時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

揺らぐドイツの労働市場:拡大EUの衝撃

2005年05月18日 | 移民政策を追って
  2004年8月に加盟国拡大を行ったEUは、一時は明るい将来への一筋の光を見たような思いだった。しかし、その後の事態の展開につれて、加盟国の間にさまざまな問題が浮上してきた。とりわけ、フランス、ドイツなど、最初からの加盟国で深刻な事態が展開している。国民の間に、拡大EUがもたらす影響について、恐れや怒り、そしてフラストレーションが高まっている。特にドイツとフランスでそれが激しい。EU拡大に賛成しない国民の感情は、指導者の予想を裏切り、政権基盤を揺るがしかねないほどに強まってきた。

EU拡大のマイナス面への対応の遅れ
  これらの国々では、政権を握る指導者と国民の間の認識格差が拡大してきた。ひとつの発火点は労働市場である。フランス、ドイツなどへ東欧諸国から低賃金な労働力が流入し始め、国内労働者との間にさまざまな軋轢を生むようになった。それがきっかけになって、EU拡大そしてその中枢である本部への反対も強まっている。メンバー国にとってさしたる実害のない機関と考えられてきたブリュッセルのEU本部が脅威になってきたのである。いまや加盟国は次々と出されるEUの指令に、ほとんど異論を唱える間もなく、従うことを余儀なくされている。この状況を有名な玩具メーカー「レゴ」が、かつてCMに使った「一日ひとつの玩具を」というフレーズになぞらえる論評すらある。

  EUの主要国は、加盟国拡大は歴史的な義務と自らを讃えていたが、拡大に伴う国民への負担や困難にどう対応するかを忘れていた。2年後の2007年には、ブルガリアとルーマニアの加盟が予定されているが、ドイツ、フランスはもはやそれを望んでいない。少年犯罪者や売春婦を送り出す国と公言する政治指導者までいるくらいだ。

国民の決断やいかに
  こうした状況で、EU憲法(正式には憲法協定)の批准が迫っている。先ず、ドイツは批准の決議を5月19日下院、そして27日には上院で行う予定になっている。ドイツは、幸いフランスのように国民投票をせずに批准ができる。 もし、通過すれば国民投票を行うフランスへのメッセージとなる。ブラッセルEU委員会によるサービス産業の規制緩和は、ドイツよりもフランスで強い反発が生まれている。
このサイトでも取り上げたことのある、ヨーロッパのサービス産業ガイドラインにしても、ドイツの連立政権は楽観していた。「ヨーロッパの障壁を大規模に除去し、多数の仕事を創出する」とクレメント貿易・通商大臣が語っていた。

  しかし、新加盟国からのタイル貼り職人や屋根葺き職人がドイツを目指していることが分かるや、一夜にして指導者は態度を変えざるをえなくなった。首相自らサービス自由化については、全体構想の見直しが必要だと言い出した。

新しい東欧と古い西欧
  統合によって地域的にも拡大したEUでは、古くからの構成国であるドイツ、フランスなどで、企業がハンガリー、チェッコなどの東欧諸国へ流出・移転する動きが見えてきた。それとともに、労働コストが相対的に低いポーランドなどから労働者が流入してきた。その結果、ドイツやフランスなどでは、産業ならびに労働の基盤が揺らぎ始めた。

  いまや西欧の労働者は、東欧との競争によって追い出される感じを抱いている。ドイツにおいては食肉加工業にポーランド人労働者が多数雇用され、数千人のドイツ人の雇用機会が奪われたといわれている。また、フランスではポーランドから鉛管工などが流入し、国内労働者の雇用が代替される事態が生まれている。

どうして競争できるのか
  1958年のローマ憲章には、ECの目標として人,もの、サービスの自由な移動が標榜されている。最初からの構成国である6カ国は、イタリア南部を除くと経済的にも同質である。しかし、拡大EUの25カ国、そして将来の27あるいは30カ国は、きわめて異なった経済水準である。賃金、社会給付などの低水準を武器とするダンピングが生まれることは避けがたい。このところ、ドイツの新聞・雑誌は、東欧からの低賃金労働者の流入とドイツ人労働者の代替の問題をしばしば一面に取り上げ論じている。東欧とドイツの賃金コスト差が1:10というのに、どうして競争ができるかという国民の疑問に答えるのは難しい。

  この大きな賃金コスト差を利用して、再生をはかる産業まで出てきた。かつてはドイツ重化学工業を支えてきたドイツの石炭産業は、エネルギー革命の影響で、すでに60年代から衰退産業となってきた。日本では炭鉱業はもはや存在しなくなったが、ドイツでは多額の政府補助金もあって、今日まで存続してきた。その過程で、業界はリストラを進めるために残る労働者に早期退職を勧めるなどの措置をとってきた。炭鉱労働者は49歳で退職でき、最後にもらう給与の85%相当の年金を受給できる。ところが、ポーランドやチェコから労働者を招き、低賃金で働かせるという人材派遣会社が増えてきた。ポーランド人労働者にとって、炭鉱は月に900ユーロ(約12万円)を母国に仕送りできる出稼ぎ先である。これらの新しい外国人労働者は好条件で働くドイツ人労働者にとっては大きな脅威となっている。労働コストの4割を削減できるという期待から、中東欧からの労働者が次々と流入してきた。

落日の「福祉国家」
  かくして、ドイツ国内にはこれまで労働組合などが獲得してきた高い賃金水準や労働条件に支えられた国内労働者層と、相対的に労働コストが大幅に安い外国人労働者などの低賃金労働者層が目立ち始め、前者の基盤が顕著に侵蝕されている。予想されたことではあるが、対応を考えていなかった先進国は深刻な事態を迎えている。グローバル化は先進国の労働条件にとって大きな脅威である。「福祉国家」welfare stateという言葉は、すでにかつての輝きを失っているが、残る砦も危うくなっている(2005年5月17日記)。


Source: DER SPIEGEL digital editionなどを参考にした。

コメント (2)
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