今日、2015年10月21日は、1989年に公開されたアメリカのSF映画『バック・トゥー・ザ・フューチャー』で、タイムマシンのベースカーDMC-12(通称「デロリアン」)が、1985年から30年後の2015年にタイムスリップして戻ってくる日に当たるということで、話題を呼んでいるようだ。実は、この車の車名「デロリアン」は実在の車だった。このデロリアン社のことは、かなり以前に別の背景から、このブログでも短く記したことがあった。
ゼネラル・モーターズの副社長であったジョン・ザッカリー・デロリアンが理想の車を作るために若くして得たGMの職を辞し、独立して1975年10月24日に設立した企業の名前が「デロリアン・モーター・カンパニー」(DMC)であった。本社はアメリカ、ミシガン州デトロイト、工場はイギリス、北アイルランドのベルファスト郊外にあった。自動車産業、とりわけ「ビッグ・スリー」の名がいまだ輝いていた時代の歴史は、想像を上回るドラマティックなものだった。このデロリアン自身の生活、そして人生も破天荒なものだった。
1981年に製造され販売が開始されたこのスポーティな車「デロリアン」は、鳥の翼のように開くガルウイング( gull-wings かもめの翼)ドアなど、斬新なデザインで当初話題を呼んだが、高額と大量キャンセルなどで、翌年には売り上げ不振で、経営困難に陥ってしまった。さらに、北アイルランドへの工場誘致の条件として提供されたイギリス政府からの補助金を、社長ジョン・デロリアンが私的に流用していたことも、後日判明した。さらに1982年10月に社長のジョン・デロリアンが空港でコカイン所持容疑で逮捕されるなどのスキャンダルによって、会社は資金繰りができず、年末には倒産してしまった。デロリアンは後に裁判を経て無罪釈放されたが、斬新な車作りをするという夢を果たすことなく、2005年3月に亡くなった。当時としては、大変なイノヴェーターであったが、かもめは羽ばたけなかった。
それにしても、30年という年月は、なんと短いものかと感じられる。デロリアンは、自らの名がついたこのスポーティな車は、適度な大きさの車体サイズで、耐久性があり、燃費効率が良く、しかも安全性が高いものでなければならないとした。当時のアメリカの自動車産業が不承不承認めつつあった考えだった。OPEC成立後の世界が求めるイメージでもあった。デロリアンはそれを ”ethical sports car” という名で呼んだ。安全性、環境対応など時代の要請に応える車という意味なのだろう。しかし、現実に作られた車は社会に受け入れられなかった。
最近のVW事件などを見ていると、人類社会は映画の世界と異なり、果たして前へ進んでいるのかと思ってしまう。