繊維工場で働く女性たち:牧歌的時代
現代の資本主義が、デジタル・キャピタリズム、ITキャピタリズムなどと言われるようになっても、世界的規模でみれば製造業、とりわけ、大工場、怪獣ビヒモスは、したたかに生きている。産業の盛衰は激しいが、繊維衣服産業は産業革命以降、戦略的産業として、開発途上国を中心に一貫して重要な役割を果たしている。
近年話題となっているのは、中国勢の拡大だろうか。イタリアの繊維産業の中核であったプラトーは、ブログ筆者も訪れているが、今や完全に中国資本、そして労働者までも中国人になっている。産地表示だけはメード・イン・イタリーという妙な状況が生まれている。かつてのイタリア資本による企業との大きな違いは、中国企業が布からファッションの分野まで統合していることだろう。別の例は、やはり中国勢によるカンボジア、ヴェトナムなどでの拡大だろうか*。いずれも中国本土よりも労務費の安い地域への進出と考えられる。
アメリカ、ロードアイランド州ポータケットのスレイター・シスムが衰退し始めた19世紀始めころ、ニューイングランド、マサチューセッツ州ウオルサム近傍に新たな大規模工場が生まれていた。企業の設立は当時の資本家兼起業家でもあったボストン・アソシエーツ Boston Associates によるものだった。
ニューイングランドの繊維工場の立地:水力を動力としたため大きな川に沿って分布していた。
それまでの工場が紡糸過程だけにとどまっていたのに対して、ウオルサム・システムと呼ばれた工場は原綿の紡糸、織布、染色、裁断などの過程を縦に統合(vertical integration)し、「綿糸から布」cotton-to-cloth と言われる、ひとつの企業内に最終製品までを包括する一連の製造過程を全て収めた当時としては革新的な工場体系だった。
そこで働く労働者は’mill girls’と呼ばれた近隣の町からやってきた若い女性たちだった。彼女たちのために建設された宿舎では厳しい門限があり、生活面でもモラル・コードを遵守するよう配慮していた。さまざまな情操教育も試みられた。そのため、娘たちを送り出す親たちにとっても安心できる場所であり、年限を終えて帰郷した女性たちは、教育を受け、しつけの良い子女として、結婚などでも一目おかれる存在であった。資本主義的な工場発展過程の”牧歌的時代”である。
その後、ウオルサム・システムはさらに展開を遂げる、フランシス・キャボット・ローウエルという起業家たちが手がけた事業だが、繊維産業の発祥の地イギリス、ランカシャーにおける苛酷な労働条件を持ちこんだ。週80時間労働、週6日の工場労働であり、寄宿舎の生活は早朝4:40分の起床、5時から働き始め、7時に朝食後、昼まで働き、30-45分の昼食時間を挟んで7時まで働いた。しかし、彼女たちが受け取る賃金は、当時女性に開かれていた家事手伝い、教師などの職業で得られる水準を上回っていた。さらに、この頃には現金で賃金が支払われた。ほとんどの農家は現金をわずかしか所有していなかったので、これは大きなメリットだった。牧歌的な時代といっても、労働条件や生活環境はこの程度であったのだ。
b1826年、およそ2,000人が居住することになった地は、1817年に亡くなったフランシス・キャボット・ローウエルの名を記念してローウエル Lowell と命名された。さらに20年が経過すると、人口およそ30,000人の都市にまで発展した。10社の大きな繊維企業が生まれ、12,000人の労働者(ほとんど女性)が働いていた。しかし、この地の繁栄も長くは続かなかった。新たな転機が迫っていた。
*2014年に改行したカンボジャの工業団地「ボンレミー」は約160ヘクタールの敷地があり、中国や韓国の11の企業が建設中といわれる。「飢餓の國 服飾工場に変えた」「朝日新聞』2018年7月29日
Pietra Rivoli. The Travels of a T-shirt in the Global Economy, 2005
ピエトラ・リボリ 雨宮寛+今井章子訳『あなたのTシャツはどこから来たのか?』東洋経済新報社、2007年
続く