Philip Jamea deLoutherbourg, Coalbrookdale by Night, 1800, Oil on canvas, 26 3/4 x 42 1/8 in.
Science Museumu/Sciencens Socoety Picture Library, London
フィリップ・ジャメア・デルザーブルグ『夜の炭鉱町コールブルックデール』(アイアンブリッジで知られる地域)
これまでの人生で手にしてきた書籍や書類の数はかなり多い。しかし、その中には様々な理由で最後のページまで読まなかったものもある。他方、いくら読んでも尽きることのない圧倒的な迫力を持つ本もある。といっても百科事典の類いではない。そのひとつの例を上げれば、下記のなんとも不思議な著作だ。入手して以降、断捨離で整理されることなく、書棚から消えたことがない。時々引っ張り出しては、辞書のように読んでいる。
Pandaemonium, 1660-1886: The Coming of the Machine as Seen by Contemporary Observers, By Humphrey Jennings, Edited by Mary—Lou Jennings and Charles Madge. New York :The Free Press, 1985, 376pp. (ハンフリー・ジェニングス(浜口稔訳)『パンディモニアム』パピルス、1998年 )
18世紀半ば、イギリスに起きた産業革命、その発生の過程、発展・衝撃について、当時の人々はそれぞれにどう感じ、何を考えていたのか。元来、詩人であり、”ドキュメンタリー・フィルム・メーカーであったハンフリー・ジェニングス Humphrey Jennings が、1937年から1950年の初めまで(この年ジェニングスは早逝した)のほぼ13年間に集めに集めた膨大な文書、資料などの集積が本書の源になっている。ジェニングス自身この世界においてもかなり変わった人物であった。
目的を果たす以前に世を去ったこの異才の死後、娘のマリー・ルー・ジェニングスおよび(ハンフリーの協力者)チャールズ・マッジがおよそ35年近くの年月を費やしてやっと一冊の書籍の体裁にまでまとめ上げた。なぜこれほど時間を要したのか。実は早逝したジェニングスには自ら本書を編纂・刊行する時間が与えられなかった。その意図を娘と友人が推し量り、一冊の本の体裁で出版するには想像を超える努力、試行錯誤があった。残された資料の編纂作業だけでも、それはあたかも「無数の異なった動物がお互いに争い、貪り食い合った結果」と形容されるほどの多難な仕事だったのだろう。
Humphrey Jennings
ジェニングスの死後に残されたものは20冊の綴じられた書類の束、その内容は産業革命を間に挟んだおよそ200年近い年月に生きたあらゆる領域の文人、学者、ジャーナリスト、科学技術者、政治家、社会観察者などの手になった作品やノートの部分の的確な引用、それらの手書き、タイプ印字、ジェニングスの覚書、注などの体裁をとっており、加えて1000枚を越える大量の複写資料であった。ジェニングスは当時としてもかなり変わった人物ではあった。何本かの映画は残したが、書籍は一冊もない。
新たなイメージによる産業革命史の組み直し
生前、精力的に集めたこれらの資料を使って、彼は何を創ろうとしていたのだろうか。あくまで近くにいた人々の推定にすぎないが、彼が常に頭ををめぐらしていたことは、”想像(イメージ)の世界における産業革命の歴史”を作品化しようという思いだった。その実現のための筋書き、そのための手がかりだけが残された。しかし、その作品の構成をいかにするかという点についてはほとんど何もジェニングスは具体案を残さなかった。しかし、ジェニングスの頭脳には、恐らくこれらの資料を使い、一連の想像上の膨大な歴史を、それまでにない斬新な形とアイディアで(その中には映画も含まれていたかもしれない)構成することだった。産業革命を挟んだ時期を、その時代に生きた人々の残したものから、新たなイメージで再構成しようとの試みだったと思われる。さらに編者の大変な努力の成果だが、読者が本書のどこの部分から入り込もうと、その緒と思われる口を手がかりに探索を深め、全体が見渡せるようなとてつもない次元の作品世界を構想していたかに見える。そのためには、本書には特別に極めて詳細な索引とともに、「主題系列」という工夫された作品系列が準備されている。その一つを選ぶことで、読者が自らの意図に応じて、新しいイメージの産業革命当時の世界観・世界像を築き上げることができると考えられたのだろう。
産業革命を動かしてきたもの
本書の題名はジョン・ミルトンの『失楽園』Paradise Lost (1660) の第1巻で描かれる Pandaemonium (世界のあらゆる悪が累積する地獄の宮殿、伏魔殿)からとられている。オーウエル(1903-50)はその名作『ウイガン波止場への道』で「通常、話題とされる社会主義は、機械的な進歩という考えと強く結びついていて、究極ではあたかも宗教のようになっている」と嘆いた。さらに「社会主義者は常に機械化、合理化、近代化に好意的だ。あるいは少なくもそうあるべきだと考えている」と述べている。現代は第四次産業革命の最中にあるといわれるが、この考えは今でも無意識のうちにもかなり受け継がれているのではないだろうか。
ジェニングスは、イギリスにおいて、毛織物業、綿織物業、製鉄業、蒸気機関の発達などを契機に展開した第一次「産業革命のイメージ上の歴史” imagenateive history of Industrial Revolution」として描くことを企図したようだ。産業革命を体験した同時代人contemporaries の詩人、小説家、化学者、美術家、社会観察者などの手によって書かれたさまざまなものを持って描き出そうという構想らしい。ブログ筆者も若い頃、産業革命期綿織物業の展開過程に関心を抱き、かなりのめり込んだ。今でも探索して見たいトピックスがいくつかある。産業革命のもたらした影響と衝撃については多数の評価がなされてきた。ジェニングスの試みは、できうるがきり多くのスナップショットのような材料の集積から新しいイメージを持った歴史像を創り出そうというものであったのかもしれない。
人々が選んだ道
産業革命が綿織物業などで生まれ、織物機械の音が響くようになり、”進歩”という名の車輪が動き出した。各地に工場が生まれ、資本家に雇われて働く以外に生きる道がない労働者が急増した。工場の煙、油や塵埃で汚れた工場地帯、スラム、ワークハウスなどの実態は、カーライル、ディケンズ、ナスミスなどが生き生きと描き出した。かつては美しい田園地帯も煤煙と油で汚れた殺風景な工場地帯へと変容して行った。莫大な「富」とともに多数の「貧困」が生まれ、それを救おうとする人々が現れた。
産業革命で生まれる新しい物質主義とモラルの衝突もある。ウエリントン公とサー・ロバート・ピールという古い貴族的体制の守護者が、産業革命の立役者のひとつ、新型の蒸気機関車の運行に際して、不慮の事故があったことに関わって、鉄道の起業家や資金提供者に蒸気機関車のお披露目行事の中止を求めたこと、それに対する反対の動きなども記されている。収録されたテキストやフレーズの含意はさまざまで容易に収斂しない。
目の前に起きていることへの執着
チャールズ・ラムはワーズワースとの会話で、快活に「彼が愛した汚いロンドンを出て行こうと思わないと話している。・・・山など見なくても構わない」。以前に取り上げた「ロウソクの科学」のマイケル・ファラディも大御所のデイヴィとともに時代の人であり、なんども登場している。例えば、1827年の10月6日の日記には、セント・パウル大寺院の方向に眺望された美しい夕空の光景が記されている。「その光景はたいへん美しかった。多くの人々は、暗闇の光は寺院の方から射していると思って信じて歩いて行った。時は8時頃だった。」(マイケル・ファラデーの日記から)。
失われるもの
さらに、チャールズ・ダーウイン Charles Darwin は「自らの生涯を科学の研究に費やしたため、審美的な感覚を失った」と嘆いている。あるいは大化学者ハンフリー・デイヴィ Humphrey Davyは、かつてアマチュアの詩人であったが、今はルーヴルの展示品でもアンティノオスの石膏作品については、”大変美しい鍾乳石”と賞賛するが、その他については惹かれなくなったと告白する。
産業革命という「進歩の車輪」は多くのものを作り出すとともに、破壊して行った。その時代はジェニングスが構想したように、時代の多くの著名な人々、ディケンズ、デフォー、ラスキン、バイロンなどばかりでなく、それほど著名ではなかった人々によって、さまざまに記され、描かれた。
ジェニングスは1950年に世を去る前に、自身はどのような考えを持っているかと問われた時、「機械の到来は人間の生活の何かを破壊しつつある」と考えていたようだ。
『パンディモニアム』という破天荒なイメージ世界の構想を抱いたジェニングスは社会主義者としても変わっていて、ウイリアム・モリス William Morris のロマンティックな伝統を継承している。そしてこの機械化が人間の生活に様々な悪い結果をもたらすという考えが本書に溢れている。Paradise Lost 「失楽園」の堕天使から始まって「伏魔殿」(あらゆる悪の宮殿)がいかにして世界に生まれるのか。人間は伏魔殿の築造に向かって進んできたのか。
最終的に、本書に収録されたテキストは372本、さらに数えきれないフレーズ、図などからなり、最初に設定されたジョン・ミルトンの「パンディモディアム」に絡みとられ、紡がれて、不思議な作品として提示される。「パンディモニアム 」についての著者の構想や説明は一切ない。答えは何も準備されていないのだ。しかし、このとてつもない作品に接する読者は、当時を生きた人々の様々な足跡から、産業革命期という特別の時代に生きた人々の考えや社会の空気にこれまで以上に緊迫感を持って接することができるだろう。
破壊と混迷の中にある第四次産業革命といわれる現代、その行方はほとんど何も見えていない。ジェニングスの本書から学ぶことは多い。
* 本ブログ連載の『L.S.ラウリーの世界」と一部重なる印象を抱かれる読者がおられるかもしれない。ラウリーは絵画という限定されたメディアではあるが、一般の画家が題材にしないような産業革命後のマンチェスター近傍の変化を克明に描いた。産業革命という変化が単に生産や技術の仕組みや工程での変化にととまらず、産業社会全体の性格、そこに暮らす人々の生活様式や思考、審美感まで変容させる変化であることの意味を、様々な観点から包括的に見ることの必要性を痛感する。