アントワーヌ・ル・ナン 『3人の楽師』(部分)
Antoine Le Nain, Three Young Musicians (detail)
Pierre Rosenberg, France in the Golden Age
Seventeenth-Century French Paintings
in American Collections (cover)
日本で開催される美術展も年々数が増え、充実した展示が多くなったことは喜ばしい。しかし、中には企画力が貧しく、一般受けする目玉作品を入れて、集客数確保だけが主目的であるような商業主義的な催しも依然多い。満員電車のような混雑の中で、作品を見せられても感動は湧かない。企画・内容が充実していて、結果として集客数が多かったという美術展は好感度が高く、望ましい。小規模でもよく準備された珠玉のような展示に出会うと、救われた感じがする。
美術展の歴史は古く、しばしば美術館の歴史とリンクしている。美術展と併せて、管理人が楽しみにしているのは、刊行されるカタログ(目録)だ。よく準備され、内容のあるカタログは、混雑した会場ではなかなか読み取れない来歴、説明などを補てんしてくれて、展覧会の滋味をゆっくりと味あわせてくれる。加えて、カタログ、とりわけ学術的内容を備えたカタログは、作品研究の最先端を知るうえで大変重要な意味を持っている。しかし、カタログについての考えは、美術館主催者(コミッショナー)、学芸員の水準などによって大きく異なる。ちなみにフランスにおける美術展カタログの草分けは、1673年のパリ・サロンのlivretsとされる。もちろん、内容は当時の時代環境におけるものであり、今日のカタログにとって直接的な意味での嚆矢というわけではない(Rosenberg、1984)。
偶然、こうした問題をめぐるひとつの論文に出会った。前ルーヴル美術館長ピエール・ロザンベールPierre Resenbergが、1984年にニューヨークのメトロポリタン美術館のジャーナル*に寄稿したものだ。その内容は2年前の1982年にアメリカ各地およびフランス(パリ、グラン・パレ)で開催された『アメリカのコレクションにおける17世紀フランス絵画』"La Peinture francaise du XVIIe siecle dans les collections americaine”*1と題した美術展のいわば補遺として寄せたものだ。ちなみに、この美術展はそれまでしばしば軽視され、十分に整理されていなかったアメリカに流出した17世紀フランス絵画のほぼ全容を明らかにし、多くの人々に提示するという意味で、大変意義あるものであった。
この美術展が開催されるまでは、アメリカにある17世紀フランス絵画はヨーロッパにある作品と比較すれば、その多くは画家の最重要作品ではないとさえ考えられてきたふしがあった。これには、自国の画家の作品をアメリカに流出させてしまったという悔しさのような感情もあったようだ。しかし、冷静に調査をしてみると、当該画家の最重要な作品もヨーロッパを離れていたことが判明してきた。たとえば、レンブラント、ラ・トゥール、フェルメールなどの作品を考えてみれば、すぐに分かることである。ラ・トゥール、フェルメールについてみれば、ほとんど半数近い作品がアメリカの美術館あるいは個人の所蔵するものになっている。特別な企画展などの場合でないかぎり、アメリカとヨーロッパの美術館の双方を訪れないと、作品を見ることができない場合もある。ロザンベール氏の著作のひとつの表題にあるように、まさに「アメリカにしかない」 Only in America フランス絵画の名品も多い。
ロザンベール氏の論文の標題は『黄金時代のフランス:ひとつの追記』となっているが、あのジョルジュ・ド・ラ・トゥールの研究史で有名なシャルル・ステルランCharles Sterling が ポウル・ジャモ Paul Jamot と共に企画した『17世紀フランスの現実の画家たち』、”Les Peintres de La realite en France au XVIIe siecle"*2という大変著名な美術展を回顧して寄稿したものだ。とりわけ、この記念すべき美術展のカタログの大部分を制作したステルランに捧げられている。この美術展については、本ブログに経緯を記したこともある。時は1934年、場所はパリ、オランジェリー美術館であった。この美術展の際に刊行されたカタログは、現代的な観点からして最初の学術的作品と評される出来栄えとされる。解説部分はほとんどステルランが書き、出展作品のほとんどすべてが収録されている。
ORAMGERIE, 1934:
LES "PEINTRES DE LA REALITE"
1934年オランジェリーで開催された展覧会
『現実の画家たち』を、当時と同じ形で再現
する試みが2006年11月ー2007年3月に、同じ
オランジェリーで開催された時のカタログ表紙
展覧会の歴史の長さと比較すると、展覧会のカタログはきわめて歴史が浅いといわれている。当初のころは単に出展作品の基本的属性だけを記したパンフレットのようなものが多かった。しかし、今日では美術に関心の深い人にとって、カタログを読むのは大変楽しみなことだ。とりわけ、小規模でも良く企画された展覧会に出会うと期待は高まる。カタログもよくできていることが多いからだ。
カタログは展示されている画家の作品や経歴、そしてしばしばその最先端の研究状況を知らせてくれる。カタログの中には、単に海外の展覧会のカタログの該当部分を翻訳、転載したようなものも多いが、主催者側が力を入れて、新しい研究成果などを掲載しているものに出会うと大変うれしい。日本で開催される展覧会の場合、主催者側に展示される制作者や作品の研究者が加わっていると、当然ながら内容も充実していることが多い。
さて、ルーヴル美術館長をつとめたロザンベール氏が”黄金時代のフランス絵画”*3を、いかなる内容をもって構想していたかは、きわめて興味深いテーマだ。大変壮大なテーマでもある。ちなみに、この時の英語版カタログは397ページもある立派なものだ。
興味を抱かれる読者は下記の参考文献を読んでいただきたいのだが、師走で皆さんお忙しい折(?)、次回にその輪郭だけをご紹介することにしよう。フランスに傾きすぎ?の日本では、必ずしも知られていない話なのでご期待を。それにしても、大層なブログ・タイトルですね(笑)。
*1 'France in the Golden Age' Paris, Grand Palais, Jan. 29-Apr. 26, 1982; New York, MMA, May 26-Aug 22, 1982: Chicago, Art Institute, Sept.18-Nov.28, 1982.
Pierre Rosenberg, France in the Golden Age: Seventeenth-Century French Paintings in American Collections, The Metropolitan Museum of Art, New York, 1982. pp.397
French title of the exhibition, "La Peinture francaise du XVIIe siecle dans les collection americaines."
*2 Pierre Resenberg, "France in the Golden Age: A Postscript."Metropolitan Museum Journal 17, 1984.
*3 より正確にはロザンベール氏が述べているように、主としてアメリカにあるコレクションから見た黄金時代のフランス絵画、ということになる。展覧会はパリとニューヨーク、シカゴなどのアメリカの都市で開催された。当然ながら、パリの展示はアメリカでの内容とは異なったものとなった。