時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

​額縁から作品を解き放つ(3) 

2022年10月03日 | 絵のある部屋

ドミニコ・ギルランダイオ
《ジオヴァンニ・トルナブオニの肖像》
Domenico Ghirlandaio
Portrait of Giovanna Tornabuoni, 1488
Tempera on panel, 76x50cm
Madrid, Museo  Thyssen-Bornemisza

このブログで「個人的覚え書き」として取り上げてきた17世紀ヨーロッパ美術の作品を見ても、それらが創り出された環境は我々の住む現代の社会・文化環境とは決定的に異なっている。ましてや15世紀イタリア美術の世界まで遡ると、その時代的隔絶はあまりに大きい。

画面に描かれた人物にしても、現代人とはあらゆる点で大きく異なる。美術館などで15世紀のルネサンス絵画作品の前に立って、我々はこれらの作品をどれだけ正しく観ているのだろうかと思うこともある。観客が現代を遠く離れて、15世紀イタリアの社会環境まで立ち戻り、仮想体験をすることがどれだけできるだろうか。

例えば、この時期に多い横顔の肖像画を観ていると、どこまでが様式化されているのだろうかという疑問も生まれる。現代人と比較して、どう見てもかなり離れている。不自然な感じは拭い難い。しかし、当時の人々には十分共感、理解できたはずだ。

ピエトロ・デラ・フランセスカ《フェデリコ・ダ・モンテフェルトロ
 & バティスタ・ストルツア》肖像
Piero della Francesca
The Urbino Diptych(Portrait of Federico da Montefeltro and Battista Storza)
1465-72, Tempera on panel, 47 x 33cm(each panel)
Florence, Galleria degli Uffizi

バクサンドールは、この問いに「時代の眼」Perood’s Eyeという視点を導入し、対峙しようとする。

15世紀の眼を通して見る
バクサンドールの前掲書第II部「時代の眼」では、著者は「絵画のスタイルは社会史の適切な材料だ」(序文)と記している。言い換えると、絵画は歴史書と併せて、見方によっては当時の社会を推し測るに重要な原史料となりうることが強調されている。

バクサンドールのアプローチは、視覚文化史ともいうべき広域領域への美術史学の拡大とも言えるかもしれない。その一例として、第 I部「取引の条件」では「美術史において金(money)は非常に重要だ」という瞠目する一文を提示している。それまでの伝統的な美術史家にすれば、驚くべき指摘といえる。

15世紀イタリアの画家と観衆が、絵画や彫刻という「ヴィジュアルな経験に基づく芸術にいかに対したか」、そしてこの対面の質が、画家に作品を依頼する「パトロンとなっているクラス」の考えとして、取り入れられる(Baxandall, p.38)。パトロンの想定と認識のスキルがいかに制作に携わった画家に伝わったか。言い換えると、パトロンたちの認識と期待、そして願望が、画家が制作した作品にどのように伝わっているか(p.40)。

バクサンドールの答は、我々現代人は15世紀の絵画について同時代人が所持していた経験を保持していないということだ。なぜか。当時の画家、彫刻家などのアーティストたちは彼らの時代の人々が絵画に対し持っていたものを保持していたー彼らの経験、知識、スキルのセットをほぼ共有しー画家たちはそれらを意識して制作していた(p.48)。

現代人にとってはデフォルメされていると思われる肖像画は、15世紀イタリア人にとっては意図的にデフォルメして描かれていると受け取られた。パトロンはその橋渡しをしていたといえる。

画材の価値より画家の技量へ〜問われたパトロンの美術的素養


ドメニコ・ギルランダイオ《曽祖父と彼の曾孫の肖像》
Domenico Ghirlandaio, Portrait of a Grandfather and and His Grandson
ca. 1490
Tempera of panel, 62x46cm
Paris, Musee du Louvre

15世紀イタリアではパトロンは単に画家の使用する画材に注文をつけたばかりか、書き込まれる背景として、山、川、森など、かなり指定もあったようだ(例:上掲右上)。パトロンは画家の仕事をほぼ全て管理していた。使われるピグメント(顔料・絵の具)の種類や量の管理まで行っていた。現代の画家が享受する自立した制作環境とは大きく異なっていた。本ブログで取り上げている17世紀以降の画家の環境とは、決定的に異なるものがあった。

15世紀末に向けて、パトロンの考えにも変化が見られるようになる。ピグメントなどの価値よりも画家の技量が問われるようになる。肖像画などにも新たな胎動があり、容赦ないリアリズムが求められたりするようになった。ギルランダイオの曽祖父と曾孫の例に見られるような驚くほどのリアリズム、二人の画像の対比、年代の対比、同じ赤色の衣服が与える親密感、窓外の景色の導入など新たな試みが見られる。

例えば、1485年のギルランダイオGhirlandaioとジョヴァンニ・トルナブオニGiovanni Tornabuoniの間の契約には、背景には人物、建物、城、都市などを含むことなどの具体的指示が記されているという。

