20世紀に入って、次々と作品が再発見され、画家の生涯にも少しずつ光が当たってきた。

  その「発見の歴史」では多くの興味ある出来事が起きているが、1934年パリのオランジュリー美術館で開催された展覧会がラ・トゥール発見のひとつの契機となったようだ。「17世紀フランスの現実の画家たち」と題されたこの展覧会は、大変よく企画、検討されたものであったようだ。さすがに私も生まれる前のことであり、詳細を知るよしもないが、画期的な展覧会として今日に伝わっている。

  折しも、明日11月21日から新年3月5日までの会期で、今年5月新装なったオランジュリー美術館のお披露目として開催される特別展がまさに、この1934年の再現、「オランジュリー、1934:現実の画家たち」les Peintres de la réalité なのである。ラ・トゥールの発見と評価に多大な貢献をしてきたオランジュリーとして、満を持したともいえる大変素晴らしい企画であり、この希有な画家についてさらに新たな知見を付け加えることだろう。今回はいかなる評価が与えられるか、大変楽しみである。忙しい日程だが、ラ・トゥール・ファンの一人として、なんとか見てみたい(上記のサイトには、あのあやしげな目つきの女性たちが出ていますよ。)

  1934年の展覧会には、イタリアで活躍していたカラバッジョ派の画家やロレーヌなどの地方画家の作品150点近くが展示され、パリの画家になじんでいた人たちを驚かせた。この中には、ル・ナン兄弟の作品17点やラ・トゥールの作品も含まれていた。
  
  
 この展覧会では、「聖ヒエロニムス」(グルノーブル)、「聖セバスティアヌス」(ルーアン、カタログを作ったステルランはラ・トゥールの作品と考えず、リストに入れていない)、「女性の横顔」(1930年にラ・トゥールの作品とされた。断片が現在ヴィック=シュル=セイユ)の3点を除く、当時ラ・トゥールの作品とされたものが、すべて展示された。さらに、それまで公開されたことのなかった「辻音楽師のけんか」など5点が出品されていた。

  展覧会を企画したのは、当時ルーブルの絵画美術部門の学芸員であったポール・ジャモ Paul Jamot であり、展覧会のカタログは学芸員のシャルル・ステルランが書いた。ポール・ジャモが残したラ・トゥールに関する一冊*が手元にある。

  ポール・ジャモはル・ナン兄弟に関する論文を多数残しているが、ラ・トゥールについても論文を書いていた。それを死後、姪のテレーゼ・ベルタン=ムロが、まとめて1942年に刊行したものがここで紹介する書籍である。その多くは、ジャモの生前に美術評論誌などに掲載されたものを、編集しなおしたものである。カタログ調ではなく、ジャモの考えに沿って編まれたユニークなラ・トゥール紹介である。

  この60ページ程度の小冊子に収録されたラ・トゥールの作品の中で「手紙を読む聖ヒエロニスムス」(Saint Jérôme etudiant dans sa cellule. Au Musée du Louvre, Paris.) と「灯火の前のマグダラのマリア」(La Madeleine à la veilleuse. A Mr.Camille Terff, Paris. ) の2枚だけがカラーであり、残りはモノクロ印刷である。表紙もモノクロである。しかし、このモノクロが感動的に美しい。高い印刷技術の水準を感じさせる。すでに65年近い年月が経過しているにもかかわらず、それを感じさせない。後年の出版物でもこの水準に到達していないものも多く、実際の作品を見られなかった当時の人々にとっても大きな感動を与えたものと思われる。

  実際、1934年の展覧会は2度にわたって延長されたといわれ、この画家の評価に大きな影響を与えたものとなった。こうして、ラ・トゥールは急速にプッサンやクロード・ロランなどと肩を並べる17世紀フランスの大画家として認められるようになって行く。画家の発見は、小さなことの着実な積み重ねであることを実感する。
 

 George de La Tour par Paul Jamot, Avec un Avant-Propos et des Notes par THÉRÈSE BERTIN-MOUROT. Paris: LIBRAIRIE FlOURY, 1942. pp.59.

