ラ・イール,ローラン 『舞台の一幕』
La HYRE, Laurent de (1616 Paris-1656 Paris)Cyrus Announcing to Araspas that Panthea Has Obtained His Pardon
1631-34
Oil on canvas, 142 x 102 cm
Art Institute, Chicago Institute of Art
「17世紀フランス美術の研究だったら、アメリカにも行かねば!」というと、友人のフランス文学・美術の研究者は一瞬いぶかしげな表情をした。アマチュアの私がなにを言い出したのかという反応だった。アメリカなんて! フランスに行けばすべて分かると思っている専門家?を一寸からかったまでだが、かなり本気の話でもある。
このブログを読んでくださっている方は、その意味がおわかりでしょう。グローバル化が進んだ最近では、有名画家の貴重な作品でも、空を飛んで別の国の展覧会に出展されること多くなり、日本にいてもかなりの作品は真作を見ることができるようになった。それでも方針として作品の館外貸し出しをしない美術館、個人収集家などもあり、現地の美術館などを歴訪しないと、作品が見られないという事情は依然として存在する。たとえば、40点余りしか真作が存在しないジョルジュ・ド・ラ・トゥールの場合、3分の1を越える作品はアメリカにある。しかもそのいくつかは、館外貸し出しが行われていない。どうしても見たければ、アメリカに行かねばならない。実際に、管理人がラ・トゥールの作品に最初に出会ったのは、アメリカ、メトロポリタン美術館であった。事情はフェルメールなどについても同様だ。
この点を認識し、アメリカにあるフランス絵画の実態を確認したいと考えたピエール・ローザンベール氏(前ルーヴル美術館長)の構想は、さすがだった。同氏が1982年『黄金時代のフランス』展を企画するに際して、挙げている理由は次の通りだ。
第一は、アメリカに移った17世紀フランス美術の傑作あるいはそれほどでない作品でも、フランス国内にないがために、ともすれば当該画家の作品であることが忘れ去られてしまう。アメリカにある、そうした可能性がある作品を見出し、確認する。
第二に、17世紀フランスが初めてヨーロッパに最初の政治・経済大国として台頭した時代におけるフランスの美術作品を客観的な視点から見つけ出し、多くの人の目の前に提供する。
第三に、アメリカの美術館が保有する17世紀フランス絵画の所在を確認する、いわば棚卸しという美術愛好家にとって夢のような仕事を実施することである。
こうした考えに立って、実際に作品の探索、確認をするとなると、いくつか難問が発生する。そのひとつは、時間軸という枠組み設定が必要になる。どこから、どこまでの画家と作品を視野に入れるかという問題だ。これについて、1982年の展覧会では、出発点は1620-30年代のローマでスタートしたカラヴァジェスクなフランス人画家の作品とすることが設定された。
前回ブログに『黄金時代のフランス』のカタログ目次を掲載しておいたが、ピエール・ローザンベール氏は17世紀フランス絵画の時代を、フランスのカラヴァジェスクな画家たちの作品からスタートしている。ラ・トゥール、プッサンの項がそれに続いている。
最初に、カラヴァッジョの影響を受けた世代で、フランスで活動していた画家たちの作品が紹介されている。カラヴァッジョの影響をどれだけ受けているかは、画家それぞれに異なるが、前回のヴァランタンの場合は、きわめて忠実な追随者に近い。そのほか、トゥルニエ、サラチェーニ、ガイ・フランソワ、ニコラ・レニエ、シモン・ヴーエなど、フランス人にはかなりお馴染みの画家〔日本では少しもお馴染みではないですね)が取り上げられている。
この時代のひとつの特徴は、演劇、文学などとの関連で,制作した画家が多いことである。17世紀のひとつの例として、フランスでの演劇の興隆は、絵画にも多大な影響を及ぼした。たとえば、上に掲げたラ・イールの作品は当時著名であった劇作家トリスタン・レルミット Francois Tristan L'Hermite(1601-1655) の悲劇『パンセア』Pantheaの一場面を描いたものである。 ラ・イールは文学、演劇を絵画につなぐことに熱心であったようだ。この作品でもオリエンタルな雰囲気で、華やかな色彩の衣装の人物を登場させている。カラヴァッジェスキに特有のキアロスクーロ〔明暗法)のイメージは浮かんでこない。リアリティよりもイマジネーションに頼る一種の詩的逃避ともいえるが、こうした創造的な試みは、カラヴァッジョの影響を超えて、新たな時代へ繫がって行く。フランスの動向は直ちにロレーヌなどにも届いていた。
(続く)