宗教的要素の浸透も大きい。15世紀イタリアの人々はキリスト教主体の時代に生きており、教会その他で絶えず説教を聞いており、制作にあたる画家も、人々の誰もがそうした聖書の話を知っているものとしてカンヴァスなどに向かっていた。さらに芝居で俳優たちが自らの演技後も舞台に残っていることなど、当時の人々なら誰もがすぐに分かることがあった。

バクサンダールは全掲書第III部:「絵画とカテゴリー」において、著書の最初に戻る。彼は「作品のフォルムズ(forms)やスタイルは社会的環境に対応することを強調すること」から始める。「そして等式を逆転することで終わる。絵画のフォルムやスタイルは我々の社会への認識を鋭利なものとする」(p.151)

バクサンダールは結論として「視覚的なセンスは経験の主要な器官」であるので絵画は「文書や教会の役割」と同様に見做されるべきだとする。「それらはクアトロチェントの人が知的かつ良識的にいかなるものであるかを知るに洞察力を与える」(p.152)

Quatrocento クアトロチェント イタリア語、1400の短縮形:15世紀、特にイタリアの芸術や文学に関連して用いる。

パトロンが抱いた作品への想い
このように見てくると、この時代の美術の性格を支えるものとしてパトロンの存在は、作品のイメージ形成を含めて重要な重みを持つ。彼らの抱いた時代感覚、美術への考えは、画家と並び、あるいはそれ以上に作品の性格を支配した。彼らが画家に託したものは一体何であったのだろうか。パトロンの立場もそれぞれ多様であり、要約することは極めて難しい。

パトロンが原動力となって生み出される美術作品によって最も恩恵を受けたのは教会であった。この時代、作品主題の多くは宗教的な含意を持っていた。さらに、パトロンは自らが継承あるいは蓄積した富の使途として、画家に作品を依頼し、作品は教会を飾り、家族、知人などの間でも鑑賞の対象となった。これらの作品も、彼らの間で話題となり、さらに世代を超えて継承されていった。

パトロンの抱く様々な意図を、いかなる形で具象化するか。パトロンと画家との間では、恐らく口頭での意思伝達がかなり図られたであろうことは想像に難くない。そして、最終的にはパトロンと画家の間に交わされた契約文書と書簡で骨子は確定された。画家とパトロン間の共生の結果と言えるかもしれない。

バクサンドールが指摘した15世紀イタリアにおけるパトロンの優位性、とりわけ作品に盛り込まれるべき内容、金などの画材の使用についての条件などについての問題、それらが画家とパトロンの間に交わされた書簡、契約に記載されていることへの注目は、この時代の作品を鑑賞、評価する上では、確かに重要な意味を持つ。

バクサンドールは、イタリア・ルネサンス期の絵画スタイルの発展を支えた主要な証拠は、上述のように画家とクライアント(パトロン)の間に交わされた契約に残されるという。そしてその内容はそれまで美術史家によって解明されたことはなかったと独自性を主張した。

メディチ家の特別な役割
バクサンドールが著書で設定している15世紀中頃から後半にかけてのフローレンスの支配階級はメディチ家であった。彼らは当時のパトロンと画家の関係を取り仕切った演出家ともいうべき存在だった。さらに彼らは典型的なパトロンではなく、ルネサンス期において多数の画家に影響力を及ぼした。メディチ家は教会など公的な芸術ばかりでなく、個人レヴェルでの美術にも関与していた。彼らはフローレンス社会の支配者として、教会を支えるために多額の資金を供与した。メディチ家にとっては美術は激動する政治的変化の波に対して、フローレンスの市民を彼らの側に引きとどめる手段でもあった。

この時期の芸術の主題や色彩がいかに限られた範囲に抑制されていたかを知るには、パトロン、画家、そして彼らを背後にあって支配したメディチ家の思想があったことを改めて考える必要がある。

しかし、パトロンの絵画観、画題や画材への注文は、当時の美術作品に反映されるべきイタリアあるいはフローレンス社会の美術感、絵画のスタイルに対する影響力という意味ではかなり限られたものであったことに、ブログ筆者は着目したい。パトロンは
あくまで富裕層であり、社会全体を代表する存在ではなかった。パトロンという限られた階層の考えと観察を通して具象化された作品であることの限界にも気づかざるを得ない。

バクサンドールの「時代の目」'Period Eye'の概念は、単純に表現すると、ある文化において視覚的形態を形作る社会的行動であり、文化的行為である。さらに、これらの経験はその文化によって形作られ、それを代表するものとなる。

我々21世紀の現代人が、遠く過ぎ去った15世紀のパトロンたちと同様のレンズで作品を見るに際して使われる道具 toolとして、バクサンドールの「時代の眼」は、美術の理解のための革新的な概念 であることは間違いない。パトロン(クライアント)と画家の取引を通して凝縮され、時代の美的感覚が絵画や彫刻という形で美的に具象化するという考えは秀逸な発想だ。ある文化の下でヴィジュアルなフォームを形作る社会的行動であり文化的な行為である。しかし、この発想を実際に有用なレンズとするには多くの欠陥があり、さらに補正が必要に思われる。

 
‘Period Eye’ in simple terms, is the social acts and cultural practices that shape visual forms within a given culture.
quoted from Michael Baxandall's Painting and Experience in 15th Century Italy

続く

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする