Georges de La Tour, Job and His Wife, c.1630s, Musée Départmental des Vosges, Épinal.
一見して、不思議な印象を与える作品である。今日まで400年近い年月が経過しているとは、およそ思えないほどモダーンである。現代の作品としてもおかしくないし、宗教画の感じもまったくない。
右側の椅子に座った裸体の男性と比較して、左側の赤い衣服を着た女性は、大変背が高く描かれており、ウエストの位置もきわめて高い。スマートではあるが、男の顔をのぞき込む姿勢は画面の上部が詰められていることもあって、やや窮屈な感じを与える。蝋燭を持った女性の手も「鹿の角」と形容されたように、リアルではない。画家がキュービスティックな配慮を加えたとしか思えない。女性の服装は簡素だが、朱色が蝋燭の光に生えて美しい。白い帽子と前掛けの色もそれを引き立てている。しかし、すそが長いデザインは、日常着ではないようにも思える。当時の人たちにはすぐに分かったことでも、今になると推測するしかない。衣装についての歴史的研究が進むと、意外なことが分かるかもしれない。
洗練された美しさ
この作品は、1825年にエピナル美術館が、ナンシーの画家クランツの作品とともに取得した絵画の中に含まれていた。発見当時は、画家は特定できないが「イタリア派」の作品とされていた。確かにそう思わせる様式化と洗練された美しさが見られる。
その後、1900年にゴンス Gonseがレンヌの「生誕」と比較し、両者の関連性に言及している。また、1922年にはドモン Desmonts がラ・トゥールの作品と推定した。そして、1972年、特別展に備えての修復作業の際にDe La Tourのサインが発見された。その後、この絵は、ラ・トゥールの作品の中でも一段と重要度を高めた。とりわけ目立つ様式化 stylization と画題の解釈についての強力な独創性などが評価されたのであろう。「ヴィエル音楽師」や「12使徒」シリーズにみられたような徹底したリアリズムは、いつの間にか消え去っている。画家の後期の作品ではないかと考えられている。
揺れ動いた画題
しかし、画家がラ・トゥールではないかとされた後も、その画題についてはさまざまな推測が行われてきた。「囚人を見舞う女性」、「天使に救われる聖ペテロ」、「聖アレクシス」、「妻に嘲笑されるヨブ」など多くの解釈が提示された。確定の有力な手がかりとなったのは、粗末な椅子に座る男の足下にある小さな土器のような物品の確認である。修復作業の過程で、壊れた素焼きの土器であることが確認された。それまでは、牢獄で囚人をつなぐ足輪と考えられたこともあった。
その結果有力な解釈として浮上してきたのが、すでに1920年代から提示されていた『ヨブ記』にみられる記述との関連である。『ヨブ記』は17世紀によく読まれていた。それに基づき、ジャン・ラフォン=ロノー(1935)が提出し、ワイズバッハ(1936)によって繰り返されたものだが、信仰に篤いヨブが妻から嘲笑される場面であるとの仮説である。
「妻に嘲笑されるヨブ」?
『ヨブ記』は、神がヨブという信心深い男を悪魔の手にゆだね、さまざまな試練を与える物語である。裕福だったヨブは、多数の牛、馬、らくだ、羊などの家畜を略奪され、嵐のため家が倒れて七人の息子、三人の娘まで失ってしまう。さらに、悪魔は神をそそのかし、ヨブ自身をひどい皮膚病に罹らせる。ヨブは素焼きのかけらで身体をかきむしり、試練に耐えて灰の中に坐っていた。それでも神への信仰を棄てない彼を見て、ヨブの妻は、「どこまでも無垢でいるのですか。神を呪って死んだほうがましでしょう」と言ったが、ヨブは答えた。「おまえまで愚かなことをいうのか。わたしたちは神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか」。このようになっても、彼は唇をもって罪を犯すことをしなかった。(『ヨブ記』第2章第7:8)
このヨブ記との関連へ導いたものは、年老いた男の足下に置かれた、先述の壊れた土器のようなものである。「素焼きのかけらで身体をかきむしり」という記述との関連づけがなされたのである。
ただ、この解釈は、今日のラ・トゥール研究者の間で有力なものとなっているが、ヨブの妻とヨブの表情の部分を拡大してみても、そこには妻による嘲りといった雰囲気がほとんど感じられない。私などは、むしろいたわりの表情を感じてしまう。妻が病に苦しむヨブを見舞いに来た情景ではないか*。ラ・トゥールは依然として謎の画家である(2005年5月5日)。