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ラ・トゥール(1997-98年)展カタログ

2006年11月11日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの書棚

Georges de La Tour. Galeries nationales du Grand Palais 3 octobre 1997 - 26 janvier 1998, Paris: Rèunion des Musèes Nationaux, 1997. pp.319.

    ジョルジュ・ド・ラ・トゥールについては、これまで世界でいくつかの特別展が開催されてきた。フランス(パリ:オランジェリー、グランパレ)とアメリカ(ワシントン、フォトワース)で開催された展示は、とりわけ大規模なものであった。こうした特別展のたびごとに、新たな研究成果が付け加えられてきた。そして、幸運にも新たな作品が発見された場合には展示されたりもした。ラ・トゥールに関する新しい出版物も、しばしば特別展に合わせて刊行されることが多い。

    こうした展示の際のカタログは、新たな発見が加えられていることが多く、大変楽しみである。同時に、過去のカタログを眺めてみると、色々なことに気づく。とりわけ印刷技術に驚異的な発達が見られ、年を追って大変美しいカタログが見られるようになったのもうれしいことである。

   1972年のオランジュリーのカタログと1997年のグラン・パレのカタログが手元にあるが、後者は倍近い大判のカラー印刷となり、この間の美術書印刷技術の進歩を目の当たりにすることができる。オランジュリー展のカタログは、当時としては大変よくできたものだが、作品のほとんどはモノクロで、カラーは表紙を含めてわずかである。

  グラン・パレ展になると、展示も大変整備され、見やすい配置であった。作品も推定制作年の順になっていた。真作と非真作が別の場所に分けられ、非真作も適切なコピーが配置されていた。グラン・パレの特別展の時は一時期はかなり長い入館者の列が出来て、1時間近く待った記憶がある。終わってみると、53万人という当時としてはこれも驚くべき記録であったらしい。 今でも、大きな垂れ幕が残像として脳裏に残っている。

    1997年のアメリカでの特別展が終わったすぐの展示であり、フランス側としては対抗心も働いたのだろうか。もっとも、カタログの表紙は、ニューヨークのメトロポリタン美術館が所蔵する「女占い師 」diseuse de bonne aventure (détail) が採用されている。アメリカでの特別展のカタログも大変素晴らしい出来栄えであり、これもいずれ紹介することにしたい。 

  このグラン・パレ展のカタログは、ピエール・ローザンベールとジャン=ピエール・キュザンが委員で、ディミトリ・サルモンが補佐し、ジャック=テュイリエがカタログ解説をするという文字通りラ・トゥール研究についての豪華キャストである*。改めて見直してみて、感心することが多い。

  ワシントン、フォトワース、パリ(グラン・パレ)と次第に、この画家の昼光の下における作品の積極的見直し、位置づけが進んでいることに気づく。世俗画 worldly art とでもいうべき領域におけるラ・トゥールのきわめてユニークな作品について、新たな興味を呼び起こされる。


*
Jean-Pierre Cuzin
conservateur général chargé du département des Peintures
du musée du Louvre

Pierre Rosenberg
Je l'Acadmie française Président-directeur du musée du Louvre

avec de collaboration
de Dimitri Salmon

カタログの構成

Couverture:
La diseuse de bonne atventure (détail)
New York, The Metropoljtan Museum of Art
lntroduction par Jacques Thuillier professeur au collge de France

SOMMAIRE

Avant-propos

JACQUES THUILLIER
rcorges de La Tour: après un quart de siècle...

PIERRE ROSENBERG
Georges de La Tour : de l'Orangerie (1972) au Grand Palais

JEAN-PIERRE CUZIN
La Tour vu du Nord
Notes sur le style de La Tour et la chronologie de ses æuvres

JEAN-PIERRE CUZIN
Catalogue

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ラ・トゥールの「12使徒」シリーズ

2006年11月02日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの書棚

Les Apôtres de Georges de La Tour : Réalités et virtualités (Broché) HERMANN, ÉDITEURS DES SCIENCES ET DES ARTS, 2002.

  ラ・トゥールの現存作品の中で「キリストと12使徒シリーズ」は、やや特異な位置にあることは以前にこのブログで記した。東京の国立西洋美術館が所有する「聖トマス」は、そのうちの一枚である。この12使徒を1人ずつ描いた作品は、今日では世界中に散逸している。使徒の役割からみたら、望ましいのかもしれないが。残念ながら、かつてアルビの大聖堂を飾ったような形では見ることができない。しかしながら、ラ・トゥールに関する研究が進み、これらの作品がいかなる経緯でアルビに集められ、そして散逸していったかについて、次第に背景が明らかになってきた。今回紹介する研究は、文字通りその点に集中している。

  フランスのトゥルーズ・ロートレック美術館 Musée Toulouse-Lautrec は、2枚の真作を含めて、12使徒シリーズの体裁を形だけは整えている。ちなみに、この美術館が保有している真作は、聖小ヤコブSaint Jacques le Mineur と聖ユダ(タダイ)Saint Jude Thaddée の2枚である。

  アルビ・シリーズについては、その概略はすでに記したが、今回紹介する本書は、ラ・トゥールの作品の中で、このシリーズに対象を限定して、最新の研究成果を提示したものである。このシリーズについては、フランス博物館科学研究・修復センターがそのエッセンスをDVD・CDで公開しているが、本書はその印刷版に近い内容である。しかし、DVDには含まれていない細部の情報が記されており、ラ・トゥールの研究者や愛好者にはきわめて貴重な文献である。

  本書の表紙に使われたのは「聖小ヤコブ」(アルビ、トゥルーズ・ロートレック美術館)だが、上記の科学研究・修復センターの主任研究員であるエリザベト・マルタンが明らかにしているように、ラ・トゥールは珍しく人物の位置をキャンバス上で原図より右に移していることがX線写真による調査で明らかにされている。原図は画家によって塗りつぶされていた。

  ラ・トゥールという画家は、キャンバスの上ではほとんど原図を修正することなく、あらかじめ構想を確立した上で、キャンバスに向かっていたことが明らかになっており、「12使徒シリーズ」の中では、この「聖小ヤコブ」だけに配置の移動が行われている。こうしたことが明らかになったのも、x線解析や顔料の化学分析など最新の科学的分析技法が使われるようになってからである。その結果は、ラ・トゥールという謎の多い画家の制作態度を推定するにも多大な貢献をしている。

  とりわけ本書で興味を惹かれたのは、この「使徒シリーズ」が一時はパリにあったこと、なぜアルビに送られ、そして今日のような状況になったかについて、その歴史的背景を知ることができることである。この時代の絵画作品がいかに多くの変転の背景を背負っているか、それを知るだけでも興味が尽きない。


PRÉFACE
Recherche et découverte á propos de Georges de la Tour: les Apôtres d'Albi
JEAN-PIERRE MOHEN

INTRODUCTION
Lectures croisées: science, technique et histoire de l'art
DANIÈLE DEVYNCK

Les Apôtres

Georges de La Tour: une oe uvre en questions
ANNE REINBOLD

Les Apôtres de Georeges de La Tour, de Paris à Albi
JEAN-CLAUDE BOYER

Enquête technique autour des Apôrtes de Georges de La Tour ÉLISABETH MARTIN

La restauration des Apôrtes du musée d'Albi
GENEVIÈVE AITKEN



* C2RMF-Centre de Recherche et de Testauration des Musées de France. (2005). Les Apôtres de George de La Tour: RÉALITÉS ET VIRTUALITÉS. Codex International S.A.R.I.
(日本語版 神戸、クインランド、2005).

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画題の残る唯一の絵

2006年10月02日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの書棚

ラ・トゥールの書棚

Paulette Chone. Georges de La Tour un peintre lorrain au XVIIe siecle. Tournai: Casterman, 1996.   

  ラ・トゥールに関する研究文献の中で、本書はいわば中級専門書の部類に入るだろうか。多少なりともこの希有な画家の世界に足を踏み入れ、その魅力に惹かれた者には、手元において折に触れて眺めてみたい書籍である。作品を展覧会などで見た後、画家の出自や社会的背景などについてもう一段深く知りたい人にも、大変適切な一冊である。
  前半で画家の出自、生涯、後半で作品解題がなされている。とりわけ、興味深いのは前半部である。過半のページを費やして、展開されているラ・トゥールの生涯やロレーヌの社会や宗教について、多数の興味ある図版を含めて説明がなされている。17世紀前半という遠く離れた時空が少し近づき、この画家が過ごしたロレーヌの輪郭がくっきりと浮かんでくる。本書では、作品よりも、この地域に固有な文化的・社会的風土の解明にかなり力点が置かれている。
  その中には、他の研究文献には含まれていない貴重な記述や資料がかなり掲載されている。それは著者のChoneがこの時代のロレーヌに関する傑出した研究者であり、紋章やイメージに関する膨大な研究を残していることに基づいている。とりわけ興味を惹くのは、16世紀後半から17世紀にかけてのヴィックやリュネヴィルに関する考証がしっかり行われている点である。この点もいずれ少し立ち入ってみたい。   
  表紙には、「聖アレクシスの遺骸の発見」が使われており、大型版の大変美しい装丁である。このテーマの作品については、発見された当時は直ちにラ・トゥールの真作とされた。特記すべきことは、この画家の作品の中で唯一画題とその意味が明らかになっていることである。「1648年、ラ・フェルテのために描かれた聖アレクシス」である。他の作品については、すべて後世の研究者などによる推定である。   
  その後検討が進み、今日では現存する同一テーマの2点の作品は、ラ・トゥールの真作に基づく模作(非真作)ではないかとされるようになった(真作はあのラ・フェルテに献上されたものらしい)。しかし、十分決着がついているわけではない。しかし、少なくとも、ラ・トゥールの真作に基づく模作であることまでは確認されている。他のラ・トゥールの作品と同様に、静謐な美しさで見る人は思わず画面に引き込まれて行く。

本書の構成は次の通りである:


Sommaire
Introduction
I. A vic
II. Les années de formation
III. De Vic à Lunéville
IV. Le temps des fléaux
V. Un peintre officiel
VI. Les dernières années

L'oeuvre peint des Georges de La Tour
I. Types populaires
II. Proverbes et paraboles
III. Image des saints
IV. Sujets évangéliques
V. Le Livre de Job

Chronologie
Bibliographie

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安らぎの時:ラ・トゥールの書棚(5)

2006年08月31日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの書棚

ラ・トゥールの書棚(5)
Isabelle Marcadé. Le Nouveau-Né de Georges de La Tour. Paris: Editions Scala, 2004. pp.31.
   

  仕事場の壁にかかった「生誕」のポスターとは、もうかなり長い間、時間を共にしてきた。しかし、掛け替えるつもりはない。キリスト生誕という宗教テーマを扱いながらも、それを感じさせない静かさに満ちた厳粛な空間がそこにある。

    マリアの手に抱かれ安らかに眠っている赤子の顔は、鼻の頭が光っていて、指で一寸突っついてみたいような衝動さえ起こさせる。母親の端正な面立ちとは違って、丸い鼻のなんとも形容しがたいかわいい寝顔である。例のごとく、蝋燭の光だけが映し出している光景である。

  左手の召使いと思われる女性の顔も不思議な表情である。17世紀中頃のロレーヌ人はこういう顔立ちだったのだろうか。マリアともに視線の行方は、幼子イエスでもないどこか空間の一点に向けられている。天啓を得た瞬間のように、二人ともなにか同じことを考えているようでもある。

