時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

思いがけない出会い:L.S.ラウリーと英文学名作短篇

2016年02月13日 | 書棚の片隅から

 

 
 ある書店で見るともなしに新刊書の棚を眺めていた時、あっと思う表紙に出会った。なんと、あのL.S.ラウリーの作品が使われていた。日本ではほとんど知られていない画家であるが、このブログではかなり記している。書籍のタイトルよりも先に画家と作品が目に入った。タイトルと翻訳者に目がいったのは、大変失礼ながら、その次になってしまった。この書籍は英米文学者として令名の高い柴田元幸氏の手になる翻訳叢書の2番目である。すでに『アメリカン・マスターピース 古典篇』が刊行されている。

ラウリーの作品が表紙に採用されている新刊書の訳者と書名は次の通りである。


柴田元幸翻訳叢書『ブリティシュ&アイリッシュ・マスターピース』(スイッチ・パブリッシング、2015年

 少し落ち着いて、取り上げられた作者を眺めてみる。ジョナサン・スウィフトに始まり、メアリ・シェリー、チャールズ・ディケンズ、オスカー・ワイルド、W. W. ジェイコブス、ウオルター・デ・ラ・メア、ジョセフ・コンラッド、サキ、ジェームズ・ジョイス、ジョージ・オーウエル、ディラン・トマスの12 人の作品である。作者の名前はほとんど知っていたが、これまでの人生で、読んだことのある作品は3分の一くらいだろうか。オスカー・ワイルドの「しあわせな王子のように、いつの間にか諳んじてしまうほど、何度も読んだ作品も含まれている。ジョナサン・スウィフトの「アイルランド貧民の子が両親や国の重荷となるを防ぎ、公共の益となるためのささやかな提案」など、歳を重ねて次第に著者の真意が分かってきて、もう一度読んでみたいと思う作品も目についた。本書の帯には『「英文学」の名作中の名作』とある。人生残された時間は少ないのだが、やはり読んでみたい。この"ブック・ウイルス"は、子供のころに感染しまったようでもはや除去が困難だ。今回も、考える間もなく手に取り買い求めていた。書店の外のカフェで、早速、読み始めてしまった。
  
 その中のひとつ、チャールズ・ディケンズ「信号手」The Singnalman, 1866を最初に読んでみた。読んだことがない短編であること、ディケンズはかなりのごひいきだからだ。折しも、ドイツ南部で列車の正面衝突事故が報じられ、この作品も鉄道事故が背景にある怪奇小説である。小品なのだが、たちまち引き込まれる。ディケンズはこれまでどちらかというと長篇を好んで読んできたが、この小品もなかなかの名作といえよう。この小説、ディケンズ自身の人生で体験した事件に連なっているようだ。遠い記憶の霧の中に沈んだような情景が、語り手である主人公とある過去を持つ信号手の会話の中から不気味に浮かび上がってくる。結末がなんともいえず衝撃的だ。話は、ある山あいの小さなローカルな単線で、トンネルの入口近くに設置された信号手待機所での出来事だ。信号手の仕事は、列車を安全に運行させるための合図をするという、なにも起こらなければ平凡な日々となる。しかし、事故が起きれば彼の人生を含めて状況は一変する。

信号といえば、アメリカの中西部の無人駅で、列車を止めるために乗客が駅にある大きな旗を振って合図をする(フラッグ・ストップ)経験をしたことも思い出した。この駅は見通しのよい直線に沿ってあったので、視界さえ確保されればなにも問題はなかった。しかし、小説のように、深い山あいの難しい場所では、信号手は長い人生でさまざまな経験をしていることだろう。実際、信号手は事件にまつわる亡霊にとりつかれていた。それが怖ろしい結末にもつながる。

本書に収められた名品を読んでいると、それぞれに記憶の底に沈んでいたエピソードなどが浮かんでくる。これは読書の醍醐味のひとつだ。

  冒頭に記したL.S.ラウリーの作品についても少しだけ記しておこう。本書のカヴァーに使われた作品の来歴 provenance を確認している時、あっと思うことがあった。この作品、L.S. Lowry, Millworkers, 1948, Preston Harris Museum & Art Gallary となっているのだが、ある資料に、Millworkers (工場労働者)ではなく、Mineworkers (鉱山労働者)ではないかとのコメントがあるのに気づいた。作品の制作年、1948年は、イギリスエネルギー史上のエポックである最初の石炭業国有化の直後であり、誰もが石炭産業に注目していた時期だった。

このコメントで、改めて作品を見てみると、確かに描かれているのは、なにかの製造・加工などをしている工場 mill ではない。長年、ペンドルベリー Pendlebury の近くに住んでいた画家は、このあたりは自分の庭のように知っていた。仕事の行き帰るなどにいつも通っていた地域だ。明らかにこの画家が好んで描いていたなにかを製造する工場ではないようだ。この時代のColliery(炭坑およびその関連施設、建屋など) 特有の風景である。縦坑の設備がいわばその目印である。前景の建物は、事務所か選炭場なのだろう。手元の画集などを見ると、作品『ペンドルベリー』 Pendlebury (1936, pencil, 28.2 x 38.1cm)などには、まさにこの炭坑の光景が描かれている。ラウリーが、不動産会社の集金掛として、この近辺を歩いていた当時は、Wheatsheaf (Pendlebury)と呼ばれていた。この画家の作品には、今はもう無くなってしまった産業革命後の遺産のような光景を描いたものが多いから、記録という意味では画題が後年になって意味を持つこともある。

ラウリーは自分の作品に特に画題を記してはいなかった。この作品も画家本人ではなく、誰かが後から画題をつけたのだろう。工場やそこに働く労働者を好んで描いていた、この画家特有の「鉛筆のような人物」に気を取られて、背景を工場と見誤ったのだ。それ自体はたいした問題ではない。炭鉱労働者も工場労働者も、細部に入れば明らかに異なるのだが、L.S.ラウリーの世界においては、さほど重要な違いではない。ただ、現代絵画の鑑賞においても、作品の時代背景、描かれた対象などについての理解をおろそかにできないことを改めて知らされた。それにしても、この画家の作品を表紙に選ばれた装丁者のセンスには改めて敬意を表したい。

 


L.S. Lowry, Millworkers(mineworkers), 1948, Preston Harris Museum ' Art Gallery
コメント
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