ラ・トゥールとカラヴァッジョ(2)
M.Caravaggio, Cheats, 1594, Kimbell Art Museum, Fort Worth, Texas
カラヴァッジョの影響
ラ・トゥールについて語る時、しばしば言及される画家の一人にカラヴァッジョがいる。「ラ・トゥールはローマへ行ったか」、「カラヴァッジョの影響を受けているか」など、ラ・トゥール研究者が常に問われてきた課題である。これまでのラ・トゥールに関する研究の進展に見る限り、この画家自身がイタリアへ赴いたという事実を証明する文書などは、発見されていないようだ。しかし、いかなる経路をたどったかは別として、ラ・トゥールはカラヴァッジョが画壇にもたらした革新の影響を、彼なりに感じ、消化していたことは十分感じられる。
カラヴァッジョは1571年、ミラノに生まれ、徒弟時代を同地で過ごした後にローマで画家として活動を始めた。斬新で独特な画風によって当時の絵画の概念を覆し、時代の先端を走る画家として一躍その名をローマ中に知らしめた。しかし、特異な性格が災いして晩年に誤って殺人を犯してしまい、以後の人生の大半を逃亡生活で過ごした果てに、1610年、38歳で波瀾と謎に満ちた生涯を閉じた。名声の頂点だった。文字通り、時代を走り抜けた画家であった。天才と無軌道さを併せ持っていた。その生涯をラ・トゥールと比較すると興味深い。ラ・トゥールもそうであったように、天才はしばしば世俗の世界では振幅が大きい。
日本における知名度
カラヴァッジョは西欧では大変良く知られた画家だが、ラ・トゥールに似て、日本ではいまひとつ知名度が不足している。2001年に東京都庭園美術館で「カラヴァッジョ 光と影の巨匠-バロック絵画の先駆者たち」展と題して、作品の一部が公開されたので、ご覧になった方もおられるだろう。印象では、場所の制約もあるが、今回のラ・トゥール展より少し混み合っていたくらいだった。
カラヴァッジョが徹底的に追及した写実表現は、誰もが容易に想像し得る同時代の風俗を加味した場面設定とあいまって、画面の登場人物たちに生き生きとした存在感を与えた。また、光と影を効果的に使ったユニークな明暗法は、想像力を通して鑑賞者の内面に訴えかける画期的な手法として、伝統や慣習にとらわれない新たな絵画の創出へとつながった。
さらに、彼が残した作品とスタイルは、ローマやナポリ周辺の画家たちばかりではなく、オランダ、ベルギーなど北方の画家にまで影響を与え、“カラヴァッジェスキ”と呼ばれる追随者たちを生みだした。ルーベンスやベラスケス、レンブラントら17世紀の画家たちにも受け継がれ、バロック絵画として新たな展開を迎えることになる。
衝撃的な作品
カラヴァッジョは日本での特別展の実態をみても、日本人の受け取り方はかなり振幅が大きいのではないか。この画家は時代の先駆者ということもあって、それ以前の画家とは大きく異なった画風である。
たとえば、「洗礼者ヨハネの馘首」Beheading of John the Baptistでは、聖人の首からほとばしる血を鮮烈に描いている。最初にこの絵を見た時は、どうしてここまで描かねばならないのかと思ったほど衝撃的だった。
聖人・使徒の霊妙な世界を普通の人間世界のものにしてしまう画家の能力は、当時ヨーロッパ世界に展開していた反宗教改革の潮流に根ざしている。宗教的神秘を具象化し、世俗の世界に近づけるという意味である。時代にそれまでなかった技法を縦横に発揮した最初の近代画家であり、古典の聖書シリーズの暗い恐怖と欲望を題材に多くの作品を描いた。その徹底したリアリズムは、当時においては文字通り革命的であったことは間違いない。
他方、カードの「いかさま師」The Cheats (画像)のような時代の風俗を描いたような作品では、全体として落ち着いた画面構成が選ばれている。カラヴァッジョは、風貌をしのぶ肖像画が残されているが、一見穏やかな表情の裏にはラ・トゥールと同様に、振幅の大きなキャラクターが潜んでいる。
カラヴァッジョは、私も好む画家の一人であり、特別展などがあればできるかぎり出かけたい方だが、そのリアリズムにはしばしば辟易となることもある。現在ロンドン・ナショナル・ギャラリーで開催されている特別展も、闇の中に作品を展示し、鑑賞の効果を上げるという斬新かつ衝撃的な方法を採用している。この画家の興味深い点は、同じ主題を扱いながら、1601年に描いた「エマウスの晩餐」(ローマにいた時期の作品)と、5年後に描いたものを比較すると、まったく別の画家に見えるほどの違いがある。前者は静物画的、後者はより神秘的な状況での内面的な扱いが見て取れる。画家の人生の局面における精神的状況が作品に反映されている。
「パッション」への類推
図らずも2004年、アメリカ大統領選の時に「華氏911」と並び、大変話題となった映画「パッション」を思い出してしまったが、この映画はキリストの「受難」の過程を克明に描いた問題作であった。
おそらく、世界中で最も有名なキリストの最後、イバラの冠をかぶらされ、重い十字架の横木を背負い、ゴルゴダの丘で両手両足を釘打ちされた十字架刑の事実を、ここまで忠実に映画化したものは他にないだろう。想像を絶する痛み、苦しみの後に来る奇跡の復活が、これでもかとばかりに描かれている。思わず、画面から目をそらしてしまうほどである。
その凄惨さゆえにアメリカのみならず、ローマ法王をも巻き込んでの論争に発展、公開前から世界中のメディアが連日報道するという騒ぎになった。
脚本はすべてラテン語、アラム語で書かれ、衣装、食習慣から、俳優の瞳の色、顔つきまで変えるほど徹底してリアリティにこだわった。敬虔なカトリック信者でも知られるメル・ギブソンが、監督第3作目にして自らのパッション(情熱)の全てをフィルムに焼きつけたといわれるが、キリストの人生、死、復活の意味を、圧倒的な映像の力で語りかけてくる。
ラ・トゥールの宗教画は、こうした作品と比較すると、「宗教画」というジャンルに含めるには、時に違和感を覚えさせる独特の静謐さに充ちている。他方、イタリアにおいては、ラ・トゥールが画家としての地位を確立する頃には、カラヴァッジョが、すでに多くの衝撃的な作品を世に残していた。伝達経路はさまざまであったかもしれないが、ラ・トゥールは、こうした画壇に新たに生まれ確立したリアリズムの風潮を十分体得しつつ、反宗教改革という流れの要請するものを鋭く感じ取っていた名実ともに希有な画家である(2005年4月8日記)。