時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

カラヴァッジョを超えたか?:ヴァランタン・ド・ブーローニュの世界

2017年06月04日 | 絵のある部屋

Valentin de Boulogne
Saint Jean-Baptiste
toile, 178 x 133
Sainte-Jean-de-Maurience, cathedrale Saint-Jean

 ヴァランタン・ド・ブーローニュ
「洗礼者聖ヨハネ」

 カラヴァッジョの名は知っていても、ヴァランタン・ド・ブーローニュの名を知らない人は多い。昨年秋から今年にかけて、ニューヨークのメトロポリタン美術館で、この画家としてはほとんど初めて、まとまった形で企画展が開催された。そのタイトルは、"Valentin de Boulogne: Beyond Caravgio" 「ヴァランタン・ド・ブーローニュ:カラヴァッジョを超えて」であった。

画家はカラヴァジョとほぼ同時代人として、ローマでで活動してきた。17世紀当時のヨーロッパの画家たちの間ではひとつの流行であったが、ヴァランタンもフランス人として生まれ育った後、ローマの光に引き寄せられ、この文化都市を目指した。そして、その後も帰国することなくローマで生涯を終えた。プッサン、クロード・ロランなども同様であった。

ヴァランタンは当時のローマで話題となっていたカラヴァッジョの作風に惹かれ、後年カラヴァジェスキと呼ばれることになった特徴を駆使して、宗教画、風俗画、肖像画などのジャンルで作品の制作を行った。ヴァランタンはキアロスクーロなどの特徴を自ら消化し、リアリスティックな作品を多数残した。

このブログでも紹介した「合奏」Concert (c.1622-25)は、ヴァランタンの特徴が遺憾なく発揮された作品の一つである。

Valantinn de Boulogne
Concert au bas relief antique
toile 172x214cm
Paris, musee du Louvre

ヴァランタン・ド・ブーローニュ
「古代の浮き彫りのある合奏」

 

ヴァランタンはカラヴァッジョを超えたのだろうか。ヴァランタンの企画展を開催することは、メトロポリタンの西洋絵画部門の責任者キース・クリスティアンセン Keith Christiansen の長年の夢であったことが本人によって語られている。メトロポリタン美術館展は、ヴァティカンの祭壇画からルーヴルが所蔵する作品まで、多岐にわたる展示となった。さすがメトロポリタンと思った企画展だった。

画家の実力
 画家の評価は時代によって浮沈がある。バロックの時代に関心がなければ、カラヴァッジョの追随者のひとりとみられるだけかもしれない。他方、カラヴァッジョのような一見して見る人を驚愕させるような劇場性や鮮烈な迫真力はなくとも、落ち着いた色調で穏やかに宗教画や人生の明暗を描いている作品に惹かれる現代人もいるかもしれない。企画展にはカラヴァッジョの作品は出展されなかったが、観客はカラヴァッジョという17世紀初頭のイタリアを疾風の如く走り抜けた破天荒なひとりの画家が、当時の美術界に与えた衝撃の一端を、ヴァランタンという画家の作品を見ることで感じ取ることができる。『カラヴァッジョを超えて』という企画展タイトルは、集客力のことを考えてつけたものだろう。

この画家が過ごした生涯や制作活動もあまり判然としていないようだ。カラヴァッジョの画風の追随者という点では確かにそうだが、画家自身の生活も放埒で享楽的であったともいわれる。41歳の若さで飲酒後、溺死と伝えられているが詳細は分からない。

それでも、国際カラバジェスキ運動などの研究成果もあって、かなり解明された点もある。画家についての情報が蓄積された現在の方が、ヴァランタンという画家をより客観的に評価をすることができるかのもしれない。

先が見えない人々の顔
 カラヴァジェスキとしての特徴を明らかに発揮しながらも、そこにはカラヴァッジョのような劇的、鮮烈で、残酷なほどの激しさはない。代わって、薄暗い闇の中に沈み込み、行方定まらず、思いつめたような表情の人々が描かれた作品もある。

この時代のローマは、表側の華やかさの裏側に、犯罪、欺瞞、死というような暗く、陰鬱な闇の世界が広がっていた。この点、ユトレヒト・カラヴァジェスキの作品のような道徳的次元まで昇華したような作品は、制作できない環境だったといえるかもしれない。例えば、カラヴァッジョもヴァランタンも「洗礼者聖ヨハネ」を描いているが、描かれた若者の表情や肢体には、一見若々しく見えても、鬱屈、疲労の空気が伝わってくる。

ヴァランタンには「カードゲーム」のような、この時代の画家たちが競い合ったテーマの作品もあるが、作品としては素朴さを残している。しかし、これらの作品を見ていると、画家としての力量の違いにもかかわらず、この時代を支配した空気のようなものが自ずと伝わってくる。

 
ヴァランタン・ド・ブーローニュ
「カードプレヤー」
 

晩年、ヴァランタンは聖ペテロ大寺院の祭壇画という大きな仕事を依頼されていたが、競争相手として対比されたのは、当時人気上昇中のプッサンだった。ヴァランタンはカラヴァッジョの単なる追随者としか見られなかったようだ。

ヴァランタンは、カラヴァッジョを超えることはできなかったというべきだろう。しかし、ヴァランタンには、この世の中の虚栄、鬱積、言い知れぬ不安などが感じられる静かな情景を描いた作品も多い。カラヴァッジョの作品にしばしばみられる、残酷、悲惨、驚愕するような場面に食傷気味の人には、ヴァランタンの作品はかなり温和なものに見えるだろう。「合奏」はそうした特徴が十分に発揮された秀作といえる。

同じ主題を描きながらも、それぞれに工夫を凝らし、微妙に異なった情景を描き出したこの時代の画家たちの作品の世界に入り込むことで、しばし現実を離れ、遠い時代の世界に身を置く疑似体験を楽しむことは、至福のひと時である。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする