時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

戦火を超えて生き残った誇りうる文化;「黄金のアフガニスタン」展

2016年02月04日 | 午後のティールーム

人物頭部 
前2世紀
粘土(未焼成) 
20.0 x 15.0cm

 

 2006年パリ、ギメ国立東洋美術館で開催されたアフガニスタンの貴重で絢爛たる文化財の特別展が、やっと日本に巡回してきた。人々は壮大なバーミヤンの大仏が無残にもタリバンの手によって爆破される光景を目の当たりにした。カブールのアフガニスタン国立博物館博物館に所蔵されていた多数の美術品は、博物館の破壊と簒奪によって、すべて失われたと思っていた。この国立博物館には、世界に誇る古代バクトリアの貴重な遺物が所蔵されていた。しかし、一時期、これらの遺物も偶像破壊主義者たちなどの行為などで滅失してしまったと考えられていた。2001年の3月に、バーミヤンの38mと35mの大仏が破壊されたイメージを記憶されている方もおられるでしょう。
 
 しかし、すさまじい戦火の中で、勇気ある博物館員の献身的な努力で、カブールの中央銀行の地下倉庫などに移転され、安全に保蔵されていたことが判明する。もちろん、戦火や破壊行為で失われた遺産は計り知れないものだったが、東西文明交流の華麗な輝きの精髄ともいううべき遺産が密かに保護され、収蔵されていたことが分かった。そして、それらはアフガニスタンが誇る素晴らしい文化財であった。
 
世界に知られるアフガンの輝き
 アフガニスタン政府はこれら戦火を逃れた貴重な文化財を通し、誇りある同国の文化を巡回展という形で世界に発信することを決定した。その最初の展示が、このブログでも一端を紹介しているフランスのギメ国立東洋美術館美術館で2006年に開催された。

それらを目のあたりにしたときは、自分の人生でも数少ない感動の時でもあった。フランス人をはじめとする人々のアフガン文化に対する尊敬の念が広がっていた。
 
当時の美術館員の話では、東西文明の融合・交流の象徴でもあり、日本には早い時期に巡回されると聞かされていた。しかし、思いの外に時間がかかり、このたびやっと九州国立博物館、東京国立博物館(表慶館)で展示が行われることになった。ギメ国立東洋美術館美術館の展示の時は、イエナ広場を取り囲むように並んだ見学者の人々の数、展示スペースがやや窮屈で混雑していたこともあり、日本の広く明るい博物館でもう一度見たいという思いが絶えることなく今日まで続いていた。ギメ東洋美術館の展示以来、日本開催まで、どうしてこんなに長い年月を要したのかという思いがした。今回の展示品の中には、奈良県藤ノ木古墳出土の金銅製冠ときわめて類似し、ユーラシア大陸から日本におよぶ東西交流の歴史を素晴らしい作品も展示されている。
 
  このたびの九州国立博物館(その後東京国立博物館)でのカタログを読んでいて改めて感動することが多数あった。このカタログは大変良く作られていて、素晴らしい。その中から、一つの文章をお伝えする。
  
 
「自らの文化が生き残り続ける限り、その国は生きながらえる」
 
  "A nation stays alive when it's culture stays alive."
 
  この感動的な言葉は、2002年アフガニスタン紛争がいちおうの終結をみた2002年、廃墟と化した博物館の入り口にこの標語が記された垂れ幕が誇らしげに掲げられていたそうだ(青柳正規、文化庁長官メッセージ「黄金のアフガニスタン」、企画展カタログから引用)。
 
 1997年の軍事クーデター以来、焦土と化した祖国において、絶滅寸前、風前の灯火と化したアフガニスタンの文化、そして国の現状を背景に、アフガニスタンの文化を愛する人たちが記した、実に感銘的な言葉であった。
 
 ともすれば、憲法改正や軍事力充実の議論に、人々の関心が傾いている日本の現実に鑑みると、その国の長い歴史と文化を体現してきた文化財を大切に守り続け、次世代に継承すること、文化こそが軍備をうわまわる大きな秘めた力を持つことを認識し、世界に発信し続けることの重みを強く感じる。
  
日本のでの特別展は、パリのギメ以来、長く待たされてきたことも反映して、展示方法、カタログ、資料などに顕著な充実が感じられる。この素晴らしい人類の宝と輝きを、多くの方が目にされ、その意味を考えられることを強くお勧めしたい。


 
 
 
首飾
1世紀第2四半期
金、琥珀
径1.8cm, 2.0cm, 2.4cm
コメント
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