ニコラ・トゥルニエ 『リュートが弾かれる晩餐』
Nicholas Tournier (1590-1639), Banquet Scene with Lute Player, 120.5 x 165.5 cm, The St. Louis Art Museum
アメリカに移った17世紀フランス絵画の詳細を明らかにすることは、想像以上に大変なプロジェクトだ。広大なアメリカのどこにいかなる作品が所蔵されているかを探索し、確認することは、プロジェクトを構想、企画し、実施する人ばかりでなく、作品の所有者にも多大な負担を強いることになる。各地に所蔵されている有名、無名の画家の作品を見つけ出し、来歴その他を確認し、整理する。17世紀という時代や画壇についての深い知識も必要になる。美術史家や学芸員の力量が問われる。当然、多くの議論も生まれる。だが、この時代やそこに生きた画家の全容を知るには、欠かせない作業であることは間違いない。
ちょうど30年前の1982年、アメリカ、フランス両国で開催された特別展は、その主要部分を掌握しようとした最初のプロジェクトだった。しかし、実際にはアメリカに多い個人蔵の作品にまつわる問題、作品来歴の確認ができていない作品など難題は多く、実際にアメリカにどれだけ持ち込まれたかがすべて解明しきれたわけではない。それでも、この領域・主題に関心を抱く人々にとっては、きわめて貴重な資料だ。
膨大な作業を背景にした上で、アメリカでは多くの作品の中から、選び出された124点の作品が展示されたが、パリ、グラン・パレの展示は、当然アメリカでの展示内容とは異なるものだった。アメリカからフランスへお里帰りして展示された作品もあったが、すべてではなかった。パリでは、スタイル(カラヴァッジズム、パリジャン、アティシズム)、地方(プロヴァンス、ロレーヌ)などの区分で特別なパネルも設置された。
カラヴァッジョの影響
17世紀、ほぼ100年間に生み出された作品を、整理することは至難なことだが、口火を切ったのは、やはりカラヴァッジョの影響だった。カタログの構成もカラヴァッジョに影響を受けたフランス画家の作品から出発している。
イタリアで1609年にアンニバーレ カラッチが、1610年にカラヴァッジョが世を去ると、ローマは以前よりもヨーロッパ絵画世界の中心となった。この時期のフランスは経済的困難と政治的騒動の最中にあったとされた。しかし、その実態の評価は、かなり過大に誇張されていたところもあった。風評なども重なった結果として、フランスでは1590年から1600年生まれの世代の画家や建築家のかなり多数が、修業や遍歴のためにローマを目指した。そして、ほとんど例外なくできるならばローマに住むことを望んだ。
ローマでは若い美術家たちは、一様にラファエルとミケランジェロを学んだ。しかし、それ以上に彼らが新しさを感じて時代のモデルと考えたのは、カラッチとカラヴァッジョだった。この時期、とりわけ最初にローマへ来た画家たちが衝撃を得たのは、カラヴァッジョだった。ルネッサンス期の師匠たちの画風とはまったく異なり、しばしば残酷に、聖人たちの姿を描き、人間の生活をリアルに描いていたことに驚愕し、新たな魅力を感じた。カラヴァッジョは、長い間遠く離れていた聖書の世界を人間化し、普通の人間の尊厳を描いてみせたのだ。
カラヴァジョには、イタリア、フランスなど、ほとんどの画家が影響を受けたが、ここで話題としているフランスとの関係では、ヴーエ、ヴァランタン、ヴィニョン、トゥルニエなどが挙げられている。しかし、一部の力量ある優れた画家だけがこのアプローチを把握し、彼らの構想に採用することができた。いずれにせよ、1610-1620年頃にローマに住んだフランスの画家たちで、カラヴァッジョという希代な天才画家の魅力に逆らえるものはいなかった。
カラヴァジェスキに流れる「フランス的」なもの
議論があるところだが、カラヴァジェスキの国際的な流れの中に、イタリアのカラヴァジェスキとは異なる「フランス的」なものがあることをローザンベールは指摘している。それらは、抑制、悲嘆、悲しさ、エレガンスへの愛などである。それは継承され、たとえば、ヴァランタンのメランコリックなイメージは、後にル・ナン兄弟の作品に再現される。
上掲の作品はフランス生まれの画家トゥルニエによるとされるが、この画家は1619-26年頃、ローマへ行っている。ヴァランタン・ド・ブーローニュに師事したのではないかと推定されている。実際、一時この作品はヴァランタンの作品と考えられていた。マンフレディにも近い画風だが、カラヴァッジョのような激しさやドラマ性はほとんど感じられない。
フランス・カラヴァジェスキの流れに位置する画家で、最も著名なのはヴァランタンだが、フランスへ戻ることなく、ローマで死去した。他の画家たちは、画業を修業するとフランスへ戻った。ヴーエとヴィニョンはパリで成功した。パリはカラヴァジェスクの流れに大きな影響を受けなかった唯一の所だった。
上記のトゥルニエの作品を見ていると、そこにカラヴァッジョの激しさはない。むしろ落ち着いたヴァランタンの影響、そしてラ・トゥールの『いかさま師』などの構図にもつながる脈流のようなものが感じられる。時代を支配する画風がいかなる経路を経て、伝達・継承されるかというテーマは、きわめて興味深い。
新年に続く