  光に映し出されたマリアの衣裳の朱色は実に美しい。素材の風合いが伝わってくるような陰影の取り方である。

  この絵を表紙としてこの小著は、前回に続いていわばラ・トゥールの世界への入門書である。「生誕」が主題となっているが、画家の他の作品についても簡単な紹介が付されている。

  この作品も、召使いの頭上ぎりぎりのところで空間が切り取られていて、なんとなく上方が窮屈な印象を受ける。ラ・トゥールの作品にはこうした切断されたような作品がいくつかある。なにか意図があったのだろうか。小著はマリアのこめかみの上を頂点とする三角形の構図を使って、作品の説明をしている。

  ラ・トゥールの作品の中で恐らく最も知られた一枚ではないだろうか。せわしなく、なにかに追われるような現代社会とは遠く離れた空間がそこにある。


Georges de La Tour. Le Nouveau-Né. Musée des Beaux-Arts, Rennes.

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ラ・トゥールの書棚(4):楽しい手引き

2006年08月07日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの書棚
  ラ・トゥールという画家が長らく闇に埋もれていた背景のひとつに、現存する作品がきわめて少なく、真作を目の前にする機会が限られていることを挙げることができる。最も多数を保有するルーヴルでも一部分(6点)しか見られない。そのために、世界の各地で時々開催される特別展などは、この画家の作品をまとめて鑑賞できる大変貴重なチャンスとなる。

  日本で近い将来、再び昨年のような特別展が開催される可能性はきわめて少ないが、比較的楽に海外に行かれるようになった今日では、どこに作品があるかを知っていれば実物に対面できる機会も生まれるだろう。この謎に包まれた画家の時代背景,生涯などを知っていれば、実際に作品を見る機会があれば、理解はさらに深まるだろう。

  ラ・トゥールの愛好者にとって、日本語で書かれ、しかも最も充実した最新の鑑賞の手引きは 昨年、国立西洋美術館で開催された際のカタログである(これについては、改めて紹介の記事を書くつもり)。しかし、大部のものであり、もっと手軽に参考になる書籍はないだろうかと聞かれるとちょっと困る。フランス語、英語では格好の手引きがいくつかあるのだが、日本語文献自体がきわめて少ない。

  今日は、フランス語版ではあるが、きわめてハンディでしかも充実した手引きを紹介してみよう。次の小冊子である。

Olivier Bonfait, Anne Reinbold, et Veatrice Sarrasin. l'ABCdaire de Georges de La Tour. Paris: Flammarion.1997. pp.119.

    表紙にはあの「いかさま師」の謎の召使が描かれている。手引きといっても、内容はかなり濃密である。簡単な年表から参考文献、作品を保有する美術館、索引まで含まれている。というのも、小冊子といえども、書き手はラ・トゥールの中堅研究者たちであり、かなり力が入っている。簡単な記述の中に最先端の研究成果が盛り込まれていて感心する。

  この限られた紙幅に出来るかぎりの情報を盛り込もうとする方法は、以前に紹介したことのあるキュザン=サルモンの著作ときわめて類似している。同年次の出版である。

  ラ・トゥールの出自、画家に影響を与えた同時代の画家の作品との比較など、この画家と作品を理解するための材料が小さなスペースにぎっしりと詰め込まれている。ラ・トゥールの研究史に登場する主要な材料は、ほとんど登場する。

  印刷も大変きれいである。というのも、出版社は美術関係では著名なFlammarionである。手元において時々眺めるだけでも大変楽しい読み物である。

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ラ・トゥールの書棚(3)

2006年07月22日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの書棚

田中英道『ラ・トゥール 夜の画家の作品世界』造形社、1972年

  前回のこのコラムで紹介した田中英道氏の『冬の闇』と同年に出版されたのが、本書である。内容からして、相互に補完し合う関係にある。本書も現在では絶版であり、図書館あるいは古書に求めるしかないが、その労は十分報われるだろう。

