アドルフ・ヴァレット
マンチェスター、アルバート広場
リスク社会に生きる心構え
この世界を律しているなにかが狂っているのではないか。そう考える人はかなり多いようだ。書店の新刊書のコーナーを眺めると、センセーショナルな表題がかなり目立つようになった。いつから、どのくらい増えたかという問に答えることは難しい。しかし、日々メディアなどで目にする事件の類を見る限り、明らかに人間の正常な感覚が失われていると思うような出来事は枚挙にいとまがない。
北朝鮮の水素爆弾実験、続いての長距離弾道ミサイル発射など、およそ正気の沙汰ではないが、どの国も阻止することができない。放置してきた時間の経過と共に、将来のリスクは確実に大きくなっている。
天災、人災の如何を問わず、21世紀に入った頃から、それまでとは明らかに異なった出来事が次々と起きている。これについて指摘する論者や研究もある。しかし、地球上の人間は連続した時間軸の上で生きているから、いつからリスクが増加しているかを客観的に語ることはかなり難しい。
明日のことは一切闇といってしまえば、もとより話は終わりとなる。しかし、今の時代、世界に起きるリスク現象には、因果の経路を見出すことが出来て、ある程度の予想が可能な場合もある。多くの場合、複雑系というべき多変数が介在し、発生の経路も入り組んでいる。
昨年初めに亡くなったドイツの社会学者ウルリッヒ・ベック(Ulrich Beck、1944 - 2015年)は、今の世界を「世界リスク社会」と名付け、富の生産を追求した近代化や市場経済の成果が、原発事故や環境汚染などのリスクを生みだすと指摘した。また、それに対応した新たな政治の必要性を訴えた。ベックが言うように、多くのリスクは今や世界規模になり、予測することも発生した被害の補償も困難さを増している。
ひとつの例はテロリズムである。21世紀は平和な世界になることが期待されたが、その期待は直ちに裏切られた。2001年9月14日、アメリカに同時多発テロが勃発し、世界が不安を抱えたスタートとなった。その後、同年10月のアフガニスタンで戦争勃発に始まり、モスクワ劇場占拠事件、マドリッドでの列車爆破事件、ロンドン同時多発テロ、2008年チベット騒乱、ムンバイでの同時多発テロ、2011年オサマ・ビン・ラディン殺害、2014年イスラーム過激派組織ISの活動f活発化、2015年から新年にかけては、パリ、バクダッド、ジャカルタ、パキスタンなどで一連の戦争やテロ事件が次々と起きた。これらの場合、首謀者の犯行声明などで、アルカイーダなどイスラーム系過激派組織の関与がほぼ明白になっている場合もある。根源や発生経路が分かれば、根絶は期待できなくとも、重大なテロの発生を減少させる方策は設定可能かもしれない。
困難を極める戦争の根絶
天災、人災数多いリスクの中で最悪のものはテロリズムや戦争である。戦争の定義にもよるが、世界で戦火が途絶えた年はきわめて少ない。その脅威は低減するどころか、増幅してきた。すでに4半世紀が過ぎた21世紀だが、アフガニスタン、シリアなどで戦争が続く傍ら、2016年の年頭には北朝鮮が水素爆弾の実験を誇示する動きがあり、中東ではサウジアラビアとイランの間で国交が断絶し、緊張が一段と高まっている。
戦争あるいはテロリズムという愚かで恐るべき災厄を地球上から消滅させることができるだろうか。20世紀は「戦争の世紀」であったが、21世紀に入っても一触即発の危機が頻発している。時には大国の利害で戦争が作り出される。アメリカ、EU、ロシアなど、失った覇権の回復や拡大を狙う国や地域が、シリアのような自己解決能力を失った国の内戦にそれぞれの思惑で加担し、難民を始めとして多くの犠牲者を生む。さらに、中国、北朝鮮のように軍事力を誇示することで内政の失敗や破綻を糊塗しようとする国もある。政治的に仮想敵が作り出され、危険なナショナリズムが扇動される。
テロリズム(非対称脅威ともいわれる)も、特定の宗教や少数民族に対する偏見、差別が生みだすことが多い。互いに相手を誹謗、攻撃し、理性的対話が不可能となる状況が作り出される。IS(Islamic State)のように資金的にも潤沢であり、自爆攻撃という破滅的、過激的思想の集団に対しては、爆撃などの武力的な鎮圧では根絶は難しく、長期にわたる脅威となる。
どの加盟国にリスクが集中発生しているが、今後地域的拡大も予想しうる。たとえば、朝鮮半島、南沙諸島など日本を含む東アジアにおいても紛争が発生、拡大する可能性は高まっている。東アジアは、これまで朝鮮戦争(1950-1953年)以降は、局地的紛争で抑え込み、本格的戦争の脅威をなんとか回避してきた。結果として、幸い破滅的事態を経験することない空白地帯となっている。しかし、今後この地域での紛争リスクは高まると考えるべきだろう。 北朝鮮、中国などの軍事力拡大が、局地的事件などから一触即発の状況を生みだす可能性も考えねばならない。北朝鮮の各軍事力拡大についても、中国が体制の問題までは踏み込めないとする立場を維持する以上、北朝鮮の軍事的脅威が近い将来減少することは考え難い。朝鮮半島、中国などに有事が発生すれば、日本海が「難民の海」と化する可能性がないとはいえない。
検討すべき課題は多いが、少なくも日本が紛争当事者となることは絶対に避けねばならない。中国、アメリカ、ロシアなど覇権の維持、拡大を狙う大国の間に挟まれた日本のような国々は、国家としての戦略設定を誤ると、文字通り国家存亡、取り返しのつかない大事を招くことになる。
政治経済学者J.K.ガルブレイス✳が指摘するように今や「正常な時代は終って」(The End of Normal)しまい、難しい時を迎えている。これまでの一般的な認識からすれば、異常、異変ともいうべき事態が常に起きているような時代になった。戦争の抑止にしても軍事力や法律で、その発生減少させることもできない。
日本では憲法改正だけが主たる議論になっているが、独自の文化的充実に努め、世界の平和維持を主導しうるまったく新たな視点からの国家的戦略設計が必要になっている。
どこまでリスクは回避できるか
リスクの視野を天災まで広げると、2011年3月11日には、東日本大震災による地震と津波による甚大な被害、さらにその一環として東京電力福島第一原子力発電所に重大事故が併発し、次の世代にまで問題を持ち越すことになった。重大な人為的ミスも介在し、地球レベルに影響する災害であった。
天災の発生自体を抑止することは不可能に近いが、これまで人類社会が蓄積してきた人智をつくして、起こりうる災害を極力減らす(減災)努力を続けることが、唯一考えられる道だろう。温暖化、大気汚染防止、人口爆発など、地球全体の危機的問題として認識と合意がなされないかぎり、解決はもとより困難である。
9.11や3.11に象徴されるように、現代のリスクがもたらす衝撃は、しばしば想像を絶する。多くのリスクは地球規模で存在し、発生する。 ベックの指摘を待つまでもなく、これからの世代が直面する「世界リスク社会」は、その次元と対応の双方において、従来とはまったく異なった対応が求められる。次世代に生きる人たちは、どう考えているのだろうか。
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James K. Galbraith, The End of Normal: The Great Crisis and the Future of Growth, New York, simon ' Schuster, 2014..
★本記事は、『戦略検討フォーラム』、「フォーラム・テーマ」欄に寄稿した原文を、ブログ向けに加筆したものである。
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