時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

回想のエル・グレコ

2013年02月09日 | 絵のある部屋

 




エル・グレコ『聖アンナのいる聖家族』油彩、カンヴァス 127x106cm、トレード、タベーラ施療院
El Greco, The Holy Family with Saint Anne
ca. 1590-95
oil on canvas, 127x106cm
Fundacion Casa Ducal de Medinaceli
Hospital de Tavera, Toledo, Spain


 

 小春日和のある日、ふと思い立って、『エル・グレコ』展(東京都立美術館)に出かける。きっかけになったのは、仕事部屋の片隅に置かれたこの小さな絵だった。かつてスペインを旅した折に、なんとなく買い求めたものだ。考えてみると、40年近く私の背中を見ていたことになる。聖母マリアの視線は気になっていた。心中、彼女はなにを考えていたのだろうか。幼子イエスへの思いを、画家は考え抜いて描いたはずだ。この作品がエル・グレコの手になることに、ほとんど疑いの余地はない。

  しかし、同時に出展されていた『白貂の毛皮をまとう貴婦人』(下掲)
の制作者は本当にエル・グレコだろうか。管理人は、前から疑問を持っていたが、最近では、異議が差し挟まれているようだ。改めて、実際の作品を見ても、エル・グレコの他の作品とあまりに違いすぎる。しかし、グレコでないにしても地中海沿岸の画家のようだ。こちらは、今の社会でもどこかにいるかもしれないリアリスティックな美人である。

 厳しい経済停滞に苦しむ昨今のスペインだが、あの抜けるような青空と爽やかな空気は、変わることなくあるに違いない。白貂の毛皮をまとう貴婦人は見つからないにしても。

A Lady in a Fur Wrap
1577-80
Oil on canvas, 62 x 59 cm
Kelvingrove Art Gallery and Museum, Glasgow


  このところ、
人々の背中越しに作品を見るような展覧会が多かったので、混み具合は気になっていた。ところが、拍子抜けしたくらいの人数で、楽に鑑賞することができた。日本でのエル・グレコの知名度が低いからだろうか。

 作品はこれまで人生のどこかで見たようなおなじみのものが多かったが、初めて見た作品も少なくなかった。なにしろ、この画家はギリシャ(クレタ島の都カンディア)からイタリア(ヴェネツィア、ローマ)そしてスペイン(トレード)へと遍歴の人生を送った上に、作品の数がきわめて多い。ご多分にもれず、真贋論争も激しい。エル・グレコの73年にわたる生涯も、この画家らしい、波乱に富んだものであった。とりわけ、38年間にわたったトレードの画業生活は、きわめて興味深い。名声に支えられ、華やかな生活を過ごしたが、晩年は多額の負債も抱えて内情は楽ではなかったようだ。作品の評価・報酬をめぐる係争も多かった。今この時代に、その実態を見直してみることはきわめて興味深い。

 トレードのビリューナ公爵の邸宅内に設けられた一大工房の実態も、大規模な美術作品制作のあり方として、深く探索してみたいテーマだ。労働の研究者のひとりとして、次々と興味をかき立てられた。美術史家が、もう少しがんばって探求してくれないだろうかと無理な注文も思い浮かぶ。

 今回の展示には、以前にとりあげたことのある作品、『蝋燭の火を吹く少年』(ナポリ、カポティモンテ美術館蔵)と同一主題で制作された、もう一点が出品されていた。ほぼ同じ時期の作品である。ナポリの方がわずかに古いらしい。比較してみると、カポティモンテ所蔵の作品より、陰影も深く厳しい。タッチも粗い。画家はさまざまな効果を試したのだろう。個人的にはカポティモンティ版の方が好みではある。



『燃え木で蝋燭を灯す少年』

Boy Blowing a Firebrand, ca.1571-72, oil on canvas, 60x49cm, Colomer Collection

 この作品、1928年以来、ニューヨークのペイソン家のコレクションにあり、2007年のオークションを経て、現所有者の所蔵となった。以前に記したように、これもヨーロッパ大陸から新大陸アメリカへ渡った作品であった。

 エル・グレコのほとんどの作品は、宗教画や肖像画が多く、少し見慣れてくると、すぐに分かるほどの特異な画風である。宗教画でも陰鬱なところがなく、ギリシャ、イタリア、スペインという地中海の風が感じられる。鑑賞には古い教会、修道院などの雰囲気が欲しいところだが、さわやかな印象で美術館を出た。

 

コメント (2)
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