  本書は、田中英道氏がストラスブール大学に提出した論文の邦訳である。前書がラ・トゥールとその時代に焦点を当てた一般読者向けの文明評論の性格を持つのに対して、本書は作品分析に重点を置いた専門書と位置づけられる。

  本書が刊行された後のラ・トゥール研究の進展、新たな作品の発見などもあって、作品の確認などをめぐる多少の出入りはあるが、当時としては最新の研究成果に基づいて、ラ・トゥールの作品すべてが掲載されている。印刷技術やコストの点もあって、収録作品はモノクロではあるが、部分的な拡大図やラ・トゥール以外の画家の関連作品なども収録されている。今日の印刷・製本技術からすれば、もちろんより精細なものとなりえようが、当時の出版事情からすれば、十分満足しうるものであった。
  
  さらに、内容に踏み込むと、今日のラ・トゥール研究者の抱く主要な問題意識の多くに論及がなされている。このブログでも記したし、本書「あとがき」での著者の興味深い指摘にあるように、ラ・トゥールは世俗の事柄については多少の記録があるとはいえ、画業についてはなにも自ら書いたものが残っていない。その人生の有り様も含めて、周辺記録・資料からの推測しかなしえない。しかし、そのことがかえって間に書物や記録解釈などの他人の言葉を介在することなく、作品から直接に画家の世界に接しうるという機会を創り出した。

  ボルドー大学教授フランソワ・ジョルジュ・パリゼ氏が評しているように、「田中英道氏の仮借することのない作品追及」が本書の特徴であり、西欧人とは違った「斬新で独自な」美意識で、ラ・トゥールという類まれな大画家の世界に入るためのさまざまな材料を提示してくれている。

本書の構成は次の通りである:
序論 I 日本人とラ・トゥールの芸術
   II ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの発見
第1章 生涯とその作品
第2章 画風の形成
第3章 ラ・トゥールと同時代の画家たち
第4章 ラ・トゥールの作品 1 再発見された7点の作品について
   I 女占い師
   II 辻音楽師の喧嘩
   III 聖マチウ像
   IV  蚤取り女
   V  炎の前のマドレーヌ
   VI 聖ピエールの悔悟
   VII 聖アレクシス
第5章 ラ・トゥールの作品 2 「聖ジェローム」と「聖セバスチアン」
   I 悔恨する聖ジェローム
   II 2点の「聖ジェローム」図の比較
   III 聖イレーヌに介抱される聖セバスチアン
第6章 ラ・トゥールの作品 3 画風変遷の分析
   I 3点の版画と原画の関係
   II ラ・トゥールの作風変遷について
結論

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ラ・トゥールの書棚(2):「冬の闇」

2006年07月17日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの書棚

  これまでの人生で深い感銘を受けた書籍がいくつかある。そのひとつが、この田中英道氏の著作『冬の闇ー夜の画家ラ・トゥールとの対話ー』である。パリ、オランジュリーでのラ・トゥール回顧展が開催された1972年の年末に刊行された。すぐに取り寄せて読み、その透徹した洞察に深く感動した。田中氏は本書とは別に、より専門的な著作として『ラ・トゥール 夜の画家の作品世界』を同年に刊行されているが、今回は一般向けの前書を紹介しよう。後者については、改めて紹介したい。

  当時はフランスにおいても、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの知名度は決して高いものではなかった。それにもかかわらず、オランジュリーの回顧展は多くの人々に大きな感銘を与えた。一人の画家の作品展にもかかわらず、当時は珍しいほど長い行列ができていたことを思い出す。

  田中氏は本書「あとがき」でこれだけの作品が一堂に会し、並列されるとひとつひとつの作品を見る眼が深められぬような気がしてやや落胆した」と記されている。ラ・トゥールの作品は世界各地に分散しており、なかなかまとまった形で作品を展望する機会は少ないから、ぜいたくな悩みではあるが、こうした感想が生まれるのだろう。このブログでも同じような印象を記したことがある。
 
  この画家の作品は、それにふさわしい固有な空間で、一対一で対面することが前提になっているように思われる。まさに画家と見る者との対話を要求しているのだ。

  さらに、ラ・トゥールの作品のひとつひとつが、時代を超えて現代に生きる者にも強く訴えるものを持っている。この画家の作品には、画家の育った背景や風土を知らなくとも、強く訴える力がある。しかし、その背後に展開する時代と空間に分け入ることで、理解は格段に深まることはいうまでもない。

  ブログでも一端を描いているように、当時のロレーヌはフランス、神聖ローマ帝国などの強国の狭間にありながらも、ロレーヌ公国としてかろうじて自立性と固有の風土を維持していた。豊かな鉱物資源など、産物と風土に恵まれ、豊潤で平和な時を享受していた時代もあったロレーヌだが、画家が生きた時代は戦乱、悪疫、飢饉などで荒廃し、平穏とはほど遠い時期が長く続いた。精神的風土という面でも、魔女裁判、呪術、宗教戦争など、人々の不安をかきたてる材料に事欠かなかった。

  ロレーヌは機会に恵まれ、何度か訪れることがあったが、ヴィックもリュネヴィルもなだらかな起伏の続く土地に、川と灌木に囲まれ、人の気配も少ないようなひっそりとした町であった。

  深い精神性に支えられた作品を残したラ・トゥールという画家の世界に分け入ることは、ヨーロッパの精神世界の深層に迫ることでもある。田中氏の資質を早く見出した文芸評論家江藤淳氏が評しているように「「冬の闇」とは、十七世紀ロレーヌの画家の世界であると同時に、氏の心に映じたヨーロッパ世界そのものの象徴である」(本書背表紙から)。

  時代背景を知らずに、ラ・トゥールの作品に接した者も、この画家が過ごした時代あるいはその生涯について、多くの興味をかき立てられよう。これまでの研究が明らかにしてきたように、画家はたぐいまれなる天賦の才に恵まれたが、偏屈あるいは強欲とも思われる性格の持ち主でもあった。

  巧みに乱世を生き抜き、画家として栄達をとげた。しかし、世俗の世界を離れた次元では、この画家はきわめて孤独であった。その精神世界を残された作品からかいま見ることは、きわめて興味深い。現代に生きる人間の状況と底流においてつながるものもある。

  ラ・トゥールの研究は、その後新たな作品や記録の発見などもあり、着実に進んできた。細部においては、著者の解釈と異なる点も出てきてはいる。しかし、その思索の深さ、多彩な切り込みなどの点で、本書をしのぐものは少ない。ラ・トゥールに関心を抱く人にとっては必読すべき文献の最たるものである。今日の段階では残念ながら、図書館、古書などに頼るしかないが、そうした労をはるかに超えて、読者は多くのことを学ぶことができる。

*田中英道『冬の闇-夜の画家ラ・トゥールとの対話-』新潮選書(新潮社、1972年)
 田中英道『ラ・トゥール 夜の画家の作品世界』(造形社、1972年)

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ラ・トゥールの書棚(1)

2006年07月09日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの書棚

  ラ・トゥールという画家と作品に出会って以来、いつの間にかこの希有な画家についての知識も増えた。同様に関心を持った若い友人から、この画家についての文献を聞かれることがあった。実はラ・トゥールについての文献は、謎の画家といわれるわりにはかなり多いほうである。

    今日の段階で比較的容易に入手できる日本語文献としては、このブログでも取り上げたジャン=ピエール・キュザン&ディミトリ・サルモン(高橋明也監修)『ジョルジュ・ド・ラ・トゥール』がある。画家と作品の発見史というユニークな観点から書かれている。この画家が20世紀になって、いわば闇の中から掘り起こされるような過程に関心を持つならば、観賞の手引きを兼ねて楽しんで読むことができるだろう。もちろん、最初から作品鑑賞の機会に恵まれることが望ましいことはいうまでもない。   