* ラ・トゥールより時代が遡るが、アルブレヒト・デュ―ラー Albrecht Dürerの作品にも同じテーマと思われる、ヨブに水をかけてやる妻の情景が描かれたものがある。
一見して、不思議な印象を与える作品である。今日まで400年近い年月が経過しているとは、およそ思えないほどモダーンである。現代の作品としてもおかしくないし、宗教画の感じもまったくない。
右側の椅子に座った裸体の男性と比較して、左側の赤い衣服を着た女性は、大変背が高く描かれており、ウエストの位置もきわめて高い。スマートではあるが、男の顔をのぞき込む姿勢は画面の上部が詰められていることもあって、やや窮屈な感じを与える。蝋燭を持った女性の手も「鹿の角」と形容されたように、リアルではない。画家がキュービスティックな配慮を加えたとしか思えない。女性の服装は簡素だが、朱色が蝋燭の光に生えて美しい。白い帽子と前掛けの色もそれを引き立てている。しかし、すそが長いデザインは、日常着ではないようにも思える。当時の人たちにはすぐに分かったことでも、今になると推測するしかない。衣装についての歴史的研究が進むと、意外なことが分かるかもしれない。
洗練された美しさ
この作品は、1825年にエピナル美術館が、ナンシーの画家クランツの作品とともに取得した絵画の中に含まれていた。発見当時は、画家は特定できないが「イタリア派」の作品とされていた。確かにそう思わせる様式化と洗練された美しさが見られる。
その後、1900年にゴンス Gonseがレンヌの「生誕」と比較し、両者の関連性に言及している。また、1922年にはドモン Desmonts がラ・トゥールの作品と推定した。そして、1972年、特別展に備えての修復作業の際にDe La Tourのサインが発見された。その後、この絵は、ラ・トゥールの作品の中でも一段と重要度を高めた。とりわけ目立つ様式化 stylization と画題の解釈についての強力な独創性などが評価されたのであろう。「ヴィエル音楽師」や「12使徒」シリーズにみられたような徹底したリアリズムは、いつの間にか消え去っている。画家の後期の作品ではないかと考えられている。
揺れ動いた画題
しかし、画家がラ・トゥールではないかとされた後も、その画題についてはさまざまな推測が行われてきた。「囚人を見舞う女性」、「天使に救われる聖ペテロ」、「聖アレクシス」、「妻に嘲笑されるヨブ」など多くの解釈が提示された。確定の有力な手がかりとなったのは、粗末な椅子に座る男の足下にある小さな土器のような物品の確認である。修復作業の過程で、壊れた素焼きの土器であることが確認された。それまでは、牢獄で囚人をつなぐ足輪と考えられたこともあった。
その結果有力な解釈として浮上してきたのが、すでに1920年代から提示されていた『ヨブ記』にみられる記述との関連である。『ヨブ記』は17世紀によく読まれていた。それに基づき、ジャン・ラフォン=ロノー(1935)が提出し、ワイズバッハ(1936)によって繰り返されたものだが、信仰に篤いヨブが妻から嘲笑される場面であるとの仮説である。
「妻に嘲笑されるヨブ」?
『ヨブ記』は、神がヨブという信心深い男を悪魔の手にゆだね、さまざまな試練を与える物語である。裕福だったヨブは、多数の牛、馬、らくだ、羊などの家畜を略奪され、嵐のため家が倒れて七人の息子、三人の娘まで失ってしまう。さらに、悪魔は神をそそのかし、ヨブ自身をひどい皮膚病に罹らせる。ヨブは素焼きのかけらで身体をかきむしり、試練に耐えて灰の中に坐っていた。それでも神への信仰を棄てない彼を見て、ヨブの妻は、「どこまでも無垢でいるのですか。神を呪って死んだほうがましでしょう」と言ったが、ヨブは答えた。「おまえまで愚かなことをいうのか。わたしたちは神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか」。このようになっても、彼は唇をもって罪を犯すことをしなかった。(『ヨブ記』第2章第7:8)
このヨブ記との関連へ導いたものは、年老いた男の足下に置かれた、先述の壊れた土器のようなものである。「素焼きのかけらで身体をかきむしり」という記述との関連づけがなされたのである。
ただ、この解釈は、今日のラ・トゥール研究者の間で有力なものとなっているが、ヨブの妻とヨブの表情の部分を拡大してみても、そこには妻による嘲りといった雰囲気がほとんど感じられない。私などは、むしろいたわりの表情を感じてしまう。妻が病に苦しむヨブを見舞いに来た情景ではないか*。ラ・トゥールは依然として謎の画家である(2005年5月5日)。
* ラ・トゥールより時代が遡るが、アルブレヒト・デュ―ラー Albrecht Dürerの作品にも同じテーマと思われる、ヨブに水をかけてやる妻の情景が描かれたものがある。