このブログで紹介したことのある、ティモシー・ブルック著『フェルメールの帽子』 *1も最近、邦訳が出版された。原著が刊行(2007年)されてからかなり時間は経過しているが、幸い好評なようだ。巧みなタイトルにつられて、フェルメールの作品についての著作と思った人もいるかもしれない。しかし、フェルメールの作品は表紙を除くと、ほとんど登場することはなく、拍子抜けした読者もおられよう。この著作のユニークな点は、時間軸を17世紀のフェルメール(1632-1675)の時代にほぼ固定しながら、同時代の空間、言い換えると、世界の他の地域へ視野を広げて、当時アメリカ新大陸、中国などを含めて展開したグローバル化の諸相を描いてみせたことにある。
こうした同時代史的試みは、すでにいくつか公刊されてきたが*2、本書はフェルメールという良く知られた画家が描いた一枚の絵が発端になっている。すなわち画家が描いた、当時のオランダの若い女性と対面して話をしている若い兵士が、得意げに被っている帽子の由来から、話が始まる。ストーリー・テリングの巧みさが斬新だ。フェルメールの絵画自体は、当時のいわゆる風俗画ジャンルの作品で、美しく描かれてはいるが、それ以上ではない。しかし、そこに描きこまれた事物から別の物語が紡ぎだされる。
ラ・トゥールの謎解きの論理
このような同時代における「地域(空間)」の持つ文化的差異は、そこで活動する画家たちの活動にも大きな影響を及ぼす。この時代、ローマはヨーロッパ世界のひとつの中心であった。多くの人たちが行ってみたいと憧憬の念を抱いていた。
フェルメールとほぼ同時代の画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥールにとってもイタリアの存在は大きかったことは疑いない。しかし、ヨーロッパのすべての画家がイタリアへ行ったかというと、そういうわけでもなかった。レンブラントもフェルメールもイタリアへは行かなかった。
ただ、ラ・トゥールの作品理解については、イタリアへ修業の旅をしたか否かという問題は、この画家の理解に格別の意味を持つ。しかし、それを裏付ける史料はいまだに見出されたことがなく、謎のままにとどまっている。(管理人は、いくつかの理由からラ・トゥールはイタリアへは行かなかった、仮に修業時代に訪れたとしても、きわめて短期間の旅行であったと考えている。この問題については、一部、ブログに記したので繰り返さない)。
ラ・トゥールは美術史上では、しばしばカラヴァジェスキ(カラヴァッジョの画風の継承者)に分類されることが多い画家である。しかし、カラバッジョ(1571-1610}は、ラ・トゥール(1593-1652)より少し前に世を去っていたし、ラ・トゥールの時期にはすでに伝説的存在になっていた。ラ・トゥールがカラヴァッジョの影響を受けたことは事実だが、ラ・トゥールを無条件でカラヴァジェスキと断定することには、かなり留保をつけたい。それでは、ラ・トゥールはいかなる経路で、カラヴァッジョの影響を感じ取ったのだろう。
ラ・トゥールがカラヴァッジョに会っていないとすれば、次にありそうなことは、どこかでカラヴァジェスキのだれかに会ったり、工房を訪ねたかという点ではないかと考えるのは自然だろう。この点については、すでにブログに概略を記したことがあり、いつもお読みいただいている方はすでにご存じのことだ。
さらに、その次に考えられるのは、ラ・トゥールがカラヴァッジョあるいはカラヴッァジェスキの作品に接する機会があったかという点だろう。この点については、ナンシーに残るカラヴァッジョの作品を初めとして、画家が作品を見た可能性はいくつか考えられる。しかし、残された作品から画風を学び取るということは、間接的な方法であり、工房などで教えを乞うなどの方が直接的で効果が上がることは教育手段としてもはるかに効率的だ。工房など制作現場に自ら密着して学ぶ方法は、いわゆるOJT(On-the-Job-Training) であり、効率も良い。他方、わずかな数のモデルを見て模写などの形で学ぶことは有効ではあるが、学ぶ側に多大な努力が必要だ。これは絵画制作に限ったことではない。
美術の移転・普及
ここで指摘したいのは、ある美術(当面絵画に限定するが)の作風・思想などが、別の画家あるいは作品に伝達、敬称される「普及・拡散・伝播」(diffuese, disperse) あるいは「移動・移転」(migrate, transfer)するという側面である。これについては、画家あるいは作品の地理的移動、移転という次元がクローズアップされる。賢明な読者諸氏は、「移民」migrantsと「美術」artという一見なんの関係もなさそうなトピックスが、同じブログで扱われている意味に気づかれたと思う。
この問題について別の例をあげてみよう。管理人がかつて何度か訪れたシカゴ美術館 The Art Institute of Chicago について考えてみた。20世紀前半、この都市は全米で移民が多数押し寄せる地域のひとつとして知られていた。 ヨーロッパ、中南米、アジアなど世界各地からの移民が集まった。シカゴ市民の出身国別分布地図を見ると、驚くほど多様な分布をしていることが分かる。
移民の中には当然、画家、彫刻家、音楽家など芸術家も含まれていた。移民の時期による違い、同化と離反、統合、分散などによって、多様な変化が生まれた。その混然とした状況の中から、彼らが新天地へ持ち寄った文化が、絵画、彫刻、音楽などの形態で、相互作用を発揮し、複雑多岐でありながら不思議な一体感につながる作品を創造した。シカゴ美術館はそのひとつの象徴的な存在だ。この美術館が所蔵する作品に接すると、この地へもたらされた多様な美術的作品あるいはこの地へ移住した画家によって制作された作品が混然一体となった過程、状況を体験しうる。
美術の伝播の流れ、仕組みも17世紀と現代では大きく変化した。日本人の好きなフェルメールにしても、現代では、17世紀に画家が生まれ育ったオランダあるいはヨーロッパだけに現存する作品の視野を限定していたのでは、その全容を知ることはできない。作品の多くがアメリカに所蔵地点が移っていることもひとつの理由だ。これは、レンブラントやラ・トゥールにしても、アメリカや他国の美術館や所蔵者の協力がなければ、作品の大多数を見ることはできない状況にあることを意味している。特別企画展などで、世界中から集められた、作品を同一の展示場で見られる場合もあるが、貸出自体を認めない美術館などもある。そのため、作品に直接対面するという機会は、所蔵される現地まで赴かねばならないという状況が生まれている。
新しい枠組みへの期待
このような美術家あるいは作品自体の世界的な移動も背景にあって、最近では「芸術地理学」あるいは「美術の経済学」というような新たな分析枠組みの提示も行われるようになった。たとえば、「芸術地理学」 Geography of Art では、時間軸とクロスする「場所」の特異性や地域の性格を重要視する新たな専門領域の提案がある。たとえば、Kaufman *3の提案はその嚆矢かもしれない。現在の段階では、理論的枠組みがいまひとつ未整理な感じはする。しかし、その方向は、このブログで考えてきた「時間軸」と「空間」という次元と重なってくる。蛇足だが、「移民」や「外国人労働者」の移動 migration については、欧米の大学ではしばしば地理学部で教育や研究が行われている。
17世紀イタリアの画家カラバッジョ(1571ー1610)にしても、日本で最初に本格的な展覧会が行われたのは、2001年東京都庭園美術館で開催されたものであった。しかし、当時はカラヴァッジョの名前を知る人の数は、今と比べてきわめて少なかった。画家の名声と比較して、出展された作品で真作と帰属されたものはきわめて少なかったと記憶している。その後、この画家への関心度は、世界的に高まり、各地で次々と展覧会が企画され、出版物なども対応にとまどうほどの数に上っている。その一因には、「国際カラバジェスク研究」ともいわれる潮流が形成されていることもある。カラバッジョに強い影響を受けたカラヴァジェスキと称される画家と作品についての包括的研究が始まった。そうした画家たちの活動は、カラヴァッジョが生まれ、活動したイタリアという地域の範囲をはるかに越えて、世界的な影響を及ぼしている。これは画家の創造した画風やそこに込められた思想への共鳴が、人や作品を介して、当初の狭い地域を越えて世界に広まったことによる。
こうしたことを考えながら、作品を見ていると、「美術の移動・移転」 という、これまであまり正面から捉えられなかった新しい次元が見えてくる。作品自体の地理的移動に加えて、芸術家を含むヒトの移動 migration とともに、かれらが携えてくる創造性や芸術観、そして成果物たる作品が、移動によって新しい地にもたらす側面にもう少し光が当てられてもよいと思う。記すべきことはあまりに多いが、いうまでもなく、ブログなどで展開できることは限られており、詳細は別のメディアに委ねたい。
Thomas DaCosta Kaufmann, Toward a GEOGRAPHY of Art, Chicago: University of Chicago Press, 2004 (cover)
*1 たとえば、ジャック・アタリ(斉藤広信訳)『1492 西欧文明の世界支配』ちくま学芸文庫、2009年
*2 ティモシー・ブルック(本野英一訳)『フェルメールの帽子』岩波書店、2014年
References
*3
Thomas DaCosta Kaufmann. Toward a Geography of Art. Chicago and London: University of Chicago Press, 2004.
小谷訓子 書評 越境する美術史:芸術地理学に向けたトーマス・ダコスタ・カウフマンの一石『西洋美術研究』No.14、2008年