時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

色々物語(1):北斎の絵具

2017年12月15日 | 午後のティールーム

 

長野県小布施町雁田曹洞宗梅洞山岩松院
本堂大間天井絵「八方睨み鳳凰図」
本堂内の写真撮影は認められていないため、同院観光案内の複写。
画面クリックで拡大 



小布施という小さいが大変美しい町は「栗と北斎と花のまち」というキャッチフレーズで、珠玉のような見所が各所に散在している。いくつかの小さな美術館もあるが、この町でしばらく画業の時を過ごした北斎との関連で「北斎館」という小さいが、大変居心地がよく素晴らしい美術館がある。

町中には北斎が小布施に滞在している間に制作した作品が残されている。その一つが「岩松院」という寺(雁田山の自然に囲まれた寺院で、戦国の武将福島正則や葛飾北斎、俳人小林一茶ゆかりの古寺)の本堂天井に描かれた上掲の「鳳凰図」だ。鳳凰(ほうおう)とは、古来中国で、麒麟、亀、竜とともに四瑞として尊ばれた想像上の瑞鳥だ。

「形は前は騏驎、後は鹿、顎は蛇、尾は魚、背は亀、頷(あご)は燕、嘴は鶏に似、五色絢爛、声は五音にあたり、梧桐に宿り、竹実を食い、醴泉を飲むといわれ、聖徳の天子の兆として現れると伝えられる。雄は鳳、雌は凰と称される」(「広辞苑第6版」)。その通り、一見すると奇怪な印象を受けるが、画家はこの大きさに収めるために想像の力と長年の蓄積を駆使したのだろう。

葛飾北斎(1806-1883)最晩年の作品とされ、間口6.3m、奥行き6.5mの大きさで、通称21畳敷の天井絵である。制作は画面を12分割し、床に並べ彩色し、天井に取りつけたと伝えられている。鳳凰図は朱、鉛丹、石黄、岩緑青、べろ藍、藍などの顔料を膠水で溶いた絵具が使われている。周囲は胡粉、下地に白土を塗り重ね、金箔の砂子がまかれていて豪華な印象を創り出している。画面には絵皿の跡など制作時の痕跡が残っている。

大変興味深かった点のひとつは、デザインと共に、使用された絵具の色彩であった。北斎の作品で特に目立つ色は、筆者が見た限りでは、藍色、青色、赤(朱)ではないかと思う。とりわけ、『富嶽三十六景』に代表されるように、富士山と海がほとんど青色で描かれている作品もある。

『鳳凰図』は晩年の作品ということも反映してか、絵の具の顔料も多数に渡り、絢爛たる印象を与える。北斎は黒(墨)、赤、青、黄の顔料さえあれば、即座に必要な色を作り出したといわれる。

最近では美術館、鑑定家などが、作品の制作者、年代、下絵、修正などの鑑別にX線、画材の化学分析などの手段に頼ることも増加している。

例えば、ラ・トゥールのような17世紀画家の制作に関わる研究などを調べていると、使われた絵具の原料(顔料)が何であるかが、制作年代、制作手法などの推定に重要な意味を持つことが分かってくる。当時の画家の作品には主題も署名も記されていないものが多かった。今日では美術館、鑑定家などによってX線、化学分析などの手法が頻繁に使われるようになってしばしば新たな発見がある。

北斎の場合は、18-19世紀にかけて長年の画業生活を送ったため、制作時の環境、使用した絵具顔料もかなり多岐に渡り、詳細も明らかにされている。北斎晩年の頃には西洋画の画材なども輸入されていたようで、北斎という日本が生んだ世界的天才画家がいかなる嗜好を抱き、画材などの選択をしていたのか、考えてみると興味深いものがある。


 

岩松院山門(筆者撮影)

 

 水溶性で濃淡の出しやすい人口顔料「プルシャンブルー」の略とされる。この顔料が輸入される前は植物性の藍(インディゴ・ブルー)が使われていた。

2019年8月1日 BS3「偉人たちの健康診断選:天才絵師葛飾北斎の秘密」

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする