吹き荒れる「チャイナ・バッシング」の嵐
中国繊維製品が世界市場にもたらした衝撃は、予想を超えたすさまじいものがある。特に先進国の中でなんとか生き残ってきたアメリカ繊維産業にとっては、今回は存亡をかけたせめぎあいといわれている。最近のアメリカ議会には、最後の攻防手段ともいえる繊維製品の輸入制限に加えて、人民元の切り上げ要求などが重なりあって「チャイナ・バッシング」の嵐が吹き荒れている。議員立法などの対抗措置が目白押しである。しかし、そうした措置がどれだけの効果があるのか。グローバル化の衝撃は大きく、対応も困難をきわめる。グローバル化の激流から逃れられないとすれば、その中で対処する道を選ばねばならない。
繊維産業を抱える南部あるいはニューイングランド諸州出身の議員は、上下院を通して中国製品の競争力削減に懸命になっている。確かに、2004年のアメリカの対中貿易赤字は過去最大の1600億ドルに達した。中国製品の輸入が急増している繊維産業を中心に、アメリカ企業の経営破綻や人員解雇が相次いでいる。その実態を伝えるレポートを素材に展望してみよう。
繊維の町カンナポリス(注*)
ノースカロライナ州カンナポリスは、南部の繊維工業の町として知られているが、その実態は、グローバル化の衝撃に壊滅寸前の姿を示している。この町は1906年、繊維産業王のジェームス・キャンノンが工場を設立、君臨したカンパニー・タウン(企業城下町)である。カンパニー・タウンの通例として、会社と従業員とその家族である住民が一体となり、パターナリスティックな雰囲気が漂っている。会社が住民の生活まで目を配ってきた。そのかたわら、1920年代大恐慌時、従業員の生活の面倒をみた経営者に「キャンノンおじさん」の愛称がつけられたような町である。会社と共に生きてきた住民にとっては暮らしやすい小さな世界を形作ってきた。高い賃金、州が無償で提供する電力、雇用の安定などが、この日常は平穏な町を今日まで存続させてきた。(長年、この産業を研究対象のひとつとしてきた私にとっても、良くこれまで存続しえたという思いと同時に、ついに来るべき日が来たかという複雑な感じである。)
記録的な失業者
このキャンノン・ミルズは、かつては一日30万本のタオルを生産していた(画像は同社のタオル製品)。しかし、滔々たる中国製品の流入に対抗できなくなってきた。2003年7月末には傘下のピローテックス社が全米にあった16工場を閉鎖し、およそ6500人の従業員が職を失った。ノースカロライナ州では、わずか一日に生まれた失業者数としては記録的なものとなった。カンナポリス地域だけでも4300人が失業者となった。過去10年間にノースカロライナ州だけで25万人の製造業労働者が職を失っている。そのうち、9万人が繊維工業で働いていた。このシリーズでも記したように、本年1月1日から繊維製品の輸入割当が撤廃されたので、失職する人はさらに増えそうである。
再訓練の困難さ
失職しても、他の産業に雇用されればよいではないかという考えもある。確かに、ノースカロライナ州のハイテクやサービス産業は拡大している。しかし、繊維産業のような工場労働者は新しい技術に対応できない。ピローテックス社が閉鎖した時、労働者の3人に1人は高校教育を受けていなかった。10人のうち一人は読み書きが十分できなかった。そして半数近くは50歳以上であった。
アメリカには「貿易調整援助」Trade Adjustment Assistanceと呼ばれる連邦の再訓練プログラムがあることは、よく知られている。輸入の急増などによって危殆に瀕した産業の労働者などに対して実施される救済と次のステップへの移行措置である。こうしたプログラムの対象となった労働者が再訓練を受けている間は、生活に差し支えないほどの給付がされている。給付期間も2002年から従来の78週が104週になった。しかし、ピローテックスのようなひとつの会社に30年も勤続した労働者が、突然しかも多数失業した例はほとんどない。そのために、今回はこうしたプログラムにとっても試練のケースとされている。
2000人近い労働者が再訓練プログラムを希望したが、計算機(コンピューターではない)も使ったことのない人々も多い。地域に貢献するために、会社は多数の身体障害者も雇用してきた。しかし、再訓練でこれらの人々が新たな仕事につける可能性は少ない。
外国人労働者には恩恵
皮肉なことに、このプログラムで救われるのは、長年この地に住むアメリカ人労働者ではなく、外国人労働者だといわれている。合法的にアメリカに居住できる資格さえあれば、カナポリスにいる数百人のラオスや中南米からの労働者も再訓練を受けることができる。それまで、下積みの肉体労働しか仕事がなかったが、思いがけなく無料で教育・訓練を受ける機会が生まれた。彼らは、英語とコンピューターの教育を受けた後、カンナポリスを出て仕事を見つけることができる。「キャンノンおじさん」の町にずっと暮らしてきた人たちにとっては時代の変化はとりわけ厳しい(2005年4月23日記)。
(注*)カンナポリスについての記述は、主として下記の資料による。
“The human cost of cheaper towels”, The Economist, April 23rd, 2005 digital edition.
中国繊維製品が世界市場にもたらした衝撃は、予想を超えたすさまじいものがある。特に先進国の中でなんとか生き残ってきたアメリカ繊維産業にとっては、今回は存亡をかけたせめぎあいといわれている。最近のアメリカ議会には、最後の攻防手段ともいえる繊維製品の輸入制限に加えて、人民元の切り上げ要求などが重なりあって「チャイナ・バッシング」の嵐が吹き荒れている。議員立法などの対抗措置が目白押しである。しかし、そうした措置がどれだけの効果があるのか。グローバル化の衝撃は大きく、対応も困難をきわめる。グローバル化の激流から逃れられないとすれば、その中で対処する道を選ばねばならない。
繊維産業を抱える南部あるいはニューイングランド諸州出身の議員は、上下院を通して中国製品の競争力削減に懸命になっている。確かに、2004年のアメリカの対中貿易赤字は過去最大の1600億ドルに達した。中国製品の輸入が急増している繊維産業を中心に、アメリカ企業の経営破綻や人員解雇が相次いでいる。その実態を伝えるレポートを素材に展望してみよう。
繊維の町カンナポリス(注*)
ノースカロライナ州カンナポリスは、南部の繊維工業の町として知られているが、その実態は、グローバル化の衝撃に壊滅寸前の姿を示している。この町は1906年、繊維産業王のジェームス・キャンノンが工場を設立、君臨したカンパニー・タウン(企業城下町)である。カンパニー・タウンの通例として、会社と従業員とその家族である住民が一体となり、パターナリスティックな雰囲気が漂っている。会社が住民の生活まで目を配ってきた。そのかたわら、1920年代大恐慌時、従業員の生活の面倒をみた経営者に「キャンノンおじさん」の愛称がつけられたような町である。会社と共に生きてきた住民にとっては暮らしやすい小さな世界を形作ってきた。高い賃金、州が無償で提供する電力、雇用の安定などが、この日常は平穏な町を今日まで存続させてきた。(長年、この産業を研究対象のひとつとしてきた私にとっても、良くこれまで存続しえたという思いと同時に、ついに来るべき日が来たかという複雑な感じである。)
記録的な失業者
このキャンノン・ミルズは、かつては一日30万本のタオルを生産していた(画像は同社のタオル製品)。しかし、滔々たる中国製品の流入に対抗できなくなってきた。2003年7月末には傘下のピローテックス社が全米にあった16工場を閉鎖し、およそ6500人の従業員が職を失った。ノースカロライナ州では、わずか一日に生まれた失業者数としては記録的なものとなった。カンナポリス地域だけでも4300人が失業者となった。過去10年間にノースカロライナ州だけで25万人の製造業労働者が職を失っている。そのうち、9万人が繊維工業で働いていた。このシリーズでも記したように、本年1月1日から繊維製品の輸入割当が撤廃されたので、失職する人はさらに増えそうである。
再訓練の困難さ
失職しても、他の産業に雇用されればよいではないかという考えもある。確かに、ノースカロライナ州のハイテクやサービス産業は拡大している。しかし、繊維産業のような工場労働者は新しい技術に対応できない。ピローテックス社が閉鎖した時、労働者の3人に1人は高校教育を受けていなかった。10人のうち一人は読み書きが十分できなかった。そして半数近くは50歳以上であった。
アメリカには「貿易調整援助」Trade Adjustment Assistanceと呼ばれる連邦の再訓練プログラムがあることは、よく知られている。輸入の急増などによって危殆に瀕した産業の労働者などに対して実施される救済と次のステップへの移行措置である。こうしたプログラムの対象となった労働者が再訓練を受けている間は、生活に差し支えないほどの給付がされている。給付期間も2002年から従来の78週が104週になった。しかし、ピローテックスのようなひとつの会社に30年も勤続した労働者が、突然しかも多数失業した例はほとんどない。そのために、今回はこうしたプログラムにとっても試練のケースとされている。
2000人近い労働者が再訓練プログラムを希望したが、計算機(コンピューターではない)も使ったことのない人々も多い。地域に貢献するために、会社は多数の身体障害者も雇用してきた。しかし、再訓練でこれらの人々が新たな仕事につける可能性は少ない。
外国人労働者には恩恵
皮肉なことに、このプログラムで救われるのは、長年この地に住むアメリカ人労働者ではなく、外国人労働者だといわれている。合法的にアメリカに居住できる資格さえあれば、カナポリスにいる数百人のラオスや中南米からの労働者も再訓練を受けることができる。それまで、下積みの肉体労働しか仕事がなかったが、思いがけなく無料で教育・訓練を受ける機会が生まれた。彼らは、英語とコンピューターの教育を受けた後、カンナポリスを出て仕事を見つけることができる。「キャンノンおじさん」の町にずっと暮らしてきた人たちにとっては時代の変化はとりわけ厳しい(2005年4月23日記)。
(注*)カンナポリスについての記述は、主として下記の資料による。
“The human cost of cheaper towels”, The Economist, April 23rd, 2005 digital edition.