時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

希望につながる道を

2006年08月04日 | グローバル化の断面

  「小泉劇場」も終幕近く、いくつかの劇評も見られるようになった。ここで指摘したいのは、ドラマの脚本がアメリカ社会の翻訳ではなかったかという点にある。「格差社会」という嫌な表現が生まれてさまざまな論議を生んでいる。実は、これはしばらく前からアメリカ社会が直面してきた問題だった。

「不平等な国」となった日本
  「格差」の概念や評価については、日本でもすでに多くの議論がある。問題点が整理され、議論自体が早期に収斂する状況には到底ないが、労働市場についてみると、実態は2極化ともいえる方向に進んでいることは、さまざまな点から確認できそうである。戦後の復興過程を通して、世界の中でも珍しいほど平等化が進んだ社会と評された日本だが、いまやOECDなどから先進国の中で、アメリカに次ぐ不平等な国と指摘されるまでになった。

  「格差社会」をめぐる議論については、その概念、実証などの点で今後十分検討しなければならないことはいうまでもないが、誰もが納得するような統計資料が早期に整備されるとは考えられない。その間にも事態は変化を続ける。そして大事なことは、統計数値では測れない次元もあることに注意しておかねばならない。

格差が「問題」ではなかった国:アメリカ
  それは、国民の多くが自国の現在および将来について、大きな不安感を抱いていることである。一部にみられる意図的とも思える楽観にもかかわらず、この漠とした不安感は、国民の行動の多くの面に反映している。この点を払拭することが、次の内閣に課せられた最重要課題であることは間違いない。政権側がいくら否定しようとも、国民はさまざまな格差の拡大を肌身に感じて不安に思っている。

  先進国中で最も「経済格差」が大きいといわれるアメリカは、これまで格差ということをあまり問題としなかった国でもある。移民の国として国家を形成してきた歴史的背景もあって、現在は貧しくとも努力すれば成功をつかめるかもしれないという「アメリカン・ドリーム」は今日でも根強く生きている。努力して運に恵まれれば、自分もあるいは富裕層の一角に入れるかも知れないという夢を生んできた。批判はあっても、「格差があるのは当たり前」と受け止めてきた。格差の存在をさほど気にしない国民性なのだ。時にはそれが自己努力につながるインセンティブとなってきた。これに対して、ヨーロッパ諸国では格差が生まれる源泉や分配のプロセスに多くの人が関心を寄せてきた。

  アメリカでは1995年以降の生産性上昇、そしてその間に停滞はあったが、2000年以降の経済成長は社会内部に進行する格差を覆い隠してきた。しかし、21世紀に入って生産性は再び伸びているが、所得税控除後の平均的な所得を見ると、上位層の伸びは顕著だが、労働者の多くが含まれる中位層・下位層の伸びは1%以下で停滞している。それまでの5年間は6%以上の伸びを記録していた。

ワーキング・プアの増加
  90年代から新しい世紀にかけて、中位層がかなり圧迫を受けて分極化していることが指摘されている。「ワーキング・プア」と呼ばれる最下層はこれ以上窮迫することはないほど貧困化が進む対極で、上位層の所得は天井知らずで伸びている。その間の中間層は分裂しつつある。「中流階級の終焉」ともいわれる変化が進行している。「富める者はますます富み、貧しき者はさらに貧しく」という2極化である。「アメリカン・ドリーム」といっても、そうした未来への希望を多少なりとも抱くことができたのは中流階級以上であった。最下層にとっては、その日を暮らすことに精一杯で、将来への夢など、もともと存在しなかった。

  日本でも「六本木ヒルズ族」の栄耀栄華ぶりはつとに知られるところとなった。彼らの派手な生活ぶりへの羨望と自分もできれば仲間入りしたいという異様なブーム状態は、その後「ホリエモン・村上」事件でやや沈静化したが、消えたわけではない。他方、さまざまな理由で正規雇用の仕事につけない労働者が大幅に増加し、貧困の固定化・拡大が憂慮されている。

  小泉首相はしばしば格差も個人の自由な競争の結果であれば「格差が生まれることは悪いとは思わない」と述べてきた。しかし、人間の能力にはかなりの個人差がある。スタートの条件も同じではない。社会的なセフティ・ネットを十分整備しないで導入される競争は、多数の脱落者を生んでしまう。
    
夢が抱けない社会からの脱却
  日本はまだアメリカほどの事態にまではいたっていないとはいえ、労働市場は顕著に2極化への方向をたどっている。日本にも「夢を子に託す」という形でのジャパニーズ・ドリームが存在したこともある。有名校への進学熱、大企業、官公庁などへの「寄らば大樹の陰」的集中現象はその一面であった。しかし、国民の多くはいまやそうした夢すら抱けなくなっている。少子高齢化、財政破綻、劣化する医療保障などの前に、漠たる不安が募っている。

  このまま進むと、きわめて憂慮すべき状況が予想される。国民の不安感をこれ以上増長することがないよう、下層部分の下支えを強化するために不安定雇用の減少、最低賃金制度、社会保障制度の見直しなどを含める強力な政策導入が待ったなしのところへ来ている。新政権は国民の不安を解消し、将来に言葉の上だけでない夢と希望を与えることに最大限の努力をすべきだろう。
  

Reference
"The rich, the poor and the growing gap between them." The Economist. June 17th 2006.

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