  ひとりのラ・トゥール愛好者という観点からすると、始めてこの画家の作品に出会ったのは、さしたる文献も刊行されていない時代であり、作品に対面したのもかなり偶然であった。その後、機会あるごとに特別展などにも足を運び、作品をみてきた。気づいてみると、かなり多数の文献も読んでいた。相当のめり込んだことが分かる。   
 
  回顧を兼ねて、その間に目にした主要な文献などにも触れてみよう。中にはすでに絶版になったり、大学を含めて日本の図書館でも所蔵していないものも多い。ラ・トゥールに関心を抱かれた人には多少のガイドとなるかもしれない。   

オランジュリーでの回顧展
  なんといっても、この神秘的な背景を持った画家の主要な作品に出会ったのは、1972年のパリ・オランジュリーの特別回顧展であった。当時、ラ・トゥールの作品と特定されたものは、ほとんどすべてが一堂に会したのである。偶然にも仕事でパリに滞在していて、この幸運に出会ったのだが、たちまち引き込まれてしまった。会期中に何度か通った。その時の衝撃と感動は大きかった。   

  この回顧展は当時はパリでも大きな注目を集めた。手元に当時のフランス美術界での反響などを伝えるLe Monde(10 Mai 1972)の切り抜きも残っていたが、文芸欄などに2面以上にわたり、この画家と記念すべき催しについて詳細に記している。特に、斬新な構図、華やかな画面などで世界を驚かせた「いかさま師(ダイヤのエース)」については、2段抜きくらいの大きな紙面で2個所にわたって作品全体と部分を掲載して紹介している。 ルーブルがこの展示にかけた力の入れようが伝わってくる。  

画期的な展示
  この回顧展のカタログは手元にあるが、その時点で確認されたラ・トゥールの作品を、ほとんどすべて掲載した当時としては画期的なものであった。回顧展の企画委員会Comité Scientifique の委員は次のように、ラ・トゥール研究のそうそうたる人たちが名を連ねている:

Vitale Bloch
Michel Laclotte
Pierre Landry
Benedict Nicolson
François-Georges Pariset
Pierre Rosenberg
Charles Sterling
Jacques Thuillier
Cristopher Wright
  

  回顧展のカタログでは、ラ・トゥール研究者のジャック・テュイリエが主要な部分を担当している。テュイリエは後にラ・トゥールについての決定版ともいうべき大著を刊行しているが、いずれ別の機会に触れよう。

素晴らしい内容
  このカタログでは作品説明は共著者のピエール・ロザンベールとテュイリエが書いている。次のような構成である:

Georges de La Tour et notre temps par Pierre Landry
La Tour, enigmes ethypothèses par Jacques Thuillier
Biographie et fortune critique par Jacques Thuillier
Catalogue par Pierre Rosenberg et Jacques Thuillier
Bibliographie par Jacques Thuillier   


  カタログの表紙は「いかさま師(ダイヤのエース)」である。掲載されている作品図版の多くはモノクロだが、数枚は多色刷であり、当時としては大変ぜいたくなカタログであった。

  この時一緒に購入した「キリストと大工聖ヨゼフ」のポスターは、長い間仕事場の壁を飾っていた。心が安まる思いがしていた。今はレンヌの「聖誕」に代わっている。



References
Georges de La Tour. Orangerie des Tuileries. 10 mai – 25 septembre 1972. Minisére des Affaires Culturelles, Réunion des museés Nationaux. 283pp

Cuzin, Jean-Pierre et Salmon, Dimitri (1997) Georges de La Tour Histoire D’Une Redécouverte, Paris: Découvertes Gallimard, Réunion des MuséésNationaux Arts. (印刷、装丁は日本語版よりかなり上質)


ジャン=ピエール・キュザン & ディミトリ・サルモン (高橋明也監修・遠藤ゆかり訳) (2005) 『ジョルジュ・ド・ラ・トゥール』 東京、創元社。

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