ピエール・ボナール
洗濯屋の少女
c.1895-96
このキュートな作品の発想の根源は何に求められるのだろうか。
その源が北斎のスケッチ集ともいうべき「一筆画譜」にあるということを
知って しばらく考え込んでしまった。
葛飾北斎
「一筆画譜」
1823年
いつの頃か、「芸術の秋」といわれる表現を見かけるようになった。語源や初出年次の推測は様々にあるようだが、秋風が吹き始める頃から、美術館などの展覧会も格別に力おが入ったものが多くなる。今秋も京都ほどの雑踏ではないが、東京、とりわけ美術館の多い上野公園界隈はかなり賑やかだ。、今の時点では、注目を集めているのは終幕近い国立博物館の「運慶」展と国立西洋美術館の「北斎とジャポニズム:HOKUSAIが西洋に与えた衝撃」展だろうか。とりわけ前者は、週日でも館外行列ができていた。
「北斎とジャポニズム」展もかねて見たいと思っていたので、混み具合を見計らって出かけた。インターネットで国立西洋美術館は世界文化遺産になってから、館内、庭園などもかなり整備され、人々で賑わっている。特別展ばかりで混み具合を見て出かけるのだが、同じ行動をする人たちも多く、到着して見ると予想外に混んでいることもある。これは人間行動の予測が大変難しいことの表れだ。予測する本人が結果を予測して行動するので、結果は予測と異なるものとなりがちだ。それはともあれ、常設展も人気が高まっているようだ。
葛飾北斎(1760-1849)はかなり前から関心があり、作品を見る機会があればできるだけ見てきたが、90歳近くまで制作活動した多作の人なので作品の全容とその影響を体系化してみたことはあまりなかった。今回の展覧会はその点で、大変よく企画され、多くの知見を得ることができた。カタログもさすがに充実しており、極めて見応えのある出来栄えだ。見ていると、関心は深まるばかりで読み出すと他のことを忘れてしまう。
今回は、北斎の作品とその影響を受けた海外作品の双方が展示されているので、当然展示作品数が多く、混んでいる時はかなりの忍耐がいる。今回のテーマのように、北斎の画風、作品が世界で受容され、ジャポニズムという大きな潮流を形成する道筋を具体的に展示する企てとなると、出展作品数も多くなり、一通り見るだけでもかなりの時間がかかる。影響を受けた西洋作品の展示数だけでも220点近い。展示によっては、前の室へ戻って見直したりする。今回も半日以上を費やしたが、もっとゆっくり見たかった。しかし、入館者も多いので、人混みの中、体力もかなり消耗する。
展示は「1章 北斎の浸透」に始まり、「6章 波と冨士」に終わる計6室の構成だが、いつもの例のように入り口の第1室が大変混んでいて渋滞していた。北斎の作品がジャポニズムの源流の一つとして世界に影響を及ぼしてきたことは、一通り知ってはいたが、今回の特別展を見て、さらに認識を新たにした。著名な「富嶽三十六景」などの作品に止まらず、「一筆画譜」、「北斎漫画」なども、広く渉猟されていることは、時代を考えると驚くべきことだ。こうした小品の集成は、海外の画家たちにとっては、新しい発想を得る貴重なアイディア・ブックだったのだろう。
とりわけ興味かったのは、当時としては極めて長年にわたり、画業に情熱を燃やした画家の晩年が中心だが、作品、思想、人間関係、社会状況にまでにわたって広範な研究成果が生まれていることである。日本に限ったことではないが、西洋美術の場合でも、よほど著名な画家でない限り、生涯の一部分しか判明しない場合が多い。北斎の場合、日本国内のみならず、ヨーロッパ、アメリカ、中国においてまで影響を受けた人々がいることに改めて驚かされる。
筆者がのめり込んできたロレーヌの世界にも、北斎の風は吹いていた。
エミール・ガレ
花器:蓮r
1900年 以後 以下、画像クリックで拡大
フランシス・ジュールダン
白い猫
1904年以前
葛飾北斎
「一筆画譜」にヒント
ただし、右上に「狐火」と記されていることに注意。
References: 国立西洋館展